十人十色2015年6月

 

  発心の呼吸整へ阿波遍路★合田 憲史  

 四国路は春になると遍路で賑わう。四国八十八ヶ所の霊場を廻るが、その出発点は徳島県 阿波国の霊山寺である。この寺を出て四国を右廻りに遍路の旅が始まる。この句は霊山寺に詣で、これから出掛ける旅の平穏を祈り、菩提への発心をしっかりと確めたのである。この句は「発心の呼吸整へ」と呼吸を整えたことに焦点を当てたところが巧みである。深く呼吸をして、長い遍路の旅への覚悟をもう一度確かめた姿を描いたところが佳い。霊山寺を出てからは、室戸岬の近くまで阿波の国を歩き続ける。阿波遍路の旅が続く。阿波遍路という言葉の明るい響も佳い。

 

  村分かつ道吹き抜けし春一番★中田 秀平  

 二つの村を分ける道が一本真直ぐに伸びている。立春も過ぎ暦の上では春とはいえ、まだ余寒の日日が続いていると思っていたところへ、急に強い暖かい南風が吹いて来た。これは春一番だと見ていると、村を分ける一本道を力強く吹き抜けて行ったのである。村を分けたり町を分けたりする道はどこにもあるし、春一番も南は九州から北は北海道までどこでも吹く。しかしこの句は北海道の広い大地にある一本道であると思う。広い平野を真直ぐに遠くまで伸びている一本道、その両側にある広々とした村二つ、そこを春一番が吹き抜けて行く。広大な北海道を描き、春が来た喜びを詠ったところが佳い。


  啓蟄や隣りは人の住み変り★佐々木白雲  

 みちのくも奥の岩手の冬は雪深い。雪に覆われて冬の間近所の人々、隣人とのつき合いも疎遠になる。その岩手にもおそい春が来て啓蟄の日を迎えた。家の外へ出てゆっくりと近所を散歩してみたところ、隣りは何時の間にか人が住み変っていたのである。そう言えば隣人は近日中に引越しするという挨拶に来たのだが、こんなに早く住み変ってしまったことに驚いたのである。この句で隣人が入れ変ったことを啓蟄の日に見つけたところが面白い。啓蟄に出て来た虫も昨年の虫ではなく、すっかり入れ変ったように、隣人も変ってしまったのである。そこがこの句の面白さである。


  暮れ泥む記紀の山際朧月★竹田 正明  

 大和を中心に関東から九州まで古事記や日本書紀に登場する山河がある。その記紀に語られている山の際が春になり夕暮が長くなってきたと思っていると、山際に朧月が上って来たのである。どのような山でも同じような光景が見られるであろう。しかしこの句では記紀の山を強調したことにより、古代より語り継ぎ言い継ぎしてきた日本人としての懐かしい山の姿が浮び上ってくるところが佳い。「記紀」という言葉がこの句に親しみを与えていると思う。


  殊の外鴟尾煌めけり鳥の恋★金田ふじ江  

 鴟尾は古代の瓦葺の宮殿や仏殿の大棟の両端の飾で、石や瓦で造ったものである。時には銅で造ることもあった。沓の形をしていて沓形と呼ばれることもある。飛鳥時代から用いられており、奈良・平安の建物にも用いられた。鴟は怪魚の一種で雨を降らす力があると信じられ、防火の力があると考えられた。(「ブリタニカ」による。ただし通常鴟はとび、猛鳥を意味する。)夏も近く、日の光も強くなった頃、その鴟尾が常よりも煌めく日だと思いながら、鴟尾を見ていると、鳥が盛んにっているのに気が付いたのである。鳥も明るい日光と、それを受けて煌めく鴟尾の輝きを楽しんでいる様子が、佳く感じられる。晩春の季節感が佳く出ている句である。


  貝寄風や博多仁輪加の紙の面★佐藤 博子  

 仁輪加とは俄狂言であり、素人が演じる即興の喜劇のことである。博多仁輪加(博多俄)は博多の祭礼に行われる即興の寸劇で目鬘をつけて踊る。目鬘とは紙に髪や眉を描き、目を大きく切り抜いて、紙の両端に紐をつけ耳に掛ける。この句の紙の面とはこの目鬘のことである。私は久しくこの博多俄を見ていないが、私が見たのは大変滑稽な寸劇であり、観客が大喜びで見ていた。今でも行われるのであろう。三月、春もたけなわの頃春祭が行なわれ、そこに貝寄風が吹いて来る。その中で仁輪加が演じられているのである。博多という港町の活気が佳く描かれている。博多仁輪加の紙の面に注目したところが佳い。


  長城を一途に辿る猫の恋★早川恵美子  

 万里の長城の歴史も長ければ、距離も長い。東は山海関から西は嘉峪関に到る。この猫が辿る長城はそのどの辺りであろうか。北京の北西部の八達嶺であろうか。私はもっとひなびた嘉峪関の近くを思った。どこであろうと長城へ登るには階段のある所へ行かねばならないし、そこからそれ程遠くまでは普通行かない。ところが恋猫となればがむしゃらに、どこといえど一途に長城へ登り、遠くまで辿って行くのである。恵美子さんは、長城に遊んだ時、このように一途な恋猫に出会ったのである。そしてその一途に鳴きながら歩いて行く姿に感動したのである。歴史的ロマンに溢れる長城を舞台に、ひたすらに歩く恋猫を描いたところが佳い。


  海の青空の青もつ鰊かな★澁谷 さと  

 鰊は春告魚と呼ばれる。春になると北海道の近海に鰊が回遊して来る。その頃空が曇ることがあるがそれを鰊曇りと呼ぶ。鰊の背部はすこし暗い青色である。そこで青魚とも呼ばれる。この句で、この美しい青色を持つ鰊が海の青と、空の青との両方を持っていると強調したところが佳い。蜻蛉が空の青を持っているとか、秋刀魚が海の青を持っているとか言う俳句は多いが、両方の青を持っていると言ったところがこの句の佳さである。鰊と言えば鰊曇りの空や、早春の空の青さを思う一方、鰊が泳いでいる海のやや暗い青さを思い浮べる。そのような気持ちを大らかに詠ったところが佳い。


  地虫出づ狐の嫁入りほどの雨★秋本 弘子  

 春になり蟻や蜥蜴が冬眠から目を覚まして巣穴から出て来るのを見ることは、人間にとっても大変嬉しいことである。やっと春になったという思いは、虫も鳥も、獣も人間も共通である。明るい日の輝く土の上を喜んで歩いている地虫の姿を見ていると、急に雨がぱらついて来たのである。温かい春の光の中に降る明るい雨、それもぱらぱらと降るぐらいで濡れてもかまわない程度の雨である。蟻たちもむしろ喜んでいるみたいである。天も狐の嫁入を楽しんで降らしているようである。この句の明るい童話のようなところが佳いと思う。南国の光景である。


  くりかへし群れる雀や木の根開く★吉能 英治  

 北海道や東北など雪が多く、冬の長い地方では、春の訪れが本当に嬉しい。私もニューヨークのロングアイランドで暮していた頃、春が待ち遠しかった。雪掻きをしなくてよいと思うだけでもほっとし、自動車の運転も楽になるぞと嬉しかった。庭の木の根のまわりの雪が融け、土が見えてくると人間だけでなく雀や兎や栗鼠も大喜びしていた。この句では、木の根の開いた所へ、群雀がくりかへし来る姿を、描いているところが具象的で佳い。「木の根開く」という季語に適切な例句が加えられたことを喜んでいる。