十人十色2019年10月

 

  平屋古る曰窓(いはくまど)にはグラジオラス★福井 良人  

  曰窓は「いわくまど」と読む。曰は日とよく似た字であるが比べると日の方が細長である。論語に親しんだ人々には、子曰くと論語の各章句が始まることに馴染んでいるであろう。武家屋敷に用いられた、曰という字のように横木を入れた窓である。宇都宮あたりでは今でもそういう古い家が残っているのである。そのような窓を持つ家に住み、曰窓から外を見たらばグラジオラスの花が咲いていたのである。グラジオラスは南アフリカ原産でオランダアヤメとも呼ばれる。グラジオラスとはラテン語で剣の意味である。曰窓から武家屋敷を思い出させ、そこに剣の如き葉を持つグラジオラスを見つけたところが面白い。言葉の持つ意味を深く感じさせてくれる。

   パリ祭やダミアの歌ふ蓄音機★安藤小夜子  

  七月十四日はフランス革命記念日である。ルネ・クレールが「七月十四日」という映画を作った。その邦訳名が「巴里祭」である。私をふくめ八十歳ぐらいより高齢の人々にとって実に懐かしい映画である。その日小夜子さんはフランスの女性シャンソン歌手ダミアの歌を、しかも蓄音機で聞いているのである。ダミアのシャンソンも蓄音機も何とも懐かしい。小夜子さんはこのような一日、自分の溌溂とした青春時代の日々を思い出しているのである。小夜子さんは大腿骨を骨折されその治癒に努力されていたが、その甲斐あってお元気になった。そして気持ちもすっかり若返りされた様子が、この句から読み取れる。小夜子さんますますお元気で活躍して下さい。

   義経も見しや腰越遠霞★佐藤 艶子  

  腰越は鎌倉市の南西部で、七里ヶ浜の西端にある。日蓮が法難にあった地であり、源義経が腰越状を書いた所として有名である。義経が平宗盛父子を捕虜として腰越まで連れて来たが、頼朝の怒りにふれて鎌倉に入れなかった。その時義経が自分は野心を持って無いことなどを書いた書状が腰越状である。この句は腰越に立つ遠霞を見た艶子さんが、このような景色を義経も見ただろうかと、義経の気持ちを思い遣っているところが佳い。艶子さんは九十三歳である。このような若々しい気持ちを持ち続けてお元気で活躍して下さい。

   草取や卒寿の手甲新しく★奥田美恵子  

  美恵子さんも九十一歳であるがますます若々しい。草取など畑仕事を楽しんでおられる。この句では具体的に、卒寿となり手甲も新しくして草取をしていることを描いたところが佳い。卒寿を越えてもなお一層生活を楽しみ仕事に励もうとしている意欲が漲っている姿が素晴らしい。美恵子さん、これからも御健康でよい俳句をどんどんお作り下さい。

   嫁ぐ娘の深きベールに緑さす★松居 聖子  

  愛する娘が嫁ぐ姿を母親として見ることは、まさに万感胸に迫るものである。その花嫁姿の娘がかぶっている深いベールに緑がさしている。その姿はまことに若々しく美しい。このような美しい幸せが未来ずっと続くことを祈っている母親の深い愛情が佳く表現されている。そのような深い愛情を主観的に表現せず、深いベールにさす緑の美しさを客観的に描写したことにより、一層深く人の心を打つのである。御嬢さんの御結婚おめでとう御座居ました。

   巴里祭や寄港のキャビンの小窓より★古柴 和子  

  七月十四日前後フランスへ船旅をしたのであろう。どこの海港ももう巴里祭を楽しんでいる光景が満ち満ちている。立ち寄った港で船室の小窓から覗くと、その港町のあちこちに巴里祭の旗や催しが見えてくる。そして人々も楽しそうに行き来しているし、 合奏団の姿も見えたであろう。船に乗っている人々も、いよいよフランスだ、巴里祭に参加できるぞと心が躍るのであった。船窓から巴里祭を見ている所が面白い。

   じりじりと西日追山ならしかな★山本 郁子  

  七月一日~十五日に博多では、博多祇園山笠が行われる。博多山笠とか、追い山笠などとも言われる。七月十五日の追い山は櫛田神社から出発して、須崎町石村萬盛堂前まで五キロメートルの距離を舁き山が走り抜ける。七月十二日にはそれを練習するように「追い山ならし」が行われる。七月もこの頃になれば西日がきびしくなる。追い山ならしの舁き手にもそれを見物する人々にも西日がじりじりと照りつける。西日を描くことにより、この追い山ならしの舁き手達の勇猛さと、それを見る人々の熱気が佳く感じ取れるのである。

   絵日傘や開けばモネの花開く★佐藤 律子  

  モネはフランス印象派の代表的画家である。名作「印象 日の出」という題から印象派という名称が生まれた、モネの「睡蓮」も更に有名である。それと「散歩、日傘をさす女」もよく知られている。白雲が浮ぶ青空の下、日傘をさす女が大きく描かれ、遠くに小さく男の立ち姿が描かれている。この句は、日傘をさす女の印象と、「睡蓮」の花の美しさから生まれたと言える。自分が絵日傘を開いたとき、そこに描かれている花がモネの睡蓮のように美しかったという。一瞬の光景が見事に表現されている。

   もの言へぬ妻の笑顔や祭来る★吉能 英治  

  長く病床にあった奥様、もうものも言えなくなっているような状態である。祭の人々が笛や太鼓を鳴らしながら近くを通りかかった。その一瞬奥様が笑顔を浮べられたのである。その笑顔を見た英治さんの喜びは如何なるものであったか。まだ愛妻の意識はしっかりしていると、一瞬心から安<GAIJI no="02018"/>したのである。英治さんの心からなる祈りも及ばず、奥様は亡くなられた。まことに残念なことであり心から御冥福をお祈りする。しかし不幸中の幸は、奥様のこの笑顔を最後に見られたことであり、その笑顔は英治さんの心に永遠に生き続けるであろう。

   夢に入る子等に土星の涼しかり★秋谷 美春  
  一日中大いに遊んでいた子どもたちに夜が来た。もうすやすや眠り夢を見始めたであろう。その様子を見つつ父親も母親も、ほっと安心する。長い一日であった。しかし仕合せな一日であったと思いつつ、外を見ると土星が出ていたのである。しかも暑い一日ではあったが、土星は涼しく浮かんでいる。もうすぐ涼しい秋になるのだ。すやすや眠る子どもたちを見守りながら、涼しく空に浮かぶ土星を眺め、平穏である日々に感謝する一家の様子が美しい。

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