十人十色2018年12月

 

   浴場は古代羅馬や星月夜★武井 典子

  温泉が好きなのは日本人だけでなく、イタリア人も古代から好きであった。イギリスのロンドンの西部にバースという街がある。西暦前五八年から数年にわたりローマ軍は英仏海峡を越えて英国のスコットランド近くまで遠征した。この時ロンドンの西の街で温泉を発見し、そこに浴場を作った。この街は「バース(浴場)」と呼ばれている。勿論古代ローマ時代の浴場がローマにも作られ、現在も残っている。そのような歴史から浴場というと古代ローマを思い出す人も多いであろう。この句は星月夜の美しい空の下の、ローマの古代浴場の姿を描き古代ローマの繁栄を想像しているのである。ロマンのある句である。

  一枚の真新の布巾今朝の秋★大屋 郁女

  毎日の生活、特に食事において布巾は大変貴重である。特に食器類を洗ったあとそれを拭くにはかかせない。食器類や食卓などを清潔に保つためには常に布巾を清潔にしておかねばならない。長い炎暑の間、洗いに洗って布巾も少々いたんでしまった。そこで布巾を一枚真新しいものにした。その朝この新しい布巾を使い始めた時、さっと涼しさを感じたのである。その瞬間今朝から秋なのだと思ったのである。今朝の秋らしい感覚の鋭い新鮮な句である。
  
  石切りの唄の昔や秋時雨★野中 紀郎

  紀郎さんは石工の名人である。毎日石を丁寧に細工しておられる。山に行って石を切り出したこともあったであろう。と言うより、山で切り出してある石から自分の細工用のものを選びに行くことが多いであろう。その時石切りの現場で昔は石切り唄をよく聞いたのである。秋時雨の日小屋で石の細工をしていると、どこからか石切りの唄が聞えたような気がしたのである。そしてそれは昔聞いた唄だと思い出したのであった。秋の時雨らしい静かな雰囲気が描かれているところが佳い。

   灯火親し決めかねてゐるわが遺影★和田とし子

  傘寿、米寿、卒寿と年齢を重ねてくると、時々昔の写真を見て、若い時代、中年時代、そして近年と自分の歴史を振り返りたくなる時がある。その際これは自分らしさが一番出ている写真なので、孫や子を始め親しい人に残しておきたいと思うことがある。とし子さんは自分の遺影としてはどれが良いかと考えたのだが、あれかこれか決めかねたというのである。その様子が若々しい。もっと良い写真を撮ってもらう機会がこれからまだまだあると思って下さい。人生百歳の時代これからも御元気でこういう佳い句を沢山作って下さい。

   長江の朝霧晴れて白帝城★金子  肇

  揚州付近では揚子江と呼ばれている長江は、中国で最も長い川であり、ナイル川、アマゾン川に次いで世界第三の長さである。全長は六三八〇キロメートルもある。源はチベット高原上の青海省の唐古拉(タンラ)山脈であり、チベットと四川省の境を流れ、上海で海に入る。途中重慶市近くに長江三峡と呼ばれる景勝があり、白帝城はそれを望める所にある。李白の名詩に「朝に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵 一日に還る 両岸の猿声 啼きてとどまらざるに 軽舟己に過ぐ 万重の山」と詠われている。この句では長江の朝霧が晴れ、忽然と白帝城が現れた美しさを描いたところが佳い。

   のぼさんのミットにこぼる鰯雲★熊谷 幸子

  のぼさんは正岡子規のことである。子規の本名は常規(つねのり)であるが、幼名は始め処之助(ところのすけ)で後に升(のぼる)と改めた。一八九〇年(明二三)九月(東京)帝国大学文科大学哲学科に入学、翌年国文科に転科した。この頃ベースボールに熱中した。ベースボールは一八七二年(明五)に、東大の前身である第一大学区第一番中学でアメリカ人教師が生徒に教えて始った。ベースボールを野球と訳したのは中馬庚で、一八九四年のこと。子規はそれより早く幼名のぼるをもじって、ベースボールを野球(のぼーる)と訳し、かつそれを雅号として用いたのである。この句では、のぼーるさんが使ったミットに鰯雲がこぼれるようだとしたところが佳い。

   湖ひとつうづみのこして花野かな★中島 正則  

  広々とした平野が広がっている。そしてその一面が花野である。その大きな花野の中に湖が一つあながあいたようにある。あたかも花野がうずめ残したように、大きな美しい光景を描いたところが佳い。この「うづみのこして」という表現は、蕪村の「富士ひとつ埋み残して若葉かな」に使われている。蕪村の句は勿論素晴らしいが、この花野の句も、花野らしい明るい句である。類句類想はしばしば批判されるが、和歌の世界では先行する名歌の一部を用いることを本歌取として、積極的に用いている表現技法である。西洋詩や音楽でもパロディー(もじり詩)と呼ばれる手法である。

   秋の風乾びて痩せし十団子★前川美千代

  十(とう)団子は静岡県宇津谷峠の麓で江戸時代売っていた名物である。色は赤・黄そして白色の三種があり十個ずつ竹串に刺してある。現在でも売られているのであろう。宇津の山は静岡市の丸子と岡部町の境にある山で、東海道がその山の宇津谷峠を通っている。夏の間盛んに旅人が越した峠も秋風が吹く頃になると少々淋しくなる。名物の十団子も売れずに乾びて痩せてしまうのがあるのであろう。その様子を詠ったところが佳い。丸子(まりこ)は静岡市内にあり東海道の宿場の一つであった。とろろ汁が名物で、芭蕉の「梅若葉鞠子の宿のとろろ汁」で有名である。

   ホームズと謎解きて子の休暇果つ★永野 裕子

  ホームズは勿論コナン・ドイルの推理小説シリーズで活躍する私立探偵シャーロック・ホームズのこと。その相棒がワトソン博士。少年少女、特に少年が熱狂して読む小説である。裕子さんのお子さんも夏休み中この推理小説の事件の謎の一つ一つを自分でも解きながら、ホームズはどうしただろうと競争するようにして読んだのである。そうして幾つかの謎を解いたところで、夏休みが終ったのであった。自分もそんな体験があったと思う人がきっと多いであろう。夏休みの終りの雰囲気が佳く描かれている。

   ブルージュの森は中世秋深む★堀場美知子

  ブルージュはベルギー西部の街、ハンザ同盟の中心地として一四世紀に大いに栄えた商業の中心地である。初期フランドル派絵画の中心地として知られている。北海沿岸の港ゼーブリュッヘとの間に運河が通じている。四十七もの鐘を持つ鐘楼や、一二世紀頃建てられた大聖堂もあり、まさに中世の雰囲気を残した美しい街である。その街の森もどことなく中世の光景がある。この静かな森に入って秋の深さをしみじみと感じたところが佳い。ブルージュは世界文化遺産に登録された。私も近くのゲント(ヘント)市の大学へ何回か講演や研究連絡に行く度、ブルージュへ足を伸ばした。思い出深い街である。

謹悼
  中田 征二氏 (大阪府・同人)
    平成三十年十月九日逝去
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。