仙田洋子句集『雲は王冠』
(1999年8月 富士見書房刊)
<句集評> 津久井紀代
「人が最も輝くとき」
炎天のイブは片目をつむるかな
仙田洋子の俳句は古いしきたりや因習から自由でありつづける。言葉はこぼれるように湧き、書き止めた言葉はきらきらと輝き始める。氏の作品を見ていると、言葉とはかくも美しいものか、そして自由であるものかと思う。
イブは『旧約聖書』で、人類最初の女性。片目はアダムにウインクを送っているとも思われるし、イブは作者自身であるとも思われる。いずれにしてもイブはもっともっと大きな世界が描かれていると思う。「炎天」も「イブ」も「片目」も「つむる」も言葉がきらきらと輝いている。そして色々なことを想像できる大きな力がある。
恍惚と亀鳴くアウシュビッツかな
この度、仙田洋子第二句集『雲は王冠』が上梓された。一九八八年から一九九七年まで十年間の作品四百五十句が収められている。年齢としては二十六歳から三十五歳までのもの、人生最も輝いている時期で、この「輝き」が『雲は王冠』を貫いているものである。 掲句は洋子さんの代表句の一つである。「アウシュビッツ」は言うまでもなくポーランド南部の都市。第二次大戦中、ナチスドイツの強制収容所が造られ、ユダヤ人など多数が虐殺された。
亀は鳴かない。想像上の季題である「亀鳴く」を、「恍惚」と鳴かせた洋子さんの手腕は凄い。「恍惚と亀鳴く」の一語をもって「アウシュビッツ」の何もかも表現できた。この一句のように大胆に切り取る手法が、洋子さんの大きな特徴と言える。成功率も大である。真正面から対象にぶつかってゆく姿が清々しい。例えば
黄昏のアンダルシアの焚火かな
なども胸中深く刻まれる一句である。
摩天楼驟雨に蛇のスープ飲む
黒人の唇に音楽雲の峰
雪煙る森にしづかに手をつなぐ
雪残るセコイアの幹愛刻む
洋子さんは東大の教育学部教養学科で、国際関係論を専攻された。その関係で外国によく旅されている。結婚してからもご主人の赴任地であるアメリカで一年過ごすという貴重な体験をされている。この貴重な経験が洋子俳句をゆっくりと大きく変えた。大自然と真正面から向かうとき、「下手な小細工も卑小な主観も」いらなかったのである。
掲句の前二句は独身時代のもの、後二句は新婚時代のもの。いずれもアメリカでの作である。いずれも「今」をきらめく言葉で埋め尽くされている。
繭玉をかかげてモンローウォークよ
火の鳥と思ふ白鳥に夕焼寒ム
薄氷やきらきらと泣く男の子
「繭玉」と「モンローウォーク」の対比にはかつてない意外
性に驚く。「白鳥」を「火の鳥」と見た大胆な発想、「泣く男の子」を「きらきら」と捉えた新鮮な発想には単調な伝統俳句からほど遠い仙田洋子の個性がある。師である石原八束とは違った個性で一作家として著しく成長した。
天無限恋も無限や濃はまなす
冬銀河かくもしづかに子の宿る
天涯に火色の雲や草の花
夫恋のこころきりなし百千鳥
雪渓に蝶くちづけてゐたりけり
語学堪能、エリートコースを歩まれて来た洋子さんが恋をし、結婚、そして〈冬銀河かくもしづかに子の宿る〉の一句をものされた。実に上手い句である。「夫恋いのこころ」を、誰はばかることなく自然体で表現できる力にこれからの期待が大きい。
雲は王冠詩をたづねゆく夏の空
題名となった一句。
洋子さんは真の詩人である。これからも大自然と真正面から向かい合い、自然と対話出来る瞬間を目をきらきらと輝かせて待っている。洋子さんはこれからの時代の担い手の一人となるであろう。