《連載》 句集を読むS

 

 季題を中心に

   松本たかし『石魂』

 

           岸本 尚毅

 

  下闇や土よりつづく幹の苔      松本たかし

 

 「土よりつづく幹の苔」という描写に私は舌を巻いた。地

べたに生じた苔が木の幹を包むようにせり上がっている様子

だ。じつは私も「道の苔幹に及びぬ花明り」という句をつくつ

たことがある。正直なところ上五中七には苦心した。ところ

が「土よりつづく幹の苔」は、拙句同様の光景をより正確によ

り易々と描く。私など幹の苔が土に続くのか土の苔が幹に続

くのか、そのへんから迷ってしまったが、たかしの句を見る

と、土と苔と幹の関係が厳然として定まっているように思え

てくる。

 『石魂』は、たかしの三十代なかばから四十代はじめの作

品を収録する。病弱なたかしの、壮年の句集にして生前での

最後の句集ともなつた。巻頭の句は、

 

 夢に舞ふ能美しや冬籠          たかし

 

 病弱のため能楽の道を断念した松本たかしの境涯を反映し

た秀作とされている。はじめ私は、「夢に舞ふ能美しや」とい 

う措辞が俳句としてはあまりにも甘美すぎる、と思っていた。

しかし、この句を理解する鍵はじつは「冬寵」という何でもな

い季題にあるようだ。

 

  地の底に釣瓶の音や冬籠         はぎ女

  塵取にきのふの塵や冬寵          芳陸

  定期船来れば出て見る冬龍      大野きゆう

  とりとめし古き命や冬寵        高田其月

 

 『ホトトギス雑詠選集』から「冬龍」の句をひいた。冬籠と

は、もともと夢を見たり能を舞ったり、というふうな季題で

はない。寒さに耐えつつ営々と過ごす日々の営みのありよう

が、季題趣味における「冬寵」の本意なのであろう。ところが、

たかしの句の場合「夢に舞ふ能美しや」という華麗な言葉の後

に「冬籠」という季題が据わる。その結果、夢も能も、一切は

「冬籠」という季題の色に染まってしまう。いっぼう「冬籠」と

いう古色蒼然たる季題は、「夢に舞ふ能」という美の世界と結

びついて新たな表情を見せる。能という典雅な世界を夢に描

きつつも、たかしの居る現実は「冬籠」という俳語の世界なの

である。そこに松本たかしという俳人の覚悟と安堵があると

思う。

 

 色町にかくれ住みつつ菖蒲葺く      たかし

 

 この句も俳諧の味。茅舎はたかしを「生来の芸術上の貴公

子」と評したというが、たかしには、「貴公子」の顔とともに、

したたかな俳譜師の顔があると思う。

 

尼寺の畳の上の花御堂          たかし

 

「畳」がよい。

 

小鼓のポポとうながす梅早し       たかし

 

鼓が登場する句には次のような作もある。

 

 花散るや鼓あつかふ膝の上      (『鷹』所収)

  チチポポと鼓打たうよ花月夜     (  〃  )

 

 この二句を読むと鼓に村する深い思い入れが感じられる。

一句の中で「鼓」が季題と対等の重みをもっているからだろう。

それに加え、「あつかふ」「打たうよ」という己自身の動作が

詠まれているからかもしれない。

 いっぼう「小鼓のポポとうながす」は「梅早し」が一句の中心

となっており、しかも、鼓を打つ人の動作が詠まれていない

(すなわち「鼓」が自動詞の主語になっている)ことから、一句

の中にあって「鼓」は軽い。この句は肩の力を抜いた感じの佳

品といえようか。

 

  懐手して万象に耳目かな          たかし

 

 「懐手」の季題趣味に則った作だ。風景そのものは懐手の

人物が居るだけ。この句の秀句たる所以は「万象に耳目」とい

う洞察の的確さと漢語の響きの厳しさにある。

 

 一僕の侍る焚火に客主           たかし

 

 「一僕」「客」「主」と人物像は全て人間関係の中に抽象化

されている。古風な山荘を所有する人物とその客、そして山

荘の使用人が静かに言葉を交わしつつ焚き火を楽しんでいる

さまが目に浮かぶ  

 

風花に締めて人住む茶店かな        たかし

 

「人住む」がなつかしい。

 

  波除に大年の波静かな           たかし

 

 大年という季題を得、「静かな」に実感がある。

 

  春雨の雲居る山に家居かな         たかし

 

 「家居」には、家に居ることという意味と、住居という意

味がある。この句の場合、春雨を降らす雲が居座っている山

に一軒の家があって、そこに人が居るというふうに解するの

だろう。大きくゆったりした呼吸の句で、春雨という季題に

即して読みたい。上五が「夕立の」や「秋雨の」でも句は成り立

つが、「家居」という言葉の長閑な語感ともっとも調和する季

題は春雨だろう。

 

  椅子に在り冬日は燃えて近づき来      たかし

 

 風景としては、椅子に座っている自分に冬日がさして来た、

というだけ。だが作者はこれを「日向ぼこ」とは詠まない。む

しろ冬の日の意外なまぶしさを「燃えて近づき来」と力強く詠

う。次の一句と相通じる境地だ。

 

  わが眉の白きに燃ゆる冬日かな        虚子

 

 このはか『石魂』には次のような句がある。

 

  梁掛けて高鳴る水や薄紅葉         たかし

  日は遠く衰へゐるや軒簾

  霧の道現れ来るを行くばかり

 

 いずれも季題を中心に据えた秀句だ。季題とともにあると

き、たかしの芸はひたすら堅固である。