大屋達治句集『寛海』
北斎への道
<句集評> 福田甲子雄 (「白露」同人)
「北斎への道」
大屋達治といえば江戸後期の浮世絵師葛飾北斎を思い浮かべてしまう。それは、次の句に大きく印象づけられているためであろう。
大山に脚をかけたる竈馬かな 達治
第四句集『龍宮』に収められている作。強烈な個性の込められている描写が、読者の眼をとらえて放さない。大山は山陰地方第一の高峰で鳥取県西部にあり、海抜一七二九メートル。その山に昆虫の竈馬が脚をかけた、という発想の主観性に北斎の絵にある主観と同種なものが感じられた。平成八年「俳句」十月号の座談会の折、片山由美子からこの句の舞台裏について聞いたことがある。
伯耆大山に吟行に行ったときの作。山へ登る前の側溝にいた一匹の竈馬が発想の原点であるそうだ。その話を聞いてから達治俳句の美学に対しより親近感がわいてきた。それに葛飾北斎の富嶽三十六景・神奈川沖浪裏の絵が思い出された。遠景に小さな富士が見え舟を呑み込むような大きな濤の先端から、達治の描いた竈馬の脚が感じられたからである。
第五句集『寛海』は六つの章から構成されている。その第一章に次の句がある。
捨てし田を豊葦原へ還しけり 安房続集
いつの世からであろう開かれた稲田が、近年の国の農業政策による減反で、再び葦の茂る原野に還ってしまった。稲田は三年間放置しておくと、それを元の美田とするのには放置した歳月をかけなくてはならないといわれている。
達治俳句の魅力の一つは句柄のダイナミックさにあり、女性にはない対象に向かったときの自然を抱擁する呼吸力の強さである。したがって固有名詞の使用が、その呼吸力から出てきている。豊葦原も日本国の美称としての瑞穂の国と続いてくるのだが、片方に夏の青々と伸びている葦原の姿もそこに展開してくる。そうでなければ一句から季節感が失われてしまう。日本各地で近年見られるようになった田圃が原野になっていく農村の姿を、この句はきっちりと見つめている。
登高や先達普羅の立山に 古志新頌
前田普羅が横浜から報知新聞富山支局へ赴任したのは、関東大震災後の大正十三年である。
立山のかぶさる町や水を打つ 普羅
達治が立山に登ったのは中国の古事に習って、菊の酒を吊るし、旧暦九月九日の重陽の節供の日ではなかったか。登高とあるので山に登り菊酒を飲むと長生きする古事を忠実に守ったのであろう。ハイキングとしてだけではなく、高きに登る登高が脳裏にひらめいてのこと。俳諧性を秘めた作者の俳句への思いが鮮明に感じられる。
伊勢国長島に干す時雨傘 遠淡海集
葛飾北斎の版画を観るような印象をうけるのは、伊勢国という大きな表出にある。
伊勢国は現代の三重県の大半。伊勢神宮のあることで古くから栄え、全国に伊勢参りで名が知れわたっていた。その中でも長島は織田信長軍と戦った一向一揆の本拠地で、多くの門徒が虐殺されている場所でもある。
時雨の降るなかを一向一揆の墓参をしてきたのであろうか。時雨が去った島に傘が干されている。それも多くの傘が干されているような印象をうけるのは、伊勢国長島といった言葉からである。達治俳句は一句に立体感をもたらすために遠近法をよく使用する。大きなものに小さなものを対比させたり、遠いものに近くのものを添える構成。伊勢国長島という地名の大きさと、時雨傘という寂しげな小さな関係にそれを見ることができる。
上京区五辻六軒春袷 畿内吟遊
この句は漢字ばかりで表現されているが、春の抒情感のあふれている作である。上京区であるから京都。新郵便番号簿を見ても上京区には、千本通中立売上る、油小路通今出川下る、出水通猪熊東入といった地名が掲載されている地域である。上京区五辻六軒はどの辺りか、京都の友人に電話で聞くと西陣の六軒町で、昔からお茶屋のあった場所であり現在の北新地辺りになるという。
京都は底冷えの激しい街なので、しかも西陣の遊び場ともなれば、春袷がぴったりとおさまる。言葉のリズムとしても五辻六軒はなかなかのひびき。現俳壇では自分の理解できる俳句だけを珠玉と考えるような流れがある。創造の精神を失ってしまっては俳句は堕落していくばかり。せめて五辻六軒を調べてみるくらいの努力を失ってしまってはいけないのではあるまいか。
鎌倉を転がり出でし龍の玉 東国巡礼
あの小さな固い竜の髯の実が、こともあろうに鎌倉から転がり出てきたのである。鎌倉といえばかつて幕府がおかれた地で、史跡や神社仏閣が多い所。そんな広大な鎌倉から小さな龍の玉が転がり出た。この大胆な構成など、葛飾北斎の豪放な描写力に思いがおよぶ。これまであまり見られなかった表現であり現代の俳諧味が感じられる。
流れ星惑へる星に衝きあたる 千葉愚草
壮大な宇宙ロマンが感じられ、感性で把握したものを見える景としたところに、この句のよろしさがある。秋の夜空に行方も知れず流れていく星を見つめて、その流れ星が「惑へる星」に衝きあたったと感じる。「惑へる星」とは地球であり、その地球に定住する俳人への思いであり、作者自身へと繋がっていく。
各章から感銘した作を一句に絞って鑑賞し達治俳句の創造力の広がりが、葛飾北斎の荒技に近づきつつあるのではないか、という感慨を深くした。