カジトモ年代記(疾風怒濤篇)(8)

                       梶 倶認

  10 大学2年のときのこと

 春合宿が終わり、「原生林」の編集作業をする等して、大学1年の春休みは過ぎて行った。私、岸本君、日原君は、大学2年になっても、小佐田先生の「作句演習」ゼミを受講した。東大学生俳句会の会員であるということもあったが、俳句が面白かったことと小佐田先生と一緒にいるのが楽しかったことが受講の動機だった。2年生になっても、することはほとんど変わらなかった。金曜日の一番遅い単元の授業で、句会をし、その後、製図教室を通って、小佐田先生の研究室で、しばらく雑談して、駒場東大駅近くの喫茶店へ行って、題詠の句会をしていた。もちろん、本郷句会や東大ホトトギス会に顔も出していた。
 4月に入って、作句演習ゼミにも、東大学生俳句会にも新入生が入ってきた。これから、新入生を何人か紹介したい。
 岩田由美さん。岩田さんは、今岸本君の夫人であり、角川俳句賞を受賞したことがある俳人であるが、当時は現代詩に興味を持っていた。吉原幸子の詩が好きだったと思う。後に、出口聡子さんたちと、詩の同人誌を出し、私はこれに短歌を発表した。

  春深く誤解は白き花のごと
  少女期車間に落ちる蝶の夏

 大学1年生のころの岩田さんの作品である。
 出口聡子さんは、私の教養時代の同級生である高橋秀年君と高校の同級生だった。高橋君は、山中湖で若くして亡くなるが、人気者だった。もっとも、出口さんと高橋君の話をしたことはあまりなかったと思うし、高橋君と出口さんの話をしたこともそれほどなかったように思う。出口さんも、現代詩に興味を持っており、岩田さんたちと詩の同人誌を出していた。作品は、次のように、言葉に対し、独特の感覚があって、個性的だった。

  うなじまで泡たててふっと冬銀河
  止り木にオウムのいない月夜かな

 それから、岩田さんたちと同人誌を出した西村龍一君もこのとき参加した。彼は、私と教養学部の同級生で、文学部の独文を卒業して、今北海道で大学教授をしている。先日、お子さんが生まれたようである。今も年賀状のやりとりがある。作品は、

  他人来て雪恐ろしく降りにけり

のような独特の言葉遣いがあるものだったが、詩的なものを伝えている(なお、西村君は、「原生林」の二十一号に「東隆一」の名前で作品を出している。)。
 前回紹介した、「原生林」の二十二号を編集した又野誠さんもこのとき、入会したのではなかったかと思う。又野さんは、無口で、酒を飲んでも、そんなに変わらない。一度、私の家に泊まったことがあったが、酔っぱらっていた私が寝てしまって、傍で黙って又野さんがいたので、妹が大変気の毒がったことがあった。又野さんの作品は、前回、一部紹介したが、次の作品のように、真面目な性格のとおり、手堅い。

  暮れなんとして山際の桜かな
  マフラーの赤が気になる春隣

 このような人のほか、作句演習ゼミを受講しなかったが、次のような作品を作っていた、米岡薫(筆名相沢浩)さんが学生俳句会に入会した。

  海鳴りや頂のみの冬の富士

 また、私のことを先輩と呼ぶので、どことなく照れくさい思いをしたことがある岩田綾さんも作句演習ゼミを受講し、次のような作品を作った。

  とげのある言葉ころがりやまぬ秋

 この年の夏合宿も、妙高高原の池ノ平寮で行われた。雨の日が多かった記憶である。前の年に行かなかった妙高高原でも高いところにある笹ヶ峰牧場へ行った。それから、最後の日だったと思うが、前の日飲み過ぎて、句会の後、清記用紙を握ったまま、眠ってしまった私のことを見て、小佐田先生が「死んでも句稿を放しませんでした。」と言って、笑った。
 この年の秋から、キノコ狩り合宿が始まった。キノコ狩り合宿と言っても、山に入って、キノコをとって来るのが目的ではない。キノコが出るころの山に行って、俳句を作ろうという合宿である。この年は、妙高高原の池ノ平寮を利用することができなくて、妙高高原の池ノ平寮の近くの民宿に泊まった。この合宿が行われたのは、十月十日ころで、東京はさほど寒くはなかったが、妙高高原が寒いのには驚いた。妙高山の上の方には雪があったかもしれない。民宿には炬燵が準備されていて、秋の北信州の感じを味わうことになった。この合宿に参加したのは、小佐田先生、岸本君、日原君、出口さんに私の5人の小人数だった。妙高高原の山に入ったのは覚えているが、どこの山かは覚えていない。もちろん、キノコの収穫はなかった。
 キノコ狩り合宿が終わり、冬学期が始まった。冬学期は、昨年と同様、理科の学生が授業の関係でとれない人が出て来るので、作句演習ゼミの受講生は大分減った。教室も、五号館の今までの教室ではなく、七号館の狭い部屋に変わってしまった。作句演習ゼミが終わると、あいもかわらず、小佐田先生の研究室にお邪魔して、色々と話をし、その後、駒場東大駅の近くの喫茶店に行って、題詠で句会をするのも、去年と変わらなかった。
 この年の春合宿は、群馬県の谷川温泉にある谷川寮で行われた。三月の谷川寮がある辺りは、水上温泉からずいぶん山の方に入るので、一メートルくらい雪が積もっていて、前の年の伊豆の戸田寮の合宿とはずいぶん様子が違っていた。寮の小母さんに言われて、合宿に参加した男子学生は雪掻きをした。一列になって、十人程度が雪掻きをしたが、最初の一時間程度は良かったものの、それ以上になると、みんな疲れが出てきた。幅五十センチメートルくらいの地面が出るようにして、一面に積もった雪の中に道を作った。誰だか分からないが、途中から合宿に参加した者が、このようにみんなで苦労して作った雪の中の一本道を夜歩いて、寮に着いた。小佐田先生は、「原生林」の二十六号の一季一情で、この雪掻きの様子を書かれた上で、

  温泉に潛む一升壜や雪五尺

という句を付けられているが、確かに、温泉が引かれた寮の風呂の湯船に酒の壜を漬けて、燗をしたというか暖めた酒で、宴会をしたことがあったかもしれない。それから、合宿の最終日の朝だったと思うが、大きな音がしたので、驚いて、窓を開けると、寮の側の川の対岸にある山の一部で、小さな雪崩が起き、山肌の木を川の方へ押し流していた。
 このように、私の大学二年生は過ぎて行った。私は本郷の文学部の社会心理に進学し、岸本君も日原君も同様に本郷に進学した。淡々とした一年だったように見えるかもしれない。しかし、実を言うと、この年に、私は、興味深い句会の幹事をするようになったのである。このことは、次回に書くこととする。(続く)