十人十色2020年11月

     水桶に毛馬の胡瓜のうすみどり★飯島 栄子 

  毛馬と言えば摂津国(現大阪市都島区)の毛馬である。蕪村はこの毛馬の豊かな農家に生まれた。若い時両親と家屋を失い、十七、八歳の頃江戸に下り、絵を学び俳諧を学んだ。三十五歳の時京都へ移り画俳ともに成功した。しかし毛馬には戻らなかったのではないだろうか。悲しい思い出だけであったから。栄子さんはその毛馬を訪ねたのである。そして水桶に浸したみずみずしい胡瓜のうすみどりの美しさに打たれたのである。毛馬と言ったことによって蕪村の浪漫性の高い俳句と、藪入りで毛馬の堤を家郷へたどる娘を描いた「春風馬堤曲」を思い出させる。この俳体詩は蕪村自身の郷愁の思いが映し出されているのである。毛馬の胡瓜の美しさから蕪村の郷愁を感じさせるところが佳い。

   名を変へて佳麗な姿蟻地獄★岩川 富江  

  蟻地獄は縁の下などの砂地に擂鉢状の穴を掘って隠れている。その穴へ蟻などの小さな虫が滑り落ちてくるのを待っている。うまく蟻が落ちてくると捕えて汁を吸う。なんと残酷な虫かと思うが、変態し成虫になると蜻蛉のようになる。翅は透明で細長く、後翅は前翅より細い美しい姿になる。名前も蟻地獄から薄羽蜉蝣とやさしいものに変る。そのような不思議な運命を持ち、残酷な虫から美しい虫に変り、名前まで変えることに着目したところが面白い。

   背伸びして風鈴鳴らす影法師★宮代 麻子  

  風鈴は軒下など高い所に吊す。風にあたり易くするためである。風が吹かず鳴らないので、子供が背伸びして風鈴の舌を動かし鳴らそうとしているのである。この句の面白さは、子供が背伸びしてと言わずに影法師が背伸びしているように描いたところである。本当に影法師が生きているようである。

   画学生の裸婦像に傷敗戦忌★野口 日記  

  長野県の上田市にある「無言館」の光景であろう。ここには第二次世界大戦で戦死した画学生の霊を慰めるため、その画学生たちの遺作を集めて展示してある。遺作の絵も無言であれば見る側も無言であるので、無言館と名付けられた。そこに飾られている絵の一つが裸婦像であり、しかもそれに傷がついているのであった。裸婦像は画学生の習作であったであろう。それに傷がついている。しみじみと敗戦の悲しさを感じるのであった。今年は敗戦七十五周年、我々は何としてでも戦争を二度としないように世界に訴えなければならないのである。

   コロナ禍のマスク花柄生身魂★荒川勢津子

  新型コロナウイルス禍は終結しそうもない。まだ半年、一年と続くかもしれない。早くワクチンが作られることを願っている。コロナウイルスの伝染を防ぐ一つの方法はマスクの使用である。日本や東アジアの国々は風邪の予防にマスクを用いることに慣れているが、アメリカやヨーロッパではそのような習慣がなく、マスクへの抵抗が強かった。日本では窮すれば通ずで、マスクのファッション化が進んでいる。お盆の頃お年寄がお元気なようにと願っていると、何と生身魂が洒落た花柄のマスクをしてにこにこしていたのである。コロナ禍に負けない生身魂の洒落心が素晴らしい。

   箱庭の五重の塔や露伴の忌★中澤マリ子  

  明治の文豪幸田露伴は江戸も下谷生まれである。『風流仏』とか『頼朝』など擬古典派の小説家として活躍した。俳諧にも通じ『評釈芭蕉七部集』などがある。江戸の人らしく谷中にある天台宗天王寺の前身で、もと日蓮宗の寺院感応寺の五重塔に関心を持ち、名人肌の大工のっそり十兵衛が親方と争ってこの塔を建立した『五重塔』と題する物語を書いた。箱庭に立派な五重塔の模型が置かれているのを見て、これは感応寺の五重塔の模型だと思い、露伴の忌を修したところが佳い。露伴の忌は七月三十日、箱庭も名勝や名園を模して、草木や小木を植えて夏の景を作るので、これも夏の季語である。

   半てんの孫の肱はる地蔵盆★鈴木 信子 

  八月二十四日は地蔵菩薩の縁日で、その日の前後二、三日の祭が地蔵盆である。地蔵は弥勒仏が出生するまでの無仏の世に住んで六道の衆生を救済する菩薩である。六道とは衆生が善悪の業によって分けられて住む六つの迷界である。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間そして天とされる。地蔵の童形の像が子供に似ているので安産とか子育ての守護仏になっている。従って地蔵盆は子どもたちがおやつを貰ったり、石地蔵に花を供えたりする。この句ではお孫さんが半てんを着て肱を張りちょっと威張った様子をみせているのである。それを見ている御祖母さんの目が優しい。地蔵盆らしい光景が佳く描かれている。

   新涼の駅に庖丁研師くる★三澤 俊子 

  やっと涼しくなった。新涼だと思いながら駅に行くと、庖丁を持った人々が何人か集まっている。何だろうと思ったら庖丁研師が来て、皆の庖丁を研いでいるのであった。涼しくなるといろいろな仕事師がやってくる。特に夏の間にさんざん使って切れ味が鈍くなった庖丁を研ぐ人が来たのである。駅の近くの料理店や家庭の人々が庖丁を持って来て、庖丁研師に次々と研いでもらっているのである。郊外の駅の新涼らしい感じが佳く描かれている。

   月に置く草の匂ひの螢籠★関根 文彦 

  蛍を一匹つかまえたら蛍籠に入れそれを草の上に置く。また一匹つかまえたら籠に入れ草の上に置く。そうやって何匹かを入れた蛍籠を家に持って帰って窓の所に置いたのである。丁度その頃月が昇っていた。蛍たちは盛んに籠の中で明滅している。それを楽しんで見ていると、ふっと草の匂いがしたのである。それは蛍狩をしていた辺の草の匂いだ。籠を何度か草の上に置いたので草の匂いがついたのだと思ったのである。草の匂いのする蛍籠を月に置いて蛍の明滅を楽しんでいる雰囲気が佳い。

   簦を干して宿坊夏祓★橋本  絢  

  簦はトリカサと読む。人の後からさしかける柄のある大きな傘である。オオカサとも読める。夏祓は旧暦六月晦日に行う祓である。新暦の現在は六月三十日か七月三十一日に行なっている。十二月三十一日を年越というのに対し夏越(なごし)ともいう。宿坊は寺社の参詣人のための宿舎である。この 簦は神社の宮司が夏祓をする際、従者が後からさしかけるのである。夏祓の準備に先ず< 簦を干している様子が佳く描かれている。 簦に注目したところがよい。

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