十人十色2020年2月

 

   死の門へ鉄路は続く草紅葉★白井さち子 

  「死の門へ鉄路」とこの句を読み始めた瞬間、私はアウシュヴィッツを思い浮べた。二〇〇四年の秋ポーランドの大学から招待された。原子核物理学研究の討論と講演のためであった。マリー・キュリーの出身国であり喜んでワルシャワへ飛んだ。週末の一日列車に乗りアウシュヴィッツに向ったが、目的地に近づくにつれ暗澹たる気持ちにおそわれた。車窓の外には美しい花野が広がっていた。このさち子さんの句は草紅葉を描いている。そのように自然は美しく平和である。にもかかわらずアウシュヴィッツの収容所では百万人を超える無辜のユダヤ人が殺されたのである。私の友人の親族もそこで死んだらしいと聞いた。この句には草紅葉を描きつつ、亡くなった人々への深い鎮魂の念が込められている。

   秋わびし作り笑顔を逝く夫に★津田 京子  

  最愛の御主人の健康が思わしくなく毎日心配しながら、一日でも早く少しでも治ってくれないかと祈りつつ見守っていたのである。そして時々目を覚ます度、笑顔で「今日は元気そうよ」などと言いつつ励ましてきたのであった。しかし残念ながら永遠の別れの日がおとずれたのである。その瞬間込み上げる悲しみを押さえて笑顔で御主人の魂を見送ったのである。そしてとうとう亡くなったと思うや否や、笑顔が悲しみの顔になり涙が溢れ出て来たのであった。つくづくと秋のわびしさを感じたのである。御主人の御冥福を心から御祈りする。

   黒服の司祭の顔や冬立ちぬ★フィリップ・ケネディ 

  司祭はキリスト教の聖職の上位の職である。ローマ・カトリックでは司教に次ぐ。この司祭が今日は黒服を纏い、顔も特に厳めしい。どうしてだろう。今日は教会の儀式が何かあったかなと考えた瞬間、ああ今日は立冬の日だと気付いたのである。立冬はそもそも旧暦の太陰太陽暦で使われる概念であり、アメリカやヨーロッパ、日本など太陽暦を使っている国々では今日は太陰暦では立冬だねぐらいの感じである。でも中国や日本では太陽暦を使いながら日常生活で旧正月とか旧盆と太陰暦も時々使う。俳句の季語にも多い。ケネディさんは俳句を作るので太陰暦もよく知っていて、黒服の司祭を見て立冬を思い出したところが面白い。

   行く秋の風音澄むや浮見堂★佐藤 艶子 

  この句を読んで浮御堂として鑑賞したが、そうではなく奈良の春日大社の近くにある鷺池に浮かぶ浮見堂であると注意された。その通りで御と見では大違い。琵琶湖に比べて鷺池の方がずっと小さい。それだけに浮見堂が身近に感じられる。行く秋の澄みに澄んだ風の音の中に立つ浮見堂の美しさが佳く表現されている。艶子さんは九十三歳である。しかし矍鑠として吟行されこのように新鮮な美しい句を作っておられる。ますます御健康で、佳句をどんどんお作り下さい。

  台風の目に入るかコーヒー沸騰す★胡桃 文子

  大きな台風が襲って来た。戸や窓をしっかり締め庭などに置かれている物が飛ばされないようにして、家の中で台風の動きを見守っているのである。外へ出て働くわけにも行かないので、コーヒーでも沸かそうとポットに電気を入れると、急にコーヒーが沸騰して来た。おやと思って窓の外を見ると風もにわかに静かになっていた。台風の目に入ったんだと気が付き、風圧が急に変化したのでコーヒーもにわかに沸騰したのだと考えたのである。台風の目とコーヒーの沸騰を結びつけたところが面白い。

   澪標影濃く暮るる鯊日和★小栗百り子  

  浜名湖の北の澪標(みおつくし)である。浜松市の引佐細江の入江にある。万葉集の「遠江引佐細江の澪標吾を頼めてあさましものを」という歌で有名である。この辺ではよく鯊が取れる。今日は鯊日和だったからか、一層沢山の鯊が泳いでいたがもう夕暮になったと思って湖面を見ると、澪標の影が濃くなりその一面も暮れ始めていたのである。引佐細江の辺、特に澪標が静かに暮れて行く光景が佳く描かれている。特に鯊日和の夕刻であるところが佳い。  

  人影にオボコ散り集る水面かな★村雨  遊  

  鰡は出世魚と言われ、三~四センチメートルの稚魚をハク、それより大きく十センチメートル前後のものをオボコ、二十~三十センチメートルのものをイナ、更に成長したものをボラと呼ぶ。ハクやオボコの頃は夏の間で汽水域か淡水域で過ごす。ボラになると海に戻って行く。この句では夏の終り頃汽水域あたりで泳いでいるのである。汽水域であるから河口の辺りであり、人々が散策したり釣をしたりしていて、その影の中にオボコが集ったり、散ったりしているのである。ボラになると海に入って人影は見られない。そのような季節の移り変りの一つの光景を描いているところが優れている。

   修女逝く修院の庭白桔梗★倉見 藤子  

  修女はカトリックの修道女である。その修女が修道生活を共同で行っていた修道院の庭は、特にこの亡くなった修女が常に手を入れて四季ごとの花が美しく咲いている。亡くなったのは秋の初めであったので桔梗がよく咲いている。これもこの修女が可愛がっていた。特に白桔梗であるところがカトリックの修院らしい。美しい白桔梗からカトリックの厳粛な雰囲気が感じられる。神によく仕えた敬虔な修女の面影が佳く描かれている。

   瘤取りと気取りし踊り柚子二つ★新井亜起男  

  旧のお盆の頃であろう。もう柚子の実も大きくなり始めた。盆踊りでもしようかと、近くの里人たちが集って来て先ずは一杯飲もうかと酒盛が始まったのである。一人が早々と酒に酔い近くの柚子の木から実を二つもぎとって来た。何を始めるのかと皆が興味を持って見ていると、その柚子を二つ手に持って瘤取爺さんの踊りを始めたのであった。豊かな農村の人々の親しい仲間達の憩いの一時の雰囲気が、見事に描かれている。現代でもこのような光景が見られるとは幸せな事である。

   秋深し手に取つて見る父の鍬★湯浅 重好 

  農具小屋に入ったのであろう。そこには現在使っている鍬や鋤が幾つも並べられている。しかしその奥の一角に使いこなされた父の鍬が一丁大切に置かれている。秋の収穫も終って今年大いに使った鍬や鎌を洗ったり磨いたりした後、父が一生大事に使って、大切にしていた鍬も手に取って見たのである。するとにわかにそこにお父さんが立っているように感じ、お父さんがこの鍬で畑を耕す姿を思い浮べたのである。秋も深い感じが佳い。私の父はサラリーマンであったが彫刻が玄人並であった。私は今でも父の道具箱から鑿を出して父を偲ぶことがある。

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