橋元陽子句集 『遠花火』
          
           (平成18年6月 本阿弥書店刊)


   「天為」に熱心に投句し、努力を重ねている。
   いろいろ勉強し広い知識を持っている。今年
   傘寿を迎えた人と思えないひたむきに進む情
   熱を持つ人である。この句集を上梓をバネにし
   て、一層の佳句を生み出されんことを祈念しつ
   つ筆を擱く。      (有馬朗人 「序」より)



<作品10句>

   覚えなき名刺いでくる春の宵

   大山の水を自慢の冷奴

   春寒し言問橋に二日月

   広重の線百本の夕立かな

   凍鶴の吐く息白く一歩二歩

   マイセンの皿も並べて夏至の市

   ギザ砂漠秋夕焼けの地平線

   鬱王の部屋に舞ひ入る秋の蝶

   鹿飛んでメルヘン街道夕焼ける

   台風の去りてヤコブの梯子かな





<句集評>

   橋元陽子句集『遠花火』 

        いきいきと人生を謳う  

 

内藤  繁   

 

 橋元陽子さんにはいくつもの顔がある。

 キャリア・ウーマンとしてきびきびと活動する姿。私には一番見慣れたものではあるが、当然のことながらその片鱗も見せていない。

 ある日の陽子さんには「ボンジュール・マダム」と思わずこういう言葉で、さらに威儀を正し「コマンタレブー・マダム?」と挨拶をしたくなる。パリの超高級住宅地区、岸恵子、デビ夫人などが居を構えるサンルイ島で出会うように洗練されたシックなファッションをまとい華麗な身のこなしで現れる。

 住まいの東京港区には各国の公館、およびその付属の文化会館が多くあり、そこで催される国際文化交流活動に積極的に取り組まれている姿である。

 

松の花大使去る夜のレセプション

立冬や石畳行く大使館

 

 鹿児島のなだたる薩摩武士の血を引く厳格な父君に育てられ、その訓えを自然と身につけている古風な陽子像もある。

 

城山の雨に烟りて南洲忌

義に殉ず武士の墓石に春の雪

胸奥に亡父の七訓雲の峯

一徹の父の涙や終戦日

父母ありし遠き記憶や螢舟

 

 ふるさとの川内川の夏は無数に蛍が飛び交っていた。優しく心をくばる母君の計らいで、使用人、出入りの人々等と一緒に舟をしつらえ、蛍狩に行くのが夏の恒例行事。陽子さんの解放され、もっとも楽しいひとときであった。東京に嫁いで半世紀をゆうに超えている。故郷の忘れられない思い出は、年々少なくなる蛍のひかりが淡く消え去るのとは反対に、一層強く光りかがやき、よみがえってくる。

 少女期の陽子さんを知る貴重な作品である。

 

湯豆腐の揺らぎ家訓や吾で終はる

 

 有馬主宰は序において「ひたむきに進む情熱を持つ人」と評されている。

 東京例会に出句する三句のために四、五十句を詠みファックスで送信してくる。時には三句が揃わず、さらに作る。陽子さんは情熱家であるとともに努力家である。

 海外吟の多さに目を惹く。前書からわかるだけでも十二ヶ国、作品の内容から更に十ヶ国近くを数えることができる。長旅に耐えうる体力があるうちに遠い外国をまわりたいと「天為」入会前後に話をされていた。六十歳を過ぎてはいたがまだ現役、長期休暇のとりにくい第一線の要職にありながら上手に時間を作り出していた。有言実行の行動派でもある。

 

ギザ砂漠秋夕焼けの地平線

早や傘寿一世は夢の遠花火

 

 カイロ郊外に迫るギザ砂漠はスフィンクスやピラミッドのある世界遺産の観光地。アレキサンダー大王、シーザーもエジプト遠征で訪れ、また、ナポレオンはピラミッドの中でも最大のクフ王の前で「兵士諸君、四千年の歴史が諸君を見ている」と将兵を鼓舞し、カイロを攻略している。

 人間のひとときの栄華は赤茶けた砂漠のはるか彼方に真赤に沈む太陽の前では無意味なものに映り、人の一生の束の間の喜びも悲しみも過ぎ去ってしまえば遠くに揚る花火のようであると、陽子さんの人生観のにじみでる作品である。

 

夕焼雲岩に愁ひて人魚姫

岸壁の底に教会うす寒し

白夜なほ銀色に照る氷河かな

尖塔を持てる市庁舎秋天に

 

 北欧四国の特徴を的確な措辞で描いた作品である。

 

鹿飛んでメルヘン街道夕焼ける

ゴンドリエ舟歌うたふ天の川

 

 一度も彼の地を訪れたことのない者にも情景を彷彿させ、共に旅行している気分を満喫させる見事な描写力である。

 

 海外吟のほかにも、古典のバロックからビートルズまで幅広いジャンルの音楽の作品も読み応えがある。陽子さんは楽団員全員の技の調和を大事にする交響曲より演奏者と楽器の一体感のかもし出す表現力の協奏曲の方を好まれるようである。殊に楽器の作品に心を奪われるものが多い。

 

チェロの音の豊かに響く十三夜

グリーグに一夜をゆだね夏の月

チェンバロの音のこぼれて冬の星

ヴィオロンの黄金の音色小鳥来る

星月夜草原に弾く馬頭琴

冬紅葉寺よりきこゆレノンの歌

 

 美しい音色を「豊かな音」「音のこぼれ」「黄金の音色」とそれぞれの楽器に適したことばを配し、読む者にとって心地よいくつろぎとなって響いてくる。

 ところが次の句ではテンポが突然狂う。実はこれも陽子さんの深い知識に裏づけされた、心にくい演出なのである。

 

寒林やノアンの館別れの曲

 

 三段切れ、下六。俳句の調べとしてはなんとも収まりにくい。伝統的で無難な俳句の形式美をとるか、主題の内容を優先し、作者の主張を尊重するか。読者を迷わす一句である。

 ノアンはパリから南へ約二百キロ。フランス自慢の鉄道TGVも通らない田園地帯の小村である。イチイの巨樹に囲まれた城館を陽子さんは確かな目的をもって訪れている。

 フランス文学あるいは女性解放運動、女性の地位向上の歴史に関心のある人であればジョルジュ・サンドの名前を耳にしたことがあろう。ここが彼女の館である。筆名も男性的であれば姿も男装。十九世紀のパリの社交界を席捲し、ドストエフスキー、バルザックに文学的影響を与え、詩人ミュッセ、リストをはじめその恋愛遍歴もまた多彩。ハイネ、フロベール、ユーゴ、ドラクロワ‥とも深い親交があった。特にショパンとは七度の夏をこの館で過ごしている。二人にとって充実した期間であり、ショパンは後世に残る名曲を数多く作曲している。

 一方サンドは、知識人はもとより若者や女性に新しい息吹を吹き込み、女性の社会進出をテーマとする小説九〇編、戯曲二五編を生涯に書き残している。陽子さんはここで「別れの曲」(作曲はサンドに会う前年)を聴いたのである。

 ジョルジュ・サンドの破天荒ともいえる自由な生き様に思いを寄せると、この句型こそ最もふさわしい詩形に見えてくる。

 俳句に短歌、お茶・お花、絵画や音楽の鑑賞、そして観劇に、豊かな趣味で人生を楽しく送る姿、あるいは、今日は国内、明日は海外の街を好奇心旺盛に、しかも無邪気に散策している姿、青春性あふれる作品がこの句集に収められている。

 

 「旅の終わりにまたお会いしましたね。」

 

ユトリロも通ひしカフェー黄落期

色さえぬ赤い風車や秋の風

残り蚊のパリーの場末やネオンの灯

 

 同じパリでもここはジーンズ姿で気安く歩け、交わす挨拶も短く「サバ?」「サバ!」

 「ラパン・アヂルでお茶をしてきたところ…葡萄畑はそのまま、小径の白い壁も…、ユトリロの描いた百年前と少しも変わりはございませんわ。」

 「で、日本にはいつお帰りに?」

 

晩秋や終の栖は娘の家と

三世代揃ふ雑煮の椀を拭く

 

 「やはり日本が一番ですね」

 

満月に捧げる舞や綾鼓

  「寂」とある茶掛け一幅白牡丹

  広重の線百本の夕立かな

 

   *  *  *

 

 神奈川県全市に天為の旗を立てたいという私の希いをよく理解し「天為」の句会を一つ作るごとに我がことのように一番喜び、そして天為湘南句会の発展を常にかげで支え、励ましをいただくのが橋元陽子さんである。俳句結社「天為」があるかぎり決して忘れてはならない人である。

 このことを特に記して擱筆とする。