十人十色2018年1月

 

  星月夜蚕魂ねむらす数へ唄★斎川 玲奈

  蚕は四月中下旬に孵化し、桑の葉を食べつつ休眠脱皮を繰返す。その上で糸を吐き出し繭を作る。これが春蚕である。七月上旬から中旬に上蔟する夏蚕、そして秋に育つ秋蚕もあるが、糸の量も質も春蚕が一番である。蚕を育てるには良く休眠させなければならない。そこで蚕魂をねむらせる数え唄があるのであろう。秋蚕は美しい星月夜にねむらせるのである。星月夜に蚕たちがゆっくり眠れるように歌っている数え唄が蚕小屋の方から聞えてくるのである。平和な農村の光景が佳く描かれている。第二次世界大戦の始まる前、私は神奈川県の相原村字橋本(現在の相模原市)の小学生だった。その頃の相原村の桑畑や、農家の蚕小屋を懐かしく思い出した。

   亡き妻の部屋を隈無く月明り★八木 東峰

  一部屋を隈無く月光が照らしている。美しい月夜である。その部屋は心から愛し、長年生活をともにしてきた亡き妻の部屋であった。きちっと片付け清らかに生活をしていた妻の部屋であったと、しみじみ思い出にふけっているのである。愛妻家である優しい東峰さんの妻への思いが、月明りの美しい部屋を見ることによって、一層深まって行くのである。この句は東峰さんの御夫人に捧げる美しい挽歌である。御夫人の御冥福を心よりお祈り申し上げる。

   刃拍子や老婆のくりや里の秋★川本  澄

  澄さんはお元気で台所仕事が大好きなのである。畑でとれた野菜や、お宅のある優れた漁港銚子の魚を料理することを楽しんでおられる。特に爽やかな秋の夕方良く切れる包丁で食材を刻んでいると、刃の拍子が美しく弾んで来るのである。静かな里の秋を楽しみ、厨の仕事に励む澄さんの明るい姿がよく描かれている。澄さんますますお元気で、毎日の生活を楽しく過ごして下さい。

新走ぶかつかうなる焼さんが★佐久間裕子

  「さんが」は鰯などの小魚を包丁でたたいて、味醂などを混ぜ合せて焼いた料理である。銚子など千葉県の海岸地帯での料理である。私も小学三年生の夏まで銚子に住んでいたので、懐かしい食べものである。新酒が出た。それに合せて焼さんがを食卓にと思って料理したが、ちょっとぶかっこうになってしまったのである。しかし新酒を飲みながらの焼さんがの味は素晴らしい。恰好が少々わるい方が目にも楽しい。「此の焼さんが面白い恰好だね」とか言いながら、新酒を味わっている一家団欒の様子が見えてきて楽しい句である。

山荘へつづく白樺月夜かな★和田とし子  

 白樺林があって山荘というと軽井沢あたりであろうか。軽井沢であれば近くに月光に照らされた浅間山が見えるであろう。明るい月夜の道を山荘へたどって行くと、その道の周辺の白樺林も月明りで美しく輝いている。とし子さんは九十三歳であるが矍鑠としておられる。避暑地へ行かれてもこのように夜道を散歩して楽しんでおられるのである。人生百年の時代のチャンピオンとして、お元気で若々しい俳句をどんどん作って発表して下さい。   

白波のこゆるぎの浜新松子★大倉由紀子

    小余綾(こゆるぎ)の磯とは神奈川県の大磯町付近の海浜である。古来歌枕になっていて
   君を思ふ心を人に小余綾の磯の玉藻や今も刈らまし(後撰集
などと歌われている。そのこゆるぎの浜に沖から白波が美しく打ち寄せて来る。そして岸辺の松の木に新しい松毬が豊かに育っている。白波の白と新松子の青さが美しく照応している。こゆるぎの浜の風景が佳く描かれている。このような風景をどんどん俳句で描いて欲しい。

   菊酒汲む江戸の賑はひ蘭館に★石尾眞智子

  この蘭館とは長崎市の出島にあるオランダ人のカピタンが住んでいた館である。出島は初めポルトガル商人を置くために造られたが、鎖国以後オランダ人が住み、唯一の貿易地となっていた。そこには江戸時代日本人の商人や蘭学者が大勢おとずれて賑わっていたのである。今も観光客などで賑わっている。丁度重陽陰暦九月九日のこと菊酒を皆で飲んで楽しんでいるのである。現在は菊酒を重陽に汲むことは廃れたが、この蘭館には今もその伝統が残されているのである。長崎の出島らしい光景が佳く詠み込まれている。

   秋遍路歩幅ゆるめず歩みをり★友澤 恭子

  四国のあちらこちら、特に松山の石手寺あたりでは春の遍路は勿論、秋遍路の姿も多い。その中には四国八十八ヶ所霊場の出発点徳島県の霊山寺から歩き始めた人もいるであろう。にもかかわらず秋の爽やかさもあって遍路が歩幅をゆるめず颯爽と歩いているのである。遍路の旅は香川県の大窪寺で終る。松山まで来ればもう少しで終れるという喜びもあって、元気が出るのかもしれない。松山の辺りの秋遍路の姿が佳く描かれている。

   考ふる葦となりけり糸瓜の忌★今山 美子 

  人間は考える葦だと言ったのはパスカルであった。パスカルの死後刊行された「パンセ」(フランス語で思考という意味)に書かれている。パスカルは一六二三年に生れ一六六二年に亡くなった。三十九歳の若さである。正岡子規は三十五歳で亡くなったから、それよりはパスカルの方が少し長く生きたとは言えるがでも若死に近い。二人とも良く考えよく論じよく書いた人である。この句で子規が考える葦の一人であったと言ったところが面白い。

   黒々と零余子大振り狗奴国(くなのくに)★早川恵美子 

  魏志倭人伝によれば弥生時代の倭の一国として狗奴国のことが書かれている。狗奴国は邪馬台国の南にあったという。狗奴国は男の王がいて、女王が治めていた邪馬台国と対立していたという。その狗奴国があった所といわれている土地を訪ねてみると山芋の葉のつけ根に沢山零余子が生じていたのである。しかもそれが大変大きかった。きっと狗奴国の住人は食料として大切にしたであろうと思いながら、黒々とした大きな零余子を見ているのである。零余子を伝説の国狗奴国と結びつけたところにロマンがある。