小林巳之句集『凍鶴』
         
(2006年4月 文學の森刊)


     小林巳之さんの天職は教師であり、真実
     その道に命を懸けて来た。数年前還暦を
     迎えて惜しまれつつその職を退く間での、
     教師としての喜びと悲しみ、緊張とゆとりの
     生活が生み出した作品が、この句集の中
     心である。      (有馬朗人 序 より)


<自選10句>

   寄り添うてひとつに凍てぬ夫婦鶴

   自動ドアにアリババの呪文四月馬鹿

   とまゆらの時雨とほりぬ青邨忌

   碧落に婆娑とぶつかり鷹と雉子

   教師辞め書架を入れ替ふ啄木忌

   かなぶんの出合ひがしらの掴みあひ

   一顧だにせず氷盤の尾白鷲

   なまはげの現るる気配に炭火爆ず

   木魂して己を醒ます冬の瀧

   春夕焼われより母に山羊なつく




<句集評>

     小林巳之句集『凍鶴』を読む
          ー 少年は見た ー  

              望月 清彦
  (画家・「幹」)


  風邪の瞳に応へやるべし教師われ  小林巳之

 「天為」同人・小林巳之さんの第一句集『凍鶴』を読み通して、じっくりと味わえる好著だと思った。じんわりと心に沁みる句集だと思った。胸中の詩のポケットを膨らませてくれる本だと思った。しかも俳句という詩について、どうやら私たちが検証を怠ってきたらしい基本的な問題を提起してくれさえもする。
 なぜ冒頭に「教師われ」の一句を取り上げたのかと言えば、掲句が多分に巳之俳句のシンボリックな内容を孕んでいると思われたからである。
 巳之さんの高校時代から平成十七年までの厖大な作品群の中から四百十句が厳選され収められたこの句集には、しかし二つの大きな柱があるように思われてならない。
 その一つは、「天為」主宰・有馬朗人氏が、懇切な長文の「序」の中で指摘しているように、「小林巳之さんの天職は教師であり、真実その道に命を懸けて来た。数年前還暦を迎えて惜しまれつつその職を退くまでの(中略)作品が、この句集の中心である。」という小学校教師の柱。そしてもう一つは、議論の分かれるところかもしれないが、「教師われ」の応えやるべき相手方でもある”少年”の柱。そこに仄見えるのは、集中、陰に陽にしばしば登場してくると言ってもいい”巳之少”の柱である。
 掲句には、小学校教師となってまだ間もないころの著者が、何度となく味わっていたであろう”とまどい”があり”ためらい”がある。風邪の微熱で眼を赤くし何ごとかを訴えてくるような瞳に、何と応えてやるべきか。教師であることを自覚すればするほど湧き起こる「これでいいのか」という自問自答。単純には割り切れない現実だが、明確な答を出せないまま歩み出さねばならない日常任務の、未決の緊張感がここにはある。
 この”とまどい””ためらい”は、二十代の青年教師の時代にとどまらなかった。教師として安住の地が与えられていたわけでもなかった。

  シクラメン教師身ほとり紙多し
  職探すわれに五匹の子猫あり
  職歴に記さぬ病歴啄木忌
  蟹捕りの子も杜にをり祭笛
  男手に釦を縢る花袋の忌
  十五夜と書く拭かれある黒板に
  亀鳴くや身過ぎ世過ぎを疎く生き
  教師と手つなぎたがりぬ花筏
  のつけから注射に泣く子葱坊主
  蝉遠しかつて教鞭とりし村

 著者らしい実直な教師像が目に浮かぶ。「蟹捕りの子」も「注射に泣く子」もかつての”巳之少年”だったにちがいない。そして還暦で定年退職する。

  教師辞め書架を入れ替ふ啄木忌

 ”とまどい””ためらい”ながらも決して暗くはない。黒板に「十五夜と書く」ときの、何という明るい緊張感であろうか。月光がしたたるようである。むしろその境涯のいついかなるときも詩心を携えて離さず、自らの境遇をしっかりと受け止める手だてとしてきた節さえある。
 それもそのはずだ。巳之さんは昭和十三年に山梨県富里村(現身延町)に生まれ、中学時代から作句し、実兄・小林波留主宰の「幹」に入会。昭和三十二年には「夏草」に入会して山口青邨に師事(昭和三十五年には実兄・小林宗一氏も青邨に師事)。昭和六十一年に夏草新人賞を受賞した。「夏草」終刊後、平成二年に「天為」に入会し、有馬朗人氏に師事。平成三年には同人となって現在に至るという、まことに長い句歴をもつ。それだけに、むろん句集への収録句も多様だ。

  兄離郷黍の葉ずれの軒に鳴る
  梅落花父亡き蒲団干しにけり
  盆路の草刈り残し母逝きぬ
  瀧空に音なき藤の懸りけり
  たまゆらの時雨とほりぬ青邨忌
  子らのお蚕白墨ほどに太りけり
  大投網打ちたるごとき鰯雲
  一本の竹が仕切りや夏料理
  碧落に婆裟とぶつかり鷹と雉子
  地に叩きつけて牛吐く息白し
  まつすぐに杉まつすぐに那智の瀧
  なまはげの現るる気配に炭火爆ず
  なまはげは黒鬼板戸黒光り

 肉親に対する愛惜の情や先師への深い思いを詠み、自然を観照し、生活の一齣を活写し、休暇を利用しての旅吟も少なくない。しかしこれらの多様な作品群に共通しているのは、物をはじめて見、あるいははじめて認識したときの”少年の眼”があり、”少年の瞠目”が感じられることだ。
 どの句も突飛な対象を選んだり、奇特な詠み方をしているわけではない。近頃は奇を衒って意味不明になったり、逆に平明さを狙うあまり、平凡にして唯事に終ってしまう俳句が量産されている中にあって、本当のものに触れている実感がひしと伝わる作品群と言える。
 たしかに巳之俳句には近頃はやり言葉になっている”サプライズ”(驚き、不意打ち、奇襲)のようなものはあまりない。そのかわり、しっかりと”リアリティー”(現実、実体、本質)に根差した迫真性が感じられる。長年、絵画の筆をとってきた筆者としては、それを著者の写生(スケッチ)力に帰するつもりはなく、より正確を期するならば、それは、著者のリアリティー掌握力の結果だと言いたい。そこに、長い句歴のしからしむる巳之俳句の芸域が見えてくる。

  寄り添うてひとつに凍てぬ夫婦鶴

 凍ててなおどこか暖かく、穏やかに結ぼれたこの一句が表題句である。鹿児島県出水の鶴の里での作。著者が今、「ひとつに凍て」て暖を採っているのは俳句。そしてその境涯を賭けているのは俳句ではないだろうか。

  凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす  山口青邨

 さてこの句集は、収録句を作句年代順に配列しているが、巻末では五十余句に及ぶ著者少年時代の追憶句を「少年行」と銘打って、独立した一章に仕立てているのが特徴だ。いずれも例外的にここ数年の作であり、少年時代の鋭敏な感性で摘み取った詩的体験を、卓越した記憶力で復元している。
 この創意ある一章に、冒頭句以下に見られる”とまどい””ためらい”、さらに随所に及ぶ”少年の眼””少年の瞠目”のみなもとを感知することができる。そんな発想をする詩心が、この句集の基調音となって全篇に響き渡っていることに改めて気がつく。
 「巻末に収められている『少年行』は読み応えがある。傑作と言ってよい。小林巳之という多感な若者がどのような風土に、どのような生活で育ったかが髣髴とよみがえって来る。それは巳之さんの個人体験を越えて、一昔前の田園地方に育った我々が共有する体験である。」
 これは朗人氏の「序」からの引用であり、そのきわめて高い評価に筆者はまったく同感である。

  春夕焼われより母に山羊なつく
  双親の寝間あけわたし夏蚕飼ふ
  草の罠しかけられあり地蔵盆
  股旅の兄が風切る村芝居
  雁首の火だね手窪に小春かな
  底冷えや弁当箱の蓋に白湯
  炉埃や麺棒ほどの母の丈
  箍きつく父の作りし年木負ふ
  蝋沁みのめんこが自慢ちやんちやんこ
  藁草履あむや踵に襤褸の緊め

 ここでは少年らしく肉親に対する情愛は前掲句の場合よりも一段と強く現れている。太平洋戦争敗戦後の農山村経済のいちじるしい疲弊が、少年たちを取り巻く生活環境をひしひしと圧迫していたであろう昭和二十年代。しかし、少年の眼はむしろ爛々と輝いているように見える。
 その後間もなくおとずれた都市化・工業化の波に揉まれて、私たちの大多数の生活がみるみる変貌し、このわずか十句ほどに描かれている事物でさえ、そのほとんどを失ったか、しりぞけてしまっていることに改めて愕然とする。山羊、蚕、地蔵盆、村芝居、煙管の雁首、弁当箱、炉、麺棒、箍、年木、めんこ、ちゃんちゃんこ、藁草履、そして襤褸切れでさえも・・・。これは著者が、”少年の眼”を通して物静かに訴える文明への警鐘だと言えなくもない。
 もう一つ、作句のスタンスや方法論という視点からも、私たちはあまりにも”眼前”にこだわってこなかったかという問い掛けに突き当たる。冒頭で触れた「基本的な問題」である。物心ついて以来、私たちが貯めてきた記憶の種袋は、本当に用をなさぬというのだろうか。その厖大な記憶に支えられて今を生き、記憶の火種で鍛造された刀身の切っ先となって、現在・未来を切り開いているというのに、である。
 俳句が技法上の制約によって限定的な人間像の表現にとどまることなく、”全人像”の表現を目指す詩でありたいとするならば、このあたりにも目を向けた方法論の再検証が要ると思われてならない。