十人十色2014年2月

 

水音の深まりゆきぬ返り花★寺田 恵子    

 冬に入った頃、暖かい小春日和の日が続く。そのような時、春に花が咲くような木々に、季節外れの花が再び咲くことがある。例えば桜や山吹、そして躑躅などの返り花が咲く。小春日和とは言え、もう冬である。春や初夏のような華やかさやにぎわいはない。返り花は忘れ花とか狂い花とも呼ばれる。どこか淋しい感じの花である。水の流れの音も春ののどかさや、勢いがなく、響きも低音で深味のあるものになる。野辺路を歩いて行き、小川の流れの音が深まったと思ったとき、道の辺の木に咲く返り花を発見したのである。それをじっと眺める作者の気持ちがしみじみと感じられる、静かな句である。  

 

鳥渡る遣欧使節の燗道具★佐々木ノリコ    

 昨年二〇一三年は、仙台藩主伊達政宗の命令で、支倉常長が率いた慶長使節が、牡鹿半島の月浦港を出発した一六一三年(慶長一八)より四百年の記念すべき年であった。常長たちは太平洋を東へ進み、当時スペイン領であったメキシコを経て、大西洋も横断してスペインへ渡った。日本とスペイン交流四百年であったのである。このことを記念して遣欧使節の持ち物、道具類などの展示会があったのであろう。その中の燗道具にノリコさんは注目した。酒を温めて飲むことは外国で全く無いとは言わないが、日本ほどではない。まして燗道具は無いと言ってよい。遠い異国へ渡る使節たちが燗道具を持って行ったところが面白い。使節の苦労を思っていると、鳥が渡って行ったのである。ロマンのある佳句である。   

 

逝く秋や亡夫の願ひを果し終へ★澁谷 さと    

 昨秋澁谷さとさんの御主人が亡くなられた。道元に親しみ曹洞宗に帰依していた御主人の願いは、遺骨を永平寺に持って行って欲しいということであった。さとさんはその願いを果すべく遺骨を抱き、永平寺へ行き納めたのである。そして亡夫のたっての願いを果してほっとしたとき、永平寺の秋も終ろうとしていることに気付いたのである。そして自分の身の廻りの秋も、心の中の秋も、静かに逝こうとしているとしみじみ感じたのである。  この句だけからは亡夫の願いが何であるかは不明である。しかし亡夫との約束があったことを果したという気持ちと、逝く秋の結びつきがしみじみとした気持ちを感じさせる。御冥福を祈っている。   

 

まなかひに富士一本の吾亦紅★今長 幹倫    

 眼前にどっしりと富士山が聳えている。ごく身近に一本の吾亦紅が立っている。吾亦紅はまことに小さく楚楚としているが、その美しさは格別である。澄みに澄んだ秋の空に聳える大きな富士山に対して、小さな小さな吾亦紅、その組合せも美しい。幹倫さんは最愛の夫人を最近亡くされた。この句は夫人への挽歌であると私は感じた。吾亦紅のように静かで、つつましやかで美しかった妻に捧げる挽歌である。そして夫人に対し、その霊を富士山が護っている。富士山とともに霊は永遠であると言っているのである。優美なそして力強い句である。   

 

ちちろ鳴く昌平坂の築地塀★染葉三枝子    

 東京湯島の昌平坂である。ここには江戸時代昌平坂学問所があった。昌平黌と呼ばれる。元は上野忍岡にあったが徳川綱吉の命で、この地に移った。同時に孔子廟もこの地へ移り湯島聖堂となった。その時孔子の故郷魯の昌平郷(山東省曲阜)にちなんで、昌平坂と名付けられた。この句の築地塀は湯島聖廟の塀である。東京の街の中にある美しい静かな一角であり、ここにちちろ虫が鳴いていたのである。江戸の面影の残る坂の雰囲気が佳く描かれている。

  

オルゴールより凍蝶の飛び立てる★杉  美春    

暖を求めて凍蝶がオルゴールの箱に来て眠っていた。オルゴールが鳴り出した瞬間、春が来たと凍蝶が喜んで飛び立ったのである。オルゴールの曲は春がテーマであったかもしれない。冬と言っても小春日和の窓や、縁側の光景であろう。夢のある楽しい句である。   

 

りんご狩りりんご色せるイヤリング★八木 東峰    

秋の明るい日ざしの中で、赤く色づいたりんごの取り入れが行われている。その仕事に加わって溌刺と働いている乙女がつけているイヤリングが、りんご色の光を発していたのである。りんご狩りに励む若い女性の健康な美しさが、見事に実ったりんごの色と輝き合っている。この句でイヤリングの輝きに着目したところが佳い。

  

伊勢出雲詣で来し子や豊の秋★高橋 登美    

昨年は二十年毎の伊勢神宮の遷宮と、六十年毎の出雲大社の遷宮が重なっためでたい年であった。多数の人々がどちらかの遷宮に出掛けた。熱心な信仰の深い人々は両方を詣でた。高橋登美さんのお子さんもその一人で両方へお参りしたのであった。参詣したのは秋のこと、まさに豊年満作の秋の感がある。明るい気持ちのよい句である。

  

冬に入る午後の小部屋のシベリウス★滝澤たける    

シベリウスはフィンランドの代表的な作曲家である。特にロシアの支配下にあった二十世紀の初め作曲した交響詩「フィンランディア」は、民族主義に基づいた愛国心に溢れるものである。寒い冬の午後、小部屋で心も少々ちぢこまるような時、シベリウスの曲を鳴らしたのである。酷寒のフィンランドで作曲されたシベリウスの曲は、寒さに負けず気持ちを奮い立たせるものがある。曲はきっと「フィンランディア」であったろう。シベリウスの曲を聴きながら、冬に立ち向う気持ちを高揚させたのである。「冬に入る」とシベリウスの照応が佳い。   

 

ドンゴロスより大蛇出る里神楽★田中 九青    

ドンゴロスとは麻袋である。インドのダンガリーで作ったことからこの名が出た。縦糸にさらし糸、横糸として色糸を用いた粗製の綿布を言う。ここでは大蛇をしまってある麻袋である。神楽に使われる大蛇であるから、さぞかし立派な容器か袋だろうと思っていると、質素な麻袋であったところが面白い。いかにも里神楽らしい。この里はかつて麻布を織ったり、麻袋を作ったりした山村なのである。その頃から麻布をドンゴロスと呼んでいたのであろう。そのような山里の光景が目に浮かんでくるところが佳い。

 

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