十人十色2020年4月

 

   初鴉松籟高きより応ふ★山本 郁子 

  元旦に外へ出ると鴉が飛び廻り、時々朗らかに鳴いている。初鴉である。それは真に正月らしい神の鳥として愛される姿である。そこへ風が吹いてきて松籟が高々と響き渡ったのである。いかにも初鴉の声に初松籟が応えたようであった。晴れ渡った元旦の朝、すがすがしく鴉が鳴き、それへ高々と初松籟が応えたとは、まことにめでたい元旦の景色である。堂々とした風格のある新年らしい句である。

   トンネルの出口は未だ除夜の鐘★伊藤 敬女  

  大晦日の夕刻、家から離れた所で一年を終わる仕事をして、いよいよ家へ戻って新年を迎えようと列車に乗り家の近くのトンネルを通り過ぎたのである。その出口を列車が出た瞬間、除夜の鐘が未だ響き渡っていたところが面白い。もうすぐ家の近くの駅に着く。今年中に家へ戻り除夜の鐘の最後を聞きつつ今年を送り、新年をゆっくり迎えられると思ったのであろう。トンネルの出口で除夜の鐘を聞くという珍しい光景を描いたところが良い。盆地に住む人の生活の一端が見えてくる。

   阿寒湖の泡浮きかねて凍てにけり★門脇 文子  

  北海道東部の阿寒湖は、雄阿寒岳と雌阿寒岳に挟まれた美しい湖である。毬藻や姫鱒で有名である。その阿寒湖にも冬が来た。湖の深くから浮き上って来た泡が、水面に到る直前に氷ってしまったのである。泡がゆっくりと昇って来る間に水面が凍てていく様子を描いたところが佳い。文子さんは最近引越をされたのだろう。同時発表の「去る家の庭や香りて水仙花」という句には、永年住んでいた家の庭に大切にしていた水仙がこの冬も美しく咲き良く香っていて、その家を去って行く名残惜しさが良く表れている。

   出産や鐘の音続く去年今年★中西 純子  

  大晦日の夜家中の人々が、そろそろ出産が始まりそうだと緊張しているのである。その時除夜の鐘が響き始めた。百八つの鐘の音が続いている。丁度その中頃出産が始まったのである。鐘の音の鳴り響く間出産が続いている。今生まれつつある子は今年の生まれか、去年の生まれかどちらであろうか。そのようなめでたい出産がこれまた希有な除夜の鐘の音の続く中で起っているのである。この希有な機会に生まれた子の将来に幸多からんことを心からお祈りする。

   切手程の穴より眼嫁ヶ君★加賀谷房子  

  壁のどこかに小さい穴があいているのである。そのような穴が何時の間にあいたのであろうか。知らない間に鼠がかじってあけたのであろうか。その穴は小さくて切手程である。これに気付いたのは新年、それもそこから嫁が君がのぞいている眼が見えたのである。ほんとうに可愛い眼である。新年の三が日鼠を嫁が君と呼ぶけれど、こんなに可愛いなら何時でもそう呼んで良いくらいであると感じたような句であるところが佳い。私も今年の正月壁に穴を開けて鼠が三匹私の部屋へ出て来て遊んでいた。時々私の顔を見に来たりして喜んでいた。正月四日食べ物を与えて外へ出し穴をきちんとふさいだ。しかし可愛い眼が忘れられない。

   父祖よりの鉤に鮟鱇吊しけり★伊藤とう子  

  鮟鱇の身は柔らかいので、俎板に乗せ包丁で料理するのがむずかしい。また口が平で広いので、口に鉤を掛け吊って料理するのである。とう子さんの住む千葉県の海岸でも鮟鱇がとれるので、父祖の時代から鮟鱇の吊し切りが行われていた。その父祖の代から使われてきた鉤に、現在でも鮟鱇を吊しているのである。父祖伝来の鉤に鮟鱇を吊すところに、父祖以来の習慣を守りつつ生活している様子が描かれていて、ほほえましい。

   初御空仰ぐ齢や喜びぬ★米澤千恵子 

  どのような年齢でも初御空を仰ぐことは楽しい。特に幼い時代はそうであった。しかし壮年時代はその後の一年の暮らしをどうするかなど考えなければならない。ところで千恵子さんは九十六歳、その年まで大いに元気で働いてきて、今日この初御空を仰げることを、心から喜んでおられるのである。九十六歳、でもまだまだ元気であるという喜びが良く感じられる句である。千恵子さんますますお元気で、百歳否百十歳を目指して活躍して下さい。

   村挙げて摩訶曼珠沙華どんど焚★吉田 桃子 

  摩訶曼珠沙華は天上に咲くという大きな花のことである。法華経が説かれる時に六つの瑞相が生じると言う。その一つとして四種の蓮華が空から降って来る。その四種とは曼荼羅と呼ばれる白蓮華、摩訶曼荼羅華と呼ばれる大白蓮華、曼珠沙華と呼ばれる紅蓮華、そして摩訶曼珠沙華とは大紅蓮華のことである。一村挙げて皆でどんど焚を行っている。それが大きく見事である様子を天から大紅蓮華が降って来たようだと、表現したところが大変面白い。どんど焚の盛んなところが佳く描かれている。

   母逝くや備忘の満つる古暦★山本 純夫 

  御母上が亡くなられたことは今年の一番悲しいことであった。御母さんが使っていた古暦を見ると元気だった頃の毎日の様々な事が、忘れた時に困らないように細かく丁寧に書き残してあったのである。最後までこのように備忘を残してくれた御母さんのやさしい心遣いを見るにつけても、亡くなってしまったことは残念なことであった。もう少しでも長く生きていて下さったら良かったのにと、古暦を見つつ御母上のことを懐かしむ様子が、見事に描かれている。御母上の御冥福を心からお祈り申し上げる。

   曽良の墓潮の香磴に旅初め★山下 清美  

  芭蕉に師事し、芭蕉の「鹿島紀行」や「奥の細道」の旅行に随行した河合曽良は、一六四九年信濃国上諏訪で生まれた。晩年一七〇九年幕府の諸国巡見使の随員として加わり、その翌年壱岐国の勝本で病死したと言われ、壱岐島の港近くに墓がある。この句はその墓へ登って行く石の道に、まわりの海から潮の香が盛んにして来るのに気付いたのである。この曽良の墓を訪れたことを壱岐島の旅の始めにしたのであった。この句は、海の遠い信濃に生まれた曽良が、このように海の真中の島で死んで行った時、どんな気持ちだったろうかと想像させるところが佳い。

◇     ◇     ◇