十人十色2019年9月

 

  風涼し鴫立沢の水音かな★相沢恵美子 

  鴫立沢は神奈川県大磯町にある。西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」という歌でよく知られている。その地に鴫立庵があるが江戸時代前期の俳人大淀三千風が、西行五百年忌を記念して再興した。この鴫立沢に立つと静かに水の音がしてくるし、風が涼しく吹いて行くのであった。単なる沢ではなく鴫立沢であるところが佳い。西行の歌を思い出させてくれるし、自然の風光も美しい。単に風光を詠っただけでなく、鴫立沢という地名を詠み込んだことにより西行の歌を思い出させる力がある。

  朝涼や百塔の鐘ひびきあふ★前川美千代  

  百塔の響く街と言えばチェコの首都プラハ(ドイツ語でプラーク、英語ではプラーグ)である。プラハの旧市街は、「百塔の町」とか「黄金のプラハ」と呼ばれる。エルベ川の支流のブルタバ川の下流に街がある。この美しい旧市街は一九九二年世界遺産に登録された。多くの観光客が訪れる。「変身」という小説などで有名な小説家カフカの家が残っている。このプラハの朝は涼しい。そこへ百塔からの朝の鐘の音が響き渡るのである。百塔の街の夏の朝の涼しい光景が佳く描かれている。

   薄日より笑翡翠の四五羽かな★嶋村 耕平

  嶋村耕平君は筑波の研究所で研究している。この一年程はオーストラリアの研究所へ招かれて活躍している。オーストラリアは自然が豊かで、カンガルーなど面白い動物が沢山いる。笑カワセミもオーストラリアの国鳥と言われるくらい沢山住んでいる。笑カワセミは「クーフーフー、ハ、ハ、ハ」と笑うように鳴く。もともとはオーストラリアの東海岸一帯に住んでいたが、今は他の地帯でも見られる。その笑翡翠が薄日の射す空から四五羽飛んで来た光景を描いたところが佳い。オーストラリアらしい光景である。

  犬猫も出でて一村田植歌★橋本  綾  

   現在は過疎化が進んだり、機械化で、昔のような田植の光景はあまり見られなくなった。それでも一村を挙げて田植をする村落もあるのであろう。この句では犬猫まで出て来て村中で田植歌を歌っているのである。小さな村落であるので、幼い子どもたちも老人も皆集められて田植歌を歌うのであるが、犬猫まで加わっているところが面白い。人声に混じって犬や猫の声が聞えて来るところが面白い。村中で田植歌を歌い、田植を始める様子が明るく佳く描かれている。

   リフォームを手すさびとして更衣★柴﨑万里子  

  着こなした衣類には愛着がある。それでもその時代に合ったものも着たい。そこで少々古くなり傷んだ古着をリフォームして、新しいもののようになおった衣をこの夏に着ることにしたのである。万里子さんはリフォームをてすさびにしていて、四季折々の着物を常にきちっと修理して、何時でも新しいもののように整えているのである。周辺の物を断捨離して整理することも必要であろう。しかし古い物を大切にし、必要があれば修理しておくことも必要である。この句には、そのリフォームを大切にしている万里子さんの生活が生き生きと描かれているところが佳い。

  わたすげのゆれおり雲の湧きあがる★今泉杏太郎  

  綿菅はすげの一種である。夏に花穂を出し多数の花をつける。穂は約一センチメートルぐらいで綿の花のように見えるので、わたすげと呼ばれる。まゆはき草とも呼ばれる。野の一面に綿菅の白い穂が広がっている。風が吹くと一斉に白い穂をなびかせる。そのゆれる綿菅の野の彼方に、これまた白い雲が湧きあがって来るのである。綿菅は信濃あたりから青森にかけての高地にある湿原地帯に生えている。従ってこの句の光景も十和田湖の周辺あたりのものかもしれない。一面に広がる白い綿菅の彼方に湧きあがる白雲、広大な自然の美を活写したところが佳い。

   オペラ果てウィーンの森の月涼し★折田 利夫 

  ウィーンは何と言っても音楽の都であり、絵画の都である。広く文化の中心であり歴史がある。様々な美しい建築物があり、森がある。パリのオペラ座が有名であるがウィーンのオペラ座も歴史がある。オペラ座でオペラを見て、その近くの森を散歩していると、森の上に月が涼しく昇っているのを発見したのである。今年(二〇一九)の夏はヨーロッパも猛暑がおそったが、例年であればウィーンの夏は涼しく生活し易い。ウィーンでオペラを楽しみ、涼しい月を見ている喜びの感じられる句である。

  羽抜鶏鶏舎に抜けし虹の羽根★南谷 政江  

  夏になると鳥の羽毛が抜けかわる。それを換羽期といい、夏から秋にかけて何回かある。特に鶏は夏には羽が抜けて滑稽な姿になる。鶏舎には抜け羽が多量に散らばっている。その抜け羽の中に虹色のものがあることを発見したところが面白い。沢山の抜け羽の中にはそのような美しい羽もあるに違いない。私も鶏とは限らず、森の中に落ちている美しい羽を見付けては、拾ってきて机の飾りや本の栞にしている。この句でも鶏小屋に散らばった羽の中に美しい虹色のものを描いたところが佳い。写生の眼がよく働いている。

   羊蹄山の伏流水や花山葵★佐野 佳代  

  羊蹄山は北海道西部の後志地方にある。蝦夷富士とも呼ばれる美しい山である。エゾツガザクラとかイワイチョウなど沢山の高山植物がある。初夏の羊蹄山に登ったところ、美しい伏流水が流れているのを見付けたのである。伏流水が羊蹄山の地下から河川敷の下へ流れ込んでいる。伏流水のような新鮮な水が流れているところには山葵があるに違いないと思って注意して歩いていたら、花山葵を見つけたのである。白い十字花が伏流水の水音のなかで咲いているとは実に美しい光景である。山登りの醍醐味である。

   麦熟れ星牧の仔牛の産れけり★枝松 洋子 

  麦熟れ星は麦星とも呼ばれる。麦星は牛飼座のα星即ちアルクトゥルスの和名である。麦秋の頃即ち六月下旬の宵に南中するので、麦星と呼ばれるのである。牛飼座はその頃北天に見える。麦熟れ星が見える宵に牧場では仔牛が産れたのである。麦熟れ星が輝く中で仔牛が産れたことを描くだけでもこの句は面白い。その上麦星が属する星座は牛飼座だということに気が付けば、より一層面白味が増す。この句は、地の牛小屋と天の牛飼座が呼び交わして、仔牛が産れたことを喜び合っているように描いたところが優れている。

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