十人十色2020年10月

   朝涼し大和も奥の濃き茶粥★松浦 泰子  

  茶は日本に自生している種類もあるが、平安の初期天台宗を開いた最澄が唐から持って帰り、薬用として栽培したといわれている。又鎌倉時代の初期臨済宗の開祖栄西が宋から茶の種を移入し、それを明恵が山城栂尾(とがのお)に植え、その後日本各地に広がったという。中国ではホテルなど朝食というと必ず粥が出る。日本のホテルでも朝粥を出すところもないわけではないが少ない。必ずあるのは奈良である。この句はその大和も奥で濃い茶粥を朝食べているのである。夏の涼しい朝がますます涼しく感じられたのである。大和も奥で涼しい朝、濃い茶粥を食べているところが佳い。

   マンホールの蓋絵に鰯梅雨晴間★伊藤とう子 

  地下にある水道管や下水道を点検したり修理や掃除をするために、道路の一角に人が出入りすることが出来るようにマンホールが作られている。その蓋には絵が描かれていることが多い。その町や市などの産物などがその絵の素材になっている。この句の作者とう子さんは千葉県銚子市に住んでおられる。銚子は大きな漁港であり特に鰯が沢山陸揚げされる。梅雨の晴間に銚子の街を歩いていてマンホールの蓋絵の鰯を見て、梅雨が明けた後一月程過ぎると秋になり、鰯の季節になると思いながら歩いている情況が佳く描かれている。

   戻り梅雨看護の手引きビデオ撮る★柴﨑万里子  

  梅雨が明けたかと思ったら又戻ってきてしまった。やれやれと思っている万里子さんは、九十五歳でますますお元気である。そのお年だから養護施設で生活なさっておられるのではなかろうか。看護をどうするか手引きのビデオをこの施設で作ることになり、万里子さんはモデルとして活躍しているのである。その様子を自ら客観視してその体験をこの句に描かれたのである。お元気でビデオ撮りをする人々の注文通りに生き生きとモデル役を果しているのである。万里子さん、この勢いでお元気に生活なさり、佳い句をどんどん御作り下さい。

   教会やほら貝で呼ぶ聖五月★野中 紀郎  

  この句の作者紀郎さんは長崎の人である。長崎周辺は言うまでもなく、隠切支丹時代からカトリックの聖地であり教会が沢山ある。聖母マリアを祝う五月、それは聖母にふさわしくうるわしい月、聖五月にほら貝を吹く音がしてきた。おやと思って耳を澄ますと、それは教会からであった。山伏が吹くほら貝を教会で使っているのである。もしかすると隠切支丹の時代にひそかに使っていたのかも知れないと感じるような句である。教会がほら貝で信者を呼ぶことの発見が佳い。

   潮騒が確と育む松の芯★木村 君依  

  神奈川県も大磯附近、鴫立沢近くの海岸の風景であろう。海岸近くに良い松林がある。この松林には海から潮騒が盛んに響いてくる。晩春になると松の枝先に新芽が何本も立ち上ってくる。この松の芯を確り育てているのが潮騒なのだと言ったところが佳い。おだやかな晩春、力強い潮騒の響きの中で松の新芽がのびのびと育っていく様子を、大らかに詠ったところが佳い。

   川浴びの象一列にスリランカ★圡田 栄一  

  インド洋中、インド半島の南東端の南の沖にセイロン島がある。その島を占める国がスリランカである。アヌラーダプラ遺跡など古い仏教の遺跡がある。かつてはインド亜大陸と陸続きであった可能性もあり象なども沢山いる。その象たちが一列になって川で水浴びしている風景は、いかにもスリランカらしい。スリランカの美しい風景を、象たちが川で水浴びをする姿に焦点を合せて描いたところが佳い。

   本流の余波が揺り役鳰浮巣★早川恵美子 

  鳰は巣を葦の間などに作る。いかにも水に浮いているように見えるところから、鳰の浮巣という。この句では川の岸辺に鳰の浮巣があり、本流からははずれた所であるから浮巣は安全である。一方時々余波が横から寄せて来て浮巣を揺らすのである。鳰が子育てする時、時々余波が巣を揺すって鳰の子どもたちを喜ばせてやるように思えるところが面白い。こうして時々浮巣が揺れながら鳰の子が育って行くのである。

   端居して父母がゐて皆ゐて★熊谷 幸子  

  現代では部屋々々が冷房されていて、端居するというようなことは少なくなってきた。でも今でも夏の夕涼みをしながら庭の風物を眺めたり、家族で話し合う楽しみをするには、端居は絶好である。しかも夏休みでもあり子どもたちもいるから、お父さんお母さん、若い夫婦、そして子どもたちも皆端居を楽しめるのである。三世代揃って皆健康でこうして端居を楽しめるとは大変幸せなことである。現在の多くの家庭では、夫婦だけか、子どもたちとのせいぜい二世代で冷房の部屋で話し合うくらい。三世代揃って端居を楽しむとは素晴らしい家庭である。

   砲音に群れの啞蟬動かざる★村雨  遊  

  軍事訓練をする地区の近くの光景であろう。砲音がすると蟬たちも鳥たちも一瞬鳴き止んでしまうし、砲音のする近くの村や森からは逃げ出してしまう。それなのに一群れの蟬がびくともしない。それは実は啞蟬であった。砲音が終って静かになり蟬が鳴き出したのに、この一群れの蟬は鳴こうともしない。それは啞蟬であったからである。雌の蟬は発音器を持っていないので鳴かず啞蟬と呼ばれるが、音を聞く力も弱いのかも知れないと、砲音にびくともしないというこの句から推測される。啞蟬が偶然そうであったのか、本当に音に鈍感なのか調べてみたい。

   青児の絵見つむるカフェや晩夏光★鈴木 哲子  

  東郷青児は鹿児島の出身で、フランスでキュービズムや未来派の影響を受けて帰国した。第二次世界大戦以後二科会の指導的役割を果した。装飾的画風であった。その青児の絵の飾ってあるカフェに入り、青児の絵を見つめながらコーヒーを飲んでいるのである。丁度青児の絵に晩夏光が射してきたのであった。そう言えば抒情的な青児の絵には晩夏光がふさわしいように思った。

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