岸本尚毅句集『健啖』

           (1999年4月 花神社刊)

 


 <句集評>
      横井 理恵  

 

 

   健啖のせつなき子規の忌なりけり

 

 子規は健啖だった。その若すぎる晩年の著作に現れる食物への執着は尋常ではない。子規の「健啖」は、生への執着にほかならなかったのだろう。病苦と戦い、迫り来る死を見据えながら、大いに食べ、大いに書いた子規。「せつない」というほかはない。そのせつなさを突いた掲句は、子規忌の句として抜きんでている。もうこの句なしには、子規忌を思い浮かべることはできないであろう。

 その子規の忌日は九月十九日、食欲の秋に入る頃である。健啖に物を食いながら、作者は子規の健啖に思いをはせている。(作者の尚毅氏は「鶴」に喩えられてしまう位の細身だが、健啖である。)子規の健啖だけがせつないのではなく、若くして没した子規に対して自分が今健啖で世にあることを、尚毅氏はふと 「せつない」 と思われたのではないか、と私は思った。子規の享年は満で三十五歳。そして尚毅氏は今年、三十八歳。今自分が健啖であることの意味を、ふと考えられたのではないかと想像するのである。

 子規の「健啖」が病的であるのに対して、尚毅氏の健啖ぶりはきわめて健康的である。大いに飲みかつ食べ、大いに句作しかつ評する。その活躍ぶりは周知のことであろう。

 その健啖ぶりの底にある姿勢を、作者は「あとがき」で、「写生という俳句の基礎を学ぶことに努めた」と語っている。『天為』連載中の評論においても、常に「写生」を説いていることは見られる通りである。子規も「写生」を善とし、「写生の作を見ると、一寸浅薄のやうに見えても、深く味へば味はふ程変化が多く趣味が深い」(『病牀六尺』四十五)と書いた。写生を骨法とする尚毅氏の俳句は、まさに、深い味わいがあって忘れがたい。

 

  日の当るものを日陰に盆支度

  蝶々の大きく迅き端午かな

  秋晴の如雨露に水を入るる音

  遠目にもバナナの黄あり施餓鬼舟

 

 平明であり、景が鮮やかである。少しも無理がない。過不足もない。しかも、これらの句には、定型であることの気分の良さがあふれている。

 

  鰭酒の鰭より泡ののぼり来る

  さらに細く水引草に絡むもの

 

 極めて微視的でありながら、眼前に大きくありありと景が見えてくる。そこには何か呼び覚まされるものがある。それを、リアリティと言っても、深層的な懐かしさと言ってもいい。それは、俳句という詩型の持つ力でもあると思う。「鰭酒」の句を、散文で詩にできるだろうか。極めて困難であろう。単に写生というに留まらず、散文では描けない、俳句という詩型だからこそ掬いあげることの出来る世界が、ここには現れている。

 

  十薬を刈りしづめたる鎌を置く

  水中の物の形の冷やかに

  もの食うてゐる緑蔭の一戸かな

 

 尚毅氏の句は、俳句という定型を少しも不自由と思わせない。これらの句には、もうこれ以上何も付け加えるべきことはない。世界は完結していて、しかも豊かである。そして、最も驚くべきことは、一つ一つの言葉に決して無理を負わせていないことである。

 私事で恐縮だが、岸本尚毅氏は東大学生俳句会の先輩である。主宰が東大総長だったころ、氏は互選が終わるころ句会にやって来ては、先生の句だろうが誰の句だろうが、片っ端から添削してしまうのが常だった。当時末席にいた私は目を円くして見ていただけであったが、今日思えば、あれは、氏と俳句との関係を端的に表す情景だったと思われる。氏の「添削」の由来するところを思い返してみよう。まず大切なのは、句の「しらべ」である。ごつごつとひっかかりのある句は必ず、なだらかな表現に添削された。表面的ななだらかさばかりではない、意味の過剰は切られ、ぶれは修正される。句はすっきりとした体になる。特に句を季題に収斂させる時、尚毅氏の繰り出す連体修飾の的確さと、その出てくる早さには目を見張るばかりであった。

 過不足なく、なだらかな表現が、尚毅氏からは手品のようにするすると出てくる。「七五調でものを言う」というと、ぎくしゃくしていそうに思えるが、そうではなく、非常に心地好いリズムとして、五七五が紡ぎ出されてくる。呼吸するように、物を食うように、自然に。

  『健啖』という句集は、森羅万象に対する尚毅氏の健啖な句作ぶりを心地好く味わわせてくれる。きわめて健康的で、滋味豊かな「健啖」である。

 俳句という詩型の持つ根源的な力、それが何であるか、私にはまだ分からない。しかし、その答えの一つは、尚毅氏の俳句の実践の中にあると思う。

 

   秋風やつまめば固き吾子の鼻

   赤ん坊浮かびがちなる柚子湯かな

   あるときは毛布の中に吾子の汽車