十人十色2020年5月

 

     鑑真の一詩とマスク唐国へ★斎川 玲奈 

  新型コロナウイルスによる肺炎感染症の蔓延で困っていた中国湖北省へ、二月の始め日本から多数のマスクが贈られた。しかもその支援物資に、「山川異域 風月同天」と書かれたラベルが付けられていたという。これに対して中国の多くの人々より「良いね」というコメントが寄せられたという。この文は鑑真を日本に迎えるため送られた袈裟に刺繍されていた詩「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の始めの二句である。この詩を読み鑑真は日本へ行くことを決意したという。昔も現在も良い詩は人の心を動かすものである。コロナウイルスの騒ぎの中で生まれた秀句である。

   涅槃図や白象掲ぐ蓮の花★榑林 匠子  

  釈迦は陰暦二月十五日に入滅したという。中インドにあった末羅国のクシナガラという都市の城外の跋提(ばたい)河西岸の沙羅双樹の下で涅槃に入った。頭を北にし、顔を西にして臥した。周囲には弟子や菩菩薩、さらに天竜や鬼畜までが泣き悲しむ様子を描いたのが涅槃図である。この句では白象が蓮の花を掲げているところに注目したところが佳い。蓮はインド原産であるし、インド象も沢山見られる。釈迦の入滅にふさわしい植物、動物が描かれた涅槃図であるところが佳い。

   クーニャンの靴に涼しき花刺繍★白井さち子  

  クーニャン(姑娘)は中国語で若い女の意味である。江蘇省の蘇州あたりは絹の刺繍が伝統的に盛んである。蘇州には寒山寺があり、唐の張継の「月落ち烏啼いて霜天に満つ」で始まる「楓橋夜泊」の詩は有名である。さち子さんも美しい庭でも有名な蘇州を訪ねられたのであろう。夏の朝か夕方涼しい時に街を歩いていると、クーニャンが花の刺繍をした美しい靴をはいてさっそうとしている姿に出会ったのである。中国の美しい若い女性の涼しい姿を、花刺繍の靴に着目して描いたところが優れている。

   羊蹄山の澄みし湧水利休の忌★渋谷マサ子

  北海道の西にある羊蹄山は一八九八メートルもある美しい山である。蝦夷富士とも呼ばれる。羊蹄山の麓のあちこちにこんこんと水が湧いている。その水がとても良く澄んでいる。羊蹄山の美しい姿を見ながら、その水を飲んでみると実に美味であった。それでこの水でお茶を立てると素晴しいだろうと思ったのである。ところで今日でもう三月も終りだと思った瞬間、あっ今日は利休忌だと気付いたのであった。美しい水から利休忌を思い出したことが佳い。利休忌は旧暦二月二十八日で、表千家では三月二十七日に、裏千家では三月二十八日に利休忌を修している。

   震災の祈りの真中春の虹★蛭田 秀法  

  この震災は二〇一一年三月十一日のことであろう。もうあの大震災から十年近くたったのだと思い、多くの犠牲者の魂の安らかなることを祈っていると、その真中に春の虹が立ったのである。あの大震災に生き伸びることの出来た人々が、死者の魂へ祈りを捧げるように、自然そのものも虹を掲げているように思えるのであった。敬虔な気持ちが佳く現わされている句である。

   竜天にのぼり卒寿の日日あらた★西山 昌代  

  杜甫は曲江という詩の中で、「人生七十古来稀なり」と詠った。それで七十歳を古稀と称して祝うようになった。一昔前までは七十歳になることが珍しかった。杜牧も五十八歳で亡くなっている。現在は百歳でも稀ではなくなった。ましてや九十歳では元気に活躍中という人々が多い。昌代さんも九十歳の春をむかえますます溌剌としておられる。その気持ちを竜天にのぼる日々だと表現されたところが佳い。その勢いでどんどん俳句をお作りになり、御活躍されることを祈っている。

   無口なり絵踏みの地より嫁ぎ来て★小野 玲子 

  江戸時代キリシタン宗門を厳禁するため、キリストやマリアの像の描かれた絵の木版や銅板などを踏ませた。時は春、毎年陰暦の一月四日頃から三月にかけて行われた。この句で「絵踏みの地より」と言っているが、絵踏みはどこでも行われたであろう。でも信者が多かったのは九州それも長崎の近くで盛んに絵踏みが行われたから、この句の絵踏みの地とは九州であろう。禁教になってもキリシタンであった人々の多い地方であり、絵踏みなど様々な試練に堪えてきた人々の子孫であるから、無口なのであろう。無口と絵踏みを結びつけたところが面白い。

   便り書く妻の机に折雛★横山 白?  

  一生懸命夫人が手紙を書いている。さて誰にどんなことを書いているのかなと思いながら、机の上を見たらば折雛が置いてあった。それで今日は三月三日雛祭の日であるから、友人か、家族の誰かに雛飾やお雛様について手紙を書いているのだと思ったのである。机に紙雛を置いて手紙を書くというような、やさしいしかも気配りの行き届く夫人の様子が、自ずから浮び上ってくる句である。静かな家庭の雰囲気が佳く描かれている。

   揚雲雀日毎腕上ぐ玉子焼★加藤 昌子  

  御子さんか、御孫さんの姿であろう。朝食か夕食に玉子焼を食べることが多いので、その料理を担当する人の腕前がどんどん上って行くのである。時は春、台所の窓から見える空には毎日雲雀が鳴きながら天へ昇っては降りて来る。その昇り方も鳴き方も毎日毎日上手になって行くのである。玉子焼を焼く技術と揚雲雀の囀る力とが、競争して向上しているようで面白い。明るい家庭生活の一瞬が佳く描かれている。

   陽炎の出口探してかげろへり★田中  諭  

  陽炎がどこから立ち登ろうとしているのか。こちらで陽炎が立つと、あちらの方でも立つ。いかにも陽炎が出口を探しているようである。この句で陽炎と漢字で書いておいて、動作の方を「かげろへり」と平仮名を使ったところも佳い。陽炎が人間か動物のように思えてくるし、その動作がやさしいかげろうに感じられるところがよい。陽炎が出口を探しているという見方がよい意味でのウイットである。

 訂 正
五月号において、左記の通り訂正しお詫びいたします。
  蒐玉抄
   (正) 靴下も足袋もつがぬ世久女の忌  中尾有爲子
   (正) 初東風や江戸の東に銭座址    紅林 照代

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