十人十色2018年2月

  


     円仁の求法の旅や冬の暮★夏   瑛 

 円仁は西暦七九四年(延暦一三)に下野に生まれ、八六四年(貞観六)延暦寺で亡くなった。最澄に学び八三八年(承和五)遣唐使藤原常嗣に同行して唐に入国した。短期滞在の許可を変更し苦労して長期滞在の許しを得て、五台山等で修行し顕教・密教を学んで八四七年帰国した。延暦寺第三世座主となり天台宗山門派の祖となり天台宗の密教化に影響を与えた。その「入唐求法巡礼行記」は優れた旅行記である。そこに円仁がどのような苦労を重ねたか詳しく述べられている。
 私は日本駐在大使であり円仁の研究者であったライシャワーの著作で始めて円仁のことを知り、その後この「入唐求法巡礼行記」を読み熱烈な円仁ファンになった。円仁は立石寺(山寺)など多くの寺を創立している。夏瑛さんがこの円仁をよく調べ、円仁の求法の旅の喜びと苦労を思いやり、五台山などの冬の暮に円仁がどんな気持ちだったろうかと思いこの句を作ったところが佳い。夏瑛さん自身も日本に留学中であり円仁の気持ちをより深く理解出来るのである。

   みの虫に古裂着せかへ遊びし日★加藤 昌子  

 蓑虫はミノガ科の蛾の幼虫である。自分自身の体から分泌した糸で、樹の皮や枯れ葉などの細片を綴って袋のような巣を作ってその中に棲んでいる。枝にぶら下って冬を越し、雄は春になると蛾に成って外へ飛び立つが、雌はこの巣の中に止まり一生を送る。昌子さんは子どもの時代古裂などを使って蓑虫の巣を作り変えてやったのだそうである。他にもそのような遊びをしたと言う人がいた。幼虫が作った枯れ葉の蓑より丈夫で美しいものであったろう。生物の命を奪わずそれを助けやるような遊びをしたことが楽しい。佳い思い出の句である。

   海見るまで伸びるつもりや立葵★小倉 晶子  

 立葵は二メートルに達するくらい高々と伸びる。下から上に順に花が開いてゆく。紅や白、紫とさまざまな色で咲く。紅にも濃いものと薄いものがある。花が咲くのは六月から八月にかけてである。どんどん伸び花が下から先の方へ登って行く姿を見て、海を見るまで伸びるつもりなのだと感じたところが面白い。夏の炎暑に負けず美しい花を咲かせる立葵の生命力を佳く表現している。海の青さも目に浮かばせてくれるところも佳い。

   大根の美しき切り口一葉忌★中澤マリ子 

 大根を切ると切口は純白でみずみずしい。大根は世界中どこにもあり、美味である。庶民的な野菜であり日本でも古代よりすずしろとして春の七草の一つと数えられ、親しまれてきた。樋口一葉は「にごりえ」や「十三夜」によって作家として出発、名作「たけくらべ」で女流作家の第一人者として注目されたが病弱で若くして亡くなった。作家としての生計はなかなか苦しかったであろう。従って大根のような野菜を愛用したに違いない。大根を料理しながら、その日十一月二十三日が一葉忌だと気付いたのである。下町の人々の喜怒哀楽を描いた一葉の忌日らしい佳句である。

   鳥渡る蛇行の河の城あまた★松浦 泰子 

 この句を始めて見たとき、これはヨーロッパの河であるに違いないが、どの河かと考えた。そしてすぐライン河であると確信したのであった。スイスのアルプスに源を発してボーデン湖の南東に入り、西へ流出しドイツ、フランスを北流してオランダへ入り、北海に注いでいる。その河沿いに多くの城がある。特にドイツのマインツの西方のビンゲンからコブレンツの間は狭い切り立った渓谷で沢山の城がある。有名なローレライの岩もこの間にある。その辺りはまさに蛇行が続いている。ライン河が蛇行し幾つかの城の見える辺の空を鳥が渡って行く。そのようなロマンを感じさせてくれるところが佳い。

   ラップランドの極夜にとはの冬北斗★武井 典子

 ラップランドはスカンディナヴィア半島の北辺であり、ほぼ北極圏に入る。そこにはラップ人が住んでいる。ノルウェーやスウェーデンそしてフィンランドの北部である。この北極圏内の地帯は夏は一日中昼間である。夜も太陽が沈まない白夜である。逆に冬は一日中太陽が出ない日々が続く。それをポーラー・ナイトと呼ぶ。これが極夜である。ラップランドでは冬は一日中夜で北斗星が輝いている。その様子を描いたところが佳い。

  魴鮄の朱の色残る一夜干★佐久間裕子 

 魴鮄は全長が四十センチメートルぐらいで、体の色は紫赤色である。胸鰭は大きく鮮やかな青色で美しい。海底を歩き廻って餌を探る。その魴鮄の風味を増すため一夜干にしたのである。一夜干にしても魴鮄の朱の色がまだ美しく残っている。冬の冷風にさらされても残っている朱の色のあざやかさが佳く描かれている。

   「大丈夫ですか」お言葉賜はる秋叙勲★三谷 惠一  

 三谷惠一さんは岡山大学の理学部教授として優れた研究と教育の業績を残された。それに対し昨年の十一月「瑞宝中綬章」を与えられた。皇居で天皇陛下に拝謁し、天皇より「大丈夫ですか」と御言葉を賜わったのである。惠一さんは最近病身であったことを天皇は御存じで、このような御言葉をお述べになったのかと思う。今上天皇の御優しさが見事に感じられる句である。三谷惠一さん本当にお目出とう御座居ました。御健康を完全に回復され、また大いに研究に励んで下さい。それが天皇のこの御言葉にお答えする一番良いことだと思います。

   木の実落つ音を数へて山不眠★田中 九青  

 秋になり木の実が盛んに落ちる時節が来た。団栗や栗など沢山ある豊かな山の光景である。栗拾いなどに来る人も多いし、鳥や獣も木の実を拾ったり食べるのに忙しいのである。山も落ちて来る木の実の音を数えて楽しんでいるようで、もうすぐ冬になりそろそろ眠る準備をする時期なのに、とても眠るどころでないのである。木の実が沢山ある明るい山の様子をユーモラスに描いたところが優れている。


   遅々としたままの断捨離冬立てり★荒川勢津子  

 物の溢れる時代、なかなか片付けが出来なくて困ることが多い。特に戦中戦後の物資が乏しかった時代を経験した人々は、何でももったいないと捨てずにとっておく習慣が身に着いている。私もその最たる者の一人である。それに対して断固として捨てろという断捨離という手段が推奨されている。勢津子さんもすぱっと断捨離しようとしても、なかなかその決断が出来ないまま冬になってしまったと言うのである。私もその気持ちが良く分かる。同病相憐むべし。同じように捨てられない人々が同じ気持ちを持つに違いない。明るい雰囲気を感じさせるところが佳い。