十人十色2016年3月

  

ガブリエルの大きな翼冬ぬくし★石川由紀子  

ガブリエルは旧約聖書や新約聖書に登場する天使である。天使には九階級あり第八階級は大天使と呼ばれるが、ガブリエルはその一人である。神意を伝える役割を担っていた。旧約では預言者ダニエルに現れ、新約ではマリアに現れてイエス・キリストを受胎したことを告げている。冬でも温かい日だと思っていたとき、ガブリエルが大きな翼で現れたと感じたところが佳い。ガブリエルの絵が壁に掛けてあり、その部屋が冬なのに温かかったのであろう。マリアに受胎を告げに来た日は三月二十五日とされ告知祭と呼ばれる。この句はガブリエルが受胎告知の準備のために地上に降り立ったようなところが面白い。


初雪や足跡つけて花買ひに★新保 文子  

大雪は雪掻きが大変であり、道を歩いたり車を操縦するのが大変である。しかし初雪は楽しい。初雪がうっすらと道を覆っている。その上に足跡をつけて歩いてみるのは子供と言わず大人でも楽しい。しかも花を買いに行くとは何とも心が弾む。
雪国に住む人にとってやがて来る大雪のことを思わないわけではないが、初雪は心が弾むのである。そのような気持ちが佳く描かれている。私もニューヨーク郊外に住んでいた頃、初雪は嬉しかった。初雪を踏みながら門の所まで新聞を取りに行き、自分の足跡がくっきりつくのに驚いたものであった。


指ほどの熊手に手締めにぎやかに★田辺 幸子  

酉の市の光景である。熊手が買われる度ににぎやかに手締めが行われる。熊手の買手の名前が飾られていることもある。その名前に有名人がいたり、知人の名が書かれたりしていることも楽しい。熊手には大きなものもあるが小さなものもある。それも指ほどの小さなものが売れたのである。しかし手締めには大小の関係はない。指ほどの小さな熊手であるからこそ手締めが一層にぎやかであったのである。庶民的な酉の市の雰囲気が佳く描かれている。


四季咲き薔薇も冬の蕾は小さくて★石原千圭江  

春夏秋冬それぞれの季節に花を咲かせる薔薇が、冬も咲こうと蕾をつけたのである。でもやはり冬である。どことなく蕾が小さいと感じたのである。四季咲きの薔薇の蕾の大きさにある微妙な差を発見したところが佳い。四季咲き薔薇を愛し、注意深く面倒を見ている人の眼がきいている。千圭江さんは九十五歳であるが、このように鋭く若々しい眼で自然を見、四季の変化を楽しんでおられる。ますます矍鑠と若々しい句を作って下さい。


豆しぼり九十二歳の秋祭り★津志田エヤ  

豆絞りの手拭を持って颯爽と秋祭に出掛ける自画像である。しかも九十二歳の秋祭とはめでたい。子供の頃からこの秋祭を楽しんだにちがいない。九十二歳になっても元気そのもの、秋祭には元気一杯で参加するのである。「豆しぼり」と持ちものを具体的に描いたところが佳い。そしてまた「九十二歳」ときりっと言い放ったところも勢いがある。ますますお元気で来年も再来年も百歳までも秋祭を楽しんでいただきたい。


綾取の紐を残して妻逝けり★日下 久翁  

最愛の夫人を亡くされた慟哭の句である。妻が時々孫を相手に遊んでいた綾取の紐が生前のままに残っている。それを手にして生き生きと綾取をとっていた妻はこの世を去ってしまった。最後までそばにおいて楽しんでいた綾取の紐を見ると、妻の姿が眼前に浮んでくるのである。この句にはどこにも悲しみの言葉があらわには書かれていない。しかしその客観的な表現の裏に深い悲しみが滲んでいる。それが俳句の美である。御夫人の御冥福を心から御祈り申し上げる。


下校児に置いてけぼりの雪達磨★佐藤笳寿子  

校庭に雪が積った。休み時間子供達は大喜びで雪達磨を作って遊んでいた。放課後は子供達は一せいに家へ帰ってしまい、雪達磨は置いてけぼりにされているのである。雪達磨がしょぼっとしている様子が見えてきて面白い。早く明日が来ないかな、明日になれば又子供達が来て遊んでくれるだろうと待っている雪達磨の姿が、雪国の小学校の校庭らしい。明るい楽しい句である。


篁のそよりともせず神還る★大屋 郁女  

神無月も終り頃、出雲から神様が還って来た。しかし竹藪をそよりともさせず静かに還って来たようだ。神迎えをしている人々が神様が還って来るときは、風に乗って来るかもしれない、否、光がさすかもといろいろ期待していたにもかかわらず、竹藪すらそよりともしないうちに、静かに神様は還ってきてしまったというのである。童話のような面白い話である。一つの神社の氏子達が神迎えを終えた後で、静かな神迎えであったと語り合っているような雰囲気が佳く描かれた句である。

冬蜂の遅れて着けり浄土門★田崎 桂子  

この句の浄土門をどう解釈すべきか私は迷った。浄土門とは、修行して自分の力で悟ろうとする聖道門に対して、阿弥陀仏の力により浄土に往生しようという教えである。一方もしかしたらある寺に幾つかある門の一つの名前が浄土門かもしれない。私はこの二番目の考えを採りたい。見晴らしの良い明るい地点にこの浄土門がある。その門をくぐると美しい庭があり阿弥陀仏が祀られている本堂があるのである。この浄土門へ凍蝶なども飛んで来て、今生の最後を迎えようとしている。そこへ冬蜂が飛んで来た。他の虫よりゆっくり遅れて来たが、やはり阿弥陀仏の力を借りようとしている。静かな明るい光景を写生して成功した句である。


長き夜の漁火に酔ふ露天風呂★野中 一宇  

海岸にある露天風呂をゆっくりと楽しんでいるのである。秋の長い夜の沖の方には漁舟が点す漁火が見える。風呂に入りながらその漁火の点滅を見ていると、気持ちよく酔ったような気持ちになるのであった。海辺の露天風呂から眺める漁火、それはまさに平和な日本、自然に恵まれた日本を象徴するような美しい光景である。ゆったりと秋の夜長を楽しんでいる様子が漁火の美とともに佳く描かれている。