十人十色2020年8月

 

  生まれたての牛立ち上がる聖五月★相沢恵美子

  カトリックの信者たちは、五月は聖母マリアを讃える月としている。最も古くからあるマリアの祝日は八月十五日の聖母被昇天の日である。どうして五月が聖母月になったのかその起源にはいろいろな説があり定説はない。それにしても明るい五月は聖母マリアにふさわしいと思う。その聖五月に生まれたての牛が立ち上ったとは、いかにもマリアから祝福されたようである。生まれたての子牛が立ち上る様子から、聖五月だからこのように元気なのだと考えたところが佳い。明るい気持ちのよい句である。

   燕の子身を乗り出せば過疎の島★小山  正

  瀬戸内海の小島の風景であろう。春になると燕が来て巣を作る。そして子燕が生まれ、親鳥たちが食べものを持って来てくれるのを今か今かと身を乗り出して待っているのである。小山正さんは、松山の住人でしばしばこのような島へ渡っておられる。御仕事のためであろう。そしてこのような島々の四季折々の佳い句を作ってこられた。この燕の句もその一つではあるが、近年の過疎化が此のような島にも及んでいることを身に染みて感じられたところが佳い。過疎化のため家々の軒場の様子も変っているのである。しかし軒場などに作られた燕の巣や、そこに育っている子燕などは変らない。世の移り変りと不変な自然の姿を対照的に描いたところが佳い。

   長命も手柄のひとつ風薫る★中谷日出子 

  この数十年間に人間の平均寿命がどんどん伸びている。日本人の平均寿命の推移を見ると、一九四七年(昭和二二)には男性が五十歳、女性は五十四歳であった。二十年後の一九六七年には男性が六十九歳、女性が七十四歳、二〇一二年(平成二四)には男性が八十歳、女性が八十六歳である。それにしても九十歳は長寿である。日出子さんはまさにその九十歳。これまで元気に生きてきたのは手柄のひとつだと、薫るように心地の良い初夏の風を浴びながら自讃している姿が佳い。その勢を今後も保ちつつ、百歳いや百二十歳までも元気で活躍して下さい。日出子さんのますますの御健康を祈っている。

   遠き日の山の教会聖五月★石尾眞智子

  この教会とはどこの教会であろうか。隠れ切支丹がひっそりとその信仰を守り続けた長崎の周辺であろうか。私はこの句を読んだ瞬間、エジプト北東部のシナイ半島にあるムーサ山の聖カトリーナ修道院を思い出した。エジプトから一族をひきいて脱出したモーゼが、この山で神ヤハウェから十戒を授けられた地とされている。眞智子さんは、マリアを称える美しい五月に、何十年も前に訪ねた山の上の美しい教会を思い出したのである。その教会にお参りしたのも、今日のように美しい五月であった。聖母マリアの御導きであったかも知れない。聖五月にそのようななつかしい教会を思い出したところが佳い。

   九十の身はつつましく更衣★大舘 泉子

  もう五月、しかも今日は立夏である。薫風が吹いて来る美しい聖五月である。心がはればれする今日更衣をして外出しようと思いながら、自分はもう九十歳になった。その元気さを保つための更衣だ。九十歳らしくつつましく更衣しようと、思ったのである。泉子さんも九十歳、健康でお元気である。更衣をしてますます気分が爽快である様子が佳く描かれている。泉子さんますますお元気で。お互いがんばりましょう。

   咲き匂ふワーズワースの薔薇の家★三好万記子

  東洋では唐の王維や日本の柿本人麻呂や山部赤人が八世紀初めに叙景詩を作り始めた。それに反して西欧では十七世紀前後に叙景詩が作られ始め、風景画が描かれ始めたと、私は度々書き、度々講演で話している。その先頭の一人がワーズワース(一七七〇 一八五〇)であり、自然を歌うロマン主義の中心であった。ワーズワースは、盟友コールリッジと共同して「抒情歌謡集」を発表して、ロマン主義を開幕した。このワーズワースが生まれ創作活動した地方は、手つかずの自然が豊かである。そこは英国も北西部のカンブリア県の辺であり、湖水地方と呼ばれる。そこにワーズワースの家があり薔薇が美しい。この句で薔薇に着目したところがワーズワースらしくて佳い。

   菫挿す童の居らぬ学舎に★錦織 希己

  芭蕉に「不易流行」という言葉がある。佳い俳句を作るため永遠にその句が残るべく不易を目指しつつも、その時代時代の新しい風光、時世のありさまも描かなければならない。どちらも風雅の誠から出るものであると言う。さてこの半年人類は新型コロナウイルス禍の発生で右往左往している。学校も長く閉鎖された。このような状況を詩心で示すことは、まさに流行の一句である。子どもたちが居ない学校に菫を挿して飾ったところが佳い。子どもたちが無事であることを祈りつつ、一日も早く生徒たちが学校へ戻って来る日が来ることを願っている様子が佳く描かれている。

   石の向き変はりてをりし水喧嘩★尾関 華陽 

  今でも水喧嘩があるのであろうか。田に水を入れなければならない時、旱魃が起るとさあ大変、水争いがあちらこちらで起ったものである。水の流れを自分の方へ向けるための石を置いたり、向きを変えたりしたものである。この句は田の近くを流れる小川の岸辺へ行ってみたら、その水を田へ引く入口あたりの石の向きが変っているのに気が付いたのである。そうだ昨年は旱魃であったと思い出しているのである。石の向きに着目したところが具体的で佳い。

   思ふさま空を使ひし鯉幟★瀬尾 柳匠 

  五月の節句になると男子の成長を祈って鯉幟を立てる。その大きな鯉幟が風を受けて自由自在に泳ぎ回っているのである。いかにも四方八方思うままに空を使っているようにみえる。五月の良く晴れた日に、鯉幟が勢い良く泳ぎ回っている姿を見ると心も晴れ晴れとしてくる。その様子を「思ふさま」存分に空を使っていると表現したところが佳い。

   和簞笥に鼓を仕舞ふたかしの忌★豊島 博子

  松本たかしは宝生流の能役者の家に生まれた。九歳で初舞台を踏んで、将来が期待されたが十五歳頃より病身となり、能役者としての成功を断念した。その代り十七歳の頃から高浜虚子に師事して句作を開始し、俳人として成功した。和簞笥に鼓を仕舞いながら今日はたかしの忌だと思ったのである。たかし忌は五月十一日である。鼓を仕舞いながらたかしをしのんだところが佳い。松本たかしの句に「チチポポと鼓打たうよ花月夜」というのがあることも参照されたい。

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