阿部静雄「越後雑唱」鑑賞
甲士 三郎
阿部静雄さんの「越後雑唱」五十句は、これまでの長い句歴の中からの自薦五十句である。その鑑賞となると阿部さんの代表句を選ぶことに他ならないが、師や先達の作品を後世に残すのは後輩の役目というので私が引き受ける事となった。阿部さんにはさんざんお世話になっているので、評が甘くならないよう気を引き締めて鑑賞させていただく。
故郷やものの形に雪積もり
まずはこの句を第一に推したい。阿部さんの故郷は越後の小千谷である。今回の震災ではさぞ難儀されているだろう。また日本有数の豪雪地帯でありこの冬はさらに厳しいものとなろうが、御健吟を祈るばかりである。この句はそういった越後の冬を描写して、深い気持ちの伝わる作品となった。故郷の山河や家々、地の起伏や置いてある物など、すべて作者の良く知っている「ものの形」に雪が積もっている。何メートルも積もる所だから尖ったものもみな丸く白一色に覆いつくされて、よそ者にはその下に何があるかはわからないが、作者にはみなわかっている。そういったものへの想いが「故郷や」にこめられている。美しく哀しく暖かい句だと思う。景の描写に長年鍛えた腕の冴えがあるので、「故郷」が甘くならずに効いている。作者は酔うと必ず「私は故郷が詠みたいんだわ」と言っていたが、 念願がかなった見事な一句である。 類想句もいくつかあるが、思いのこもった分それらの句を凌駕し得たと思う。
何年か前にある雑誌の阿部さんの句への評で、故郷を詠むのはもう古いと言っていた人がいたがそんな事はない。この句は新鮮の鮮、鮮やかさがある。また雪月花などの自然の美は決して古びない。雪を見て古臭いと思う人がいるだろうか。古びるのは人間の観念であって感情ではない。
父母の深寝恐ろし雪の底
確か角川俳句賞受賞のときの一句だったと記憶している。阿部さんはこの句を発表した後東京に移り住まれた。父母とは常に子より後に眠り子より早く起きるもので、子供時代に両親の寝ている姿を見ることはめったに無いだろう。父母の寝姿を見るのは父母が年老いてからである。根雪の底の静まり返った夜に隣の部屋かどこかから年老いた父母の寝息だけが聞こえる。天を埋め尽くす雪の底で代々継いできた血筋の濃さを感じさせる句である。
この句の意とは違うが私の父が病に臥していた頃、あまり良く眠っているともう二度と目を覚まさないのではないかと心配になったものだ。
目隠しの中が真つ赤や福笑
この赤はおめでたい赤。私も子供の頃、目を閉じると暗黒ではなく赤が見えることに気が付いてなんとなく怖くなくなったのを思い出す。目隠しをしても明るい赤が見えるなんて、生命感にあふれていて正月らしくて良い。雪国の白と赤でさらにめでたい。
狛犬の耳の出て来し雪解かな
お地蔵様の頭が出て来たくらいではたいした事は無いのだが、「耳」がうまかった。まず耳を出してあたりの物音を探っているようで、まだ本格的な雪解けとはなっていない感じが良く出ている。普通狛犬は台座に乗っているので、その耳はかなり高い位置にある。小さなものでも三尺はあるだろう。豪雪地帯ならではの景であり、それだけに春の訪れに命なき石像まで動き出すような気がする。
赤子ごと引きずつて来し花筵
私は画家なのでいい桜を探してあちこち旅をしたが、新潟、長野、福島の三県は特に紅枝垂桜の古木が数多く残っていて、また桜や桃や菜の花やその他の花がいっせいに咲くのでとても美しい。そんな国での花見の面白い一場面を上手く切り取っている。いかにも元気そうな赤ん坊と逞しい親である。
ごつと触れごつと離れて冷し瓜
今回の五十句は境涯句でまとめられているが、阿部さんは写生句の名手でもありそんな句ももっと見てみたかった。この句はこの中では数少ない写生句である。「ごつ」に瓜の大きさが、「触れ、離れ」に田園生活のゆったりした時の流れが感じられる。明快な句なので誰にでもできそうなのだが、まわりの山々まで見えてくる風土性は阿部さん独特のものである。このような句にも境涯性は滲み出るものなので、もう少し写生句を混ぜてよかったかもしれない。
盆太鼓山に当たつて戻りけり
戻るところに意外性があって、太鼓の勢いが強調された。山に囲まれている閉塞感も山に守られている安堵感も、祖霊を祭る盆であってこそより強く感じられる。
長年の句歴から厳選の五十句だけにどれも良い句なのだが、多くの句を取り上げるよりこの句だけは覚えて頂きたいという句に絞った。取分け「故郷やものの形に雪積もり」は世に残したい句である。
まだまだ今後に期待できる作家なので、この冬も小千谷での御健闘をお祈りする。