十人十色2019年3月

 

   京野菜きつちり並び歳の市★中村 光男 

  京野菜とは京都の周辺で昔から栽培してきた野菜である。聖護院大根、賀茂茄子など地名や寺院名がつけられているものがある。聖護院は左京区にある本山修験宗の総本山である。この寺の名を持つ野菜にもう一つ聖護院蕪菁がある。京都名産の千枚漬はこの蕪菁を漬物にしたものである。京野菜の一つ壬生菜は水菜の一品種であるが壬生が原産である。京都の年末の市場に行くと、このような京野菜が沢山しかもきっちり並んでいるのである。新年の用意に様々な品物が並べられ、そこに大勢の京都の人々、そして旅行者が集って来る。その市場の京野菜に注目したところが佳い。京都の歳の市の光景をよく描いている。

   貼り替へし障子明りに阿弥陀仏★中島 正則 

  阿弥陀如来は西方極楽浄土にいて衆生を救済してくれる仏である。八世紀後半の聖武天皇光明皇后が阿弥陀仏を特に信仰され、一般の人々の間にも阿弥陀信仰が高まった。平安中期から後期には浄土教が盛んになり多くの阿弥陀堂が建てられた。京都府宇治市の平等院鳳凰堂とか大分県豊後高田市の富貴寺大堂が有名である。京都や奈良そして滋賀の辺には阿弥陀を祀った寺が多い。そのどれかを正則さんはお詣りしたのである。そうしたら丁度障子が貼り替えられたばかりで、障子明りに阿弥陀仏が明るく輝いていたのである。いかにも庶民的な慈悲深い阿弥陀らしい雰囲気がよく描かれている。

   倫敦の下宿屋の灯よ漱石忌★遠藤 容代 

  夏目漱石は帝国大学(現東京大学)の英文科を卒業後、東京高等師範学校(東京教育大学・現筑波大学)、松山中学そして熊本の旧制第五高等学校(現国立熊本大学)で英語教師を勤めた。そこで文部省留学生としてイギリス留学を命じられて満二年ロンドン生活を送った。そのロンドン滞在中親友正岡子規の死を知ったのであった。ロンドン留学はあまり楽しくなかったようであるが、グラスゴー大学へ留学中の日本人学生のため日本語の試験官になったりしている。味の素を発明した池田菊苗がドイツ留学中ロンドンを訪ね漱石を慰めたのもこの下宿屋であったかも知れない。容代さんは十二月頃この下宿屋の灯を見て漱石忌を思い出したところが佳い。

   打瀬舟星の入東風真帆に受く★西田 青沙 

  星の入東風は畿内や中国地方の船人が用いる言葉で陰暦十月の中旬頃に吹く北東風である。その風が打瀬(うたせ)舟の三角の帆に当っているのであった。星の入東風を受けて大きく真白な三角の帆が開いている景色が美しい。また星の入東風という懐かしい季語を用いたところも佳い。ところで青沙さんはこの打瀬舟をどこで見たのであろうか。一九六〇年頃は東京湾でよく見られたが、現代は全く見られない。今は北海道の野付湾や熊本県南部の芦北町に残されていると聞いた。芦北町は八代海に臨む風光明媚な町である。私は八代海に浮ぶ打瀬舟を想像したのである。

   老軍鶏の蹴爪一閃銀杏散る★後藤  敬  

  軍鶏は丈が高く気性が烈しいので闘鶏に用いられる。しかし観賞用にもなるし肉も美味である。タイ原産のアシール種を闘鶏用に改良されたといわれ、暹羅鶏(シャムロケイ)がシャモになったのである。この暹羅はシャムまたはシャムロと読むが、タイ王国の前名シャムにあてた漢字である。一羽の軍鶏がその鋭い蹴爪で大地を蹴った一瞬に、銀杏が数枚散ったのである。いかにも蹴爪の一閃によって銀杏の落葉が始まったようである。しかもこの軍鶏はもう老いている。にもかかわらず銀杏落葉をうながすような力を持っていると見たところが佳い。

   神留守の昼より混みし神谷バー★江川 博子  

  神谷バーは浅草観音の近くにあるバーで大変人気がある。浅草を吟行すると必ずと言ってよいくらい誰かが神谷バーの句を作る。又かと私は神谷バーの句に対して厳しいのであるがこの句は神の留守という季語を使って成功している。厳しい神々が留守を幸いに、人間達は昼間から神谷バーで飲んで楽しんでいるというところが面白い。しかもバーの名前が神谷である。そこにもまたウイットがある。なんとなく神谷バーには普段は神が居て見守っているように見えてくる。この句にはそのような滑稽な味があるところが佳い。

   眼鏡新調弾む心にクリスマス★太田 絢子  

  近眼の度が進んだりして眼鏡を新しくしなければならないことがある。または眼鏡の枠が壊れることもある。眼鏡屋に行けばすむことではあるが検眼をする時間が長いと困る。十一月頃になると更に何かと忙しい。それでもやっと仕事の合間を見付けて眼鏡屋へ行き、眼鏡を新調したのである。新しい眼鏡で周りがすっかりよく見えるようになり、心が弾む日々になった。もう十二月も半ばでクリスマスも近い。このよく見える眼鏡であればとクリスマスを待つ心も弾むのである。眼鏡を新調した喜びがよく伝わって来る句である。

   首ゆるる張子の虎や神農祭★久保田悟義  

  神農は中国古代の伝説の三皇の一人である。三皇とは伏羲、女媧と神農である。神農は人身牛首で民に農作を教え、百草をなめて医薬を作ったので医師や薬屋は医学の神として祀っている。日本では少彦名神を薬の神としているので、少彦名神を神農さんとして祀っていた。それで大阪市道修町の少彦名神社では十一月二十二日二十三日に神農祭を行う。この祭には五枚笹をつけた張子の虎のお守りが売られる。その張子の虎を買って手に持ったらば、首がとてもよく揺れるのであった。神農祭の雑踏の中を張子の虎を持って歩いている様子がよく描かれている。

   詰将棋一題解けし夜長かな★吉原 幸男  

  詰将棋の問題には難易さまざまあり、難しいのは本当に解きにくく解けるまで何時間も掛かる。でも面白いのでついつい時間がたつのを忘れてしまう。詰将棋に取組むのは夜長が最適である。それにしても詰将棋でも何でも難問を考えに考え抜いて解決した時は本当に嬉しい。それが詰将棋の醍醐味である。私も原子核物理学で世界中の研究者が解決しようとしている難問を幾つか解いたことがある。考えに考え抜いている時に解けたこともあったが、考えを休んでいる時、夜中とか、朝方ひょいと解けたこともあった。夜長に考え抜いて詰将棋を解いた喜びがよく伝わって来る句である。

   悪河童詫び証文や冬の古寺★大舘 泉子  

  カッパという呼び方は関東地方の方言である。ミズチとかメドチと呼ぶ地方もある。オカッパ頭をして、頭に皿がありそこに水を湛えないと元気が出ない。背には甲羅がついている。人を助けるような良い河童もいるが、だいたいは人や馬を水に引き込んだり悪さをする。その悪戯を失敗すると詫び証文を書くところが面白い。時にはお詫びの印に膏薬の作り方を教えてくれたりする。この句では悪さをした河童の詫び証文を宝物にしている古い寺を描いている。見てみたいものである。泉子さんは九十二歳ますますお元気である。これからもこんな面白い句をどんどん作って下さい。