十人十色2021年11月 対馬 康子選
夕暮の父のダミアを聴く金魚★早川恵美子
シャンソン歌手ダミアは、人生の苦悩を幼少のころから経験し、第一次世界大戦においては歌手として戦地を慰問した。だが、一九三六年に録音された「暗い日曜日」は、世相を反映したインパクトゆえに、フランス本国などで放送が自粛された。その後、「暗い日曜日」は越路吹雪などがカバーし、歌人の塚本邦雄も歌詞を訳していた。第二次世界大戦後、引退する直前に日本でその歌声を披露した。
戦争の世紀の二十世紀前半から後半までを生き抜いたダミア。父上のダミアのレコードを令和の時代に回す。それをコロナ下の金魚が聞いているという風景をさりげなく切り取る感覚は、二十一世紀の無常観という深い諧謔にあふれている。早川さんはピアノ演奏家。音楽にかかわる佳句が多い。
農園で黙禱捧ぐ原爆忌★南島 泰生
原爆投下の時間は、広島市が一九四五年八月六日午前八時十五分、長崎市は八月九日午前十一時二分で、「原爆忌」は秋の季語とされる。東南アジアでは、プランテーションが多く、まさに農園という言葉が、農業の伝統といえる。日本では、田畑が多いので、すこし感じが異なるが、作者は奄美群島喜界島の方なので、広いサトウキビ畑が目に浮かんだ。
海軍飛行場があった喜界島は、特攻機の中継基地として利用された。「戦闘指揮所」の戦争遺跡が残っている。戦争が終わり、農園で働く人々が、平和に命を育てる営みの中で、この日この時刻にはきちんと仕事の手を休め、原爆犠牲者および祖国の御霊に黙禱をささげる。<
羅や天の足夜の残る夢★片平 奈美
万葉集の三二八〇番長歌の最後の部分に「卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜乎」のフレーズがあり、「うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を」と読み下し、そこに天の足夜(あまのたりよ)という表現が出てくる。
本歌では、寒い中、待ち続けて、着物も氷り、霜が降りるという状況の中でせめて夢で逢いたいという切実な思いを読んでいるが、この句は全く逆の状況である。すでに恋する人と逢ったうえで、さらに夏の薄物を着て寝て、満ち足りた中に夢の中でもう一度会いたいという思いを述べている。藤原清輔が「奥儀抄」で、俳諧は火をも水にいいなす技であるといったが、まさに本歌を俳諧したものといえる。
銀河濃し棺のヒエログリフ解く★佐々木ノリコ
ヒエログリフは古代エジプトで使われていた三種の文字のうちの一つ。フランスのエジプト学研究者シャンポリオンのロゼッタストーンの解明努力によって、その後の研究発展につながった。古代においては、秘蹟として一般人には解読できないように、文法などを複雑化させた。表意文字と音を仮借したとする表音文字の組み合わせなどで、いろいろと名詞、動詞をはじめ機微な表現が可能となる様に、ヒエログリフも進化・民主化していった。昔は大変な苦労をして棺を研究施設に持ち込み、その解明に努めたであろう。この作品の銀河は、日本的感覚の銀河ではなく、大銀河につながるナイル川をファラオ達が船で下って行った、エジプトの砂漠の大銀河の下での大発見の予感に充ちた銀河である。時間も空間も越えた雄大な詠みぶりである。
似たる顔揃ひて啜る冬瓜汁★大屋 郁女
冬瓜汁は熱い夏に食する。冬瓜をそのまま食器代わりにして、中をくりぬいて、具を入れ、ことことと煮てやや黄金色になったスープを身を少し削りながら食する食べ方は、時間はかかるが、エレガントである。そのような冬瓜汁をずらっと並べて皆で食すると、そのおいしさと幸福感で皆の顔が似てきてしまうのであろう。そのような食べ方でなくとも。昔大村昆が宣伝で「うれしいとね、眼鏡が落ちるんです」と言っていたように、不思議に喜びや悲しみの表情は、誰もが似ているという或る真実をこの作品は言い当てている。
放生会空一杯に多神教★田中 九青
放生会は、八世紀に朝廷に対して反乱を起こした隼人の人々が、戦に敗れ命を落としたことに対する鎮魂の儀式として始まった。八幡神が海に蜷や貝などを放流したとされる。今となってはそのようなやや凄惨な歴史は過去のものとなり、人々の幸せを祈願する盛大な秋祭りとなっている。
日本だけでなく、タイやカンボジアなどの仏教遺跡を巡ると、少年少女などが、雀を籠にいっぱい入れて売っていた。逃がしてやるために買ってくれというのである。放生によって功徳を積む。私もよく買って逃がしてやった。そもそも仏教は一神教ではない。アジアの多神教の世界では、放生は日常の中で行われているといえよう。
船簞笥の鋼夏日を突き返す★永野 裕子
北前船の発展とともに職人たちの技術の魂が込められ、発展したものが船簞笥である。船が沈没したとしても、証書や手形などが守られることとと、それが回収されても容易に悪用できない金庫機能を持っていることが求められた。真っ先に海に投げ込まれ、気密性を守って一人で漂流して誰かにたどり着くのだ。それは悲劇の伝達であり、また最後の希望の伝達の手段でもあった。頑丈に作られた船簞笥は職人魂を掻き立て、金具細工やからくりが工夫され、究極の用の美を追求させた。海に投げ込まれた船簞笥に夏の日差しがさし込んできても、苦も無く跳ね返す強靭さが求められた。それは、現在調度として家に置かれたとしても変わらず、内に秘めた独特の不屈の存在感を醸し出すのである。
露伴忌や日に日に俳に惚れ込みて★町田 博嗣
岸本尚毅さんの新著『文豪と俳句』の冒頭に取り上げられている作家が幸田露伴である。露伴は老荘思想を愛するとともに、それと対極にある儒教の朱子が主張した「格物致知窮理」をモットーにした。
俳諧には、藤原清輔のところで述べたように肯定しながら直ちに否定するというような、弁証法的な認識が求められる。露伴はそのような対立軸を内面に打ち立てて、俳意を実践していったと考えられる。そのような露伴の俳にほれ込むことは、芭蕉から現代俳句につらなる本道を歩むことにつながるであろう。
芋虫の頭上に落つる暑さかな★胡桃 文子
夏の林を歩いていたら樹上から芋虫が頭へぽとり。虫に弱い私は思わず叫び声を上げてしまいそうだが、この句はユーモラスでさえある。葉っぱにつかまっていた芋虫が思わず足をすべらせた。芋虫も驚いたにちがいない。やがて蛹となって美しい蝶になる。この暑さを共に乗り越えよう。小動物への作者の目線に朗人句に通じる温かさがある。
師の句碑になじむ潮の香実玫瑰★古川 洋三
「先駈けの玫瑰の芽の真紅」の朗人句碑は平成十五年九月に北海道石狩市石狩弁天歴史公園に建立された。早十八年の月日が経った。人々の日常を満たす北国の潮の香さえ、先生の人柄に魅かれて、馴染んでいるかのようである。玫瑰の芽が今はローズヒップの赤い実となった。句碑を前に、これからも師の思想を受け継いでゆこうとする弟子の静かな決意が伝わる。
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