有馬ひろこ句集『アールヌーヴォー』
(2002年6月 角川書店刊)
一粒の小石となりぬ螢の死
縄文の真つ赤なままの唐辛子
真ん中の好きな王様夕端居
これまで俳句に詠まれなかったイメージを
独自の感覚でとらえ、俳句の小宇宙ならぬ
大宇宙を思わせる意欲作。<水鏡わが正体
は白蛇か>と自問する作者によって、この句
集は奇跡としかいえない成果をあげている。
(鷹羽狩行 帯文より)
<自選12句>
古物商巻くアールヌーヴォーのスカーフ
さいころの一は春の目掌に
筍を剥く真心の見ゆるまで
ダービーの端正な騎手選びけり
一粒の小石となりぬ螢の死
下闇に鳥の目ヒッチコックの眼
ペンだこは小さき友達秋立ちぬ
生も死も冬将軍も独りで来る
舞初の玉三郎の指の反り
二ン月のタンゴに切れ目切れ目かな
楽士とは母住む国の百千鳥
人生はパズル餅切る多角形
<句集評>
創造への志
有馬ひろこ句集『アールヌーヴォー』
鍵和田秞子(未来図)
句集『アールヌーヴォー』はウィリアム・モリスの装画による洒落た装丁の本である。手に取ると、鷹羽狩行氏の帯文が目にとび込む。「これまで俳句に詠まれなかったイメージを独自の感覚でとらえ、俳句の小宇宙ならぬ大宇宙を思わせる意欲作。<水鏡わが正体は白蛇か>と自問する作者によって、この句集は奇跡としかいえない成果をあげている。」と書いてある。ひろこ俳句の本質を衝く、まことに明晰な紹介である。この後には書きづらいと思いながら読み始める。
傘させるダンボール小屋花の雨
ホームレスを詠んで、何と優しい句だろうと思う。それは「花の雨」の季語の働きによるが、何よりも作者の心の優しさが滲んでいるのである。東大総長、文部大臣の夫人としてひろこ氏は華やかな方であるが、優しい方なのだと改めて思う。巻末近くに「ホームレスへ落すふりして懐炉置く」の句もある。実体験と思われるこの句にも、作者の優しさがある。
さいころの一は春の目掌に
突つきても子飼ひの龜は鳴かざりき
さいころの句は明るい。後句は「龜鳴く」の季語を逆手にとった茶目っ気があって楽しい。「宝船敷きて一夜の大富豪」「嫁が君と一度は我も呼ばれたし」などの句もあって、ひろこ俳句に向日性や諧謔性の流れを感じさせる。それは又、ひろこ氏の生来の性格によるものなのであろう。
筍を剥く真心の見ゆるまで
筍の皮をあきれるほど剥くと白い芯が見えてくる。それを「真心」と言われる。今時、真心と言う語はちょっと口に出すのは気恥ずかしくなるほど軽視されている。その真心を大切にされているひろこ氏である。信頼できる人だと心から思う。自分に正直な方なのだ。正直と言えば「ダービーの端正な騎手選びけり」は女心を正直に詠まれて共鳴度が高い。
ペンだこは小さき友達秋立ちぬ
この句になると、地味な、ちょっと淋しがりやの人が想像されて、ひろこ氏の又別の一面を感じさせる。「誕生日香水並べ籠りゐる」「梟と眼合はす人嫌ひの己」「ぼろ市にこころの襤褸曳き歩く」などの句もあって、自己の或る時の心理が鮮やかに描かれ、こういう心理追求の句は魅力的である。
生も死も冬将軍も独りで来る
これは又、強靱な精神を感じさせる句である。作者も一人ですっくと立っている気配がある。この強靱さが作家の目となった時、次の様な凝視の確かさを感じさせる秀吟となる。
一粒の小石となりぬ螢の死
縄文の真つ赤なままの唐辛子
日蝕にものの芽眠くなりにけり
人の死も落花も土が待ち受ける
四句目は凝視の徹底から恐ろしいものを見てしまった句であるが、恐ろしいと言えば「死の扉押す老人の飼ふ金魚」「骸骨のネックレスせし凍死体」などという句もあって、好奇心旺盛に、新しさを追求する作者の特色をよく表している。
きしきしと鍵穴鳴らし雪女
能面を着けてこれより雪女
作者の好奇心は雪女への変身にも繋がってゆく。浪漫性を豊かに感じさせる句も、集中には多いのである。
ここまで書いてきて、作品論よりむしろ作者のお人柄の方に心引かれて書いている自分に気付いた。それほどこの句集での作者は多彩である。どの句からも作者の像がいきいきと浮かび上ってくる。これは大変なことである。
私は俳句を自己表現の道だと思っているし、そのためには頭脳とか目とかだけを働かせて句を作るのではなく、中村草田男の言った「全人的な表現」をするべきだと思っている。それが短い俳句型式の基本になると思っている。そうすれば、一句一句に間違いなく作者が存在するはずである。ひろこ俳句はまさにそういう意味でも、作者が存在する句なのである。これは句の持つリズムについても言えると思う。
朝日新聞の「折々のうた」欄で、大岡信氏が「北風の中スキップで来る風小僧」の句を採り上げて書いておられた。ひろこ俳句の特色として「スキップで来る風小僧」のように明るくはずむ調子が特色と書いてあった。
確かに『アールヌーヴォー』一巻に流れる調子は明るくはずんでいると感じさせるが、それは作者の心が未知へ向かって躍動しているからであろう。全体的に、「や」「かな」「けり」などの俳句特有の切れ字の使用が少ないので、伝統的な古風なリズムからは遠く、いきいきと新鮮な感じを受けるのである。それが本書の新しみの一つになっている。
ところで、『アールヌーヴォー』という書名は、まことに象徴的な感じがする。集中に「古物商巻くアールヌーヴォーのスカーフ」の句があるが、この句からだけ名付けられたとは思えない。実は「生首に髪漆黒の夏芝居」の句を見た時、生首の語から、ビアズリーの絵を思い出したが、私どもの結社誌は創刊以来、ビアズリーの作品を表紙にしているので、アールヌーヴォーには特別の親しみを持っている。因襲を捨てて新しい創造への志こそ、書名の本意ではないだろうか。
蛇出でて行く宛もなく雪に遇ふ
螢火を追ふ宇宙遊泳のやうに
素材への果敢な挑戦と、正直で大胆な表現によって、スケールの大きな、斬新な句境が樹立された一巻を讃えたい。