永井由紀子句集 『星恋』

                     (2006年5月 ふらんす堂刊)


         須佐之男の山河とよもす星の恋

       由紀子さんの俳句の特徴は、知性と感覚に裏付けら
      れた柔らかさである。写生を基本的手法として抒情性
      が強い。
       忘れてならないのは、神話や物語、そして歴史への
      強い関心である。         (有馬朗人 序文より)



  <自選10句>

       梨咲いてこの世にのこる化粧匣

       なほ匂ふ灰かき寄せて冬牡丹

       ちちははの山河しづかに夏蚕飼ふ

       マリア様御孕りの日湾晴れて

       島ぢゆうの花を持ち寄り親鸞忌

       風鈴や父と二夜の北枕

       おくんちの紅濃ゆきもの

       お遍路のうすももいろに嬰抱いて

       紫苑高しやがて神々来る露地に

       麦星のひとつともりて辻楽士




  <句集評>

     永井由紀子句集『星恋』

         ー いよよ華やぐ ー

                    福永 法弘

  男に実家はない。男は国を出て、身を立て、名を上げ、故郷に錦を飾るのを理想とする。男が思い浮かべる家とは、生家であり、勝ち取った城であり、落剥した庵である。

女は違う。「女三界に家なし」というが、あれは多分に嘘である。女は生まれ育った家を「実家」とし、夫と営む家を「我が家」とし、子を送り出したる後は「終の栖」に暮らす。

由紀子さんにも三つの家がある。


 桃咲いて女に実家ありにけり


 父母の住むその実家は、甲斐の山河の只中にある。それはまるで、桃源郷のようなたたずまいである。


  ちちははの山河しづかに夏蚕飼ふ

夕星を母が数へて花すもも

 郭公や父が水辺に火を熾し

 栗咲くや甲斐の棚田に水満ちて


 だが、実家の父母もやがて老い、ついには、黄泉路へと旅立たれる。その看取りは、この世に生を授けてくれた父母への何よりの恩返しである。

 
  母よりも父の窶れし木の芽かな

 雲雀東風もう耕せぬ父の畑

 病む父へ急げば濁る代田かな

 雨がちに母があの世に罌栗蒔くころ

 稲光つぎの世もまた父の子に


 愛別離苦。これほどの悲しみが世に二つとあろうか。しかし、悲しみは時とともに薄れ、思い出となっていく。

 
  気がつくとちちははあらぬ茗荷咲き

 長き夜の父の形見の虫眼鏡

 三月や形見の紅も減つてきて

 春の駅父が迎へに来し日々は


 二つ目の家は、転勤族の夫とともに歩み営んだ流転の家である。中四国地方を二、三年ごとに十一回も転々としたその先々が、そのまま由紀子さんの生活の舞台であり、作句の素材であった。特に、出雲で暮らした幾年かは、生来の歴史への造詣の深さとあいまって、独自の美の世界を構築することとなった。出雲の一連の作は『星の恋』集中の白眉である。

 
  引つ越してその夜おろちまつりかな

 秋の風手にのるほどの銅鐸に

 銀河親し斯く人麻呂も素戔鳴も

 行く秋の潮鳴り高き黄泉の穴

 ひとすぢの瑠璃のしほみち神集ひ

 この辺りよもつひらさか薔薇は実に

 読初や国来国来と声張つて


 長い流離もやがて、夫の定年とともに終わり、三つ目の終の棲家を転勤の最期の地広島に定める。

 
  雛つづら流離やうやうをはりける


 芭蕉は「奥の細道」の旅を始めるにあたって、売り払う庵の戸に<草の戸も住み替はる代ぞ雛の家>と書き付けたが、由紀子さんは、転勤族の旅の間もずっと持ち歩いた雛道具をここに荷解きつつ、遠く翁に和すのである。


  ひろしま忌石に坐りてひと待つも

夏の果ひろしまの鐘ひとつ撞き

管弦は沖の船より鱧料理

御座船をはたと指されし扇かな

いつくしま灯し夏潮深くしぬ

いつくしま妻恋の鹿星に立ち

 蘭陵王釣瓶落しの潮満ちて

 奈曾利舞ふ沖に露けき火建岩


  終の栖の連れ合いは、夫の永伊予人氏である。人生の伴侶であるばかりでなく、<十年ほど前、ある日夫が「仲間に入れて」と、投句の小短冊をひらひらさせながら句会にやってきた>ことにはじまる、俳句の連衆でもある。

広島で由紀子さんは、基町句会を主宰する。実はその句会は、筆者(福永)が広島に転勤族として暮らした時代に始まった句会で、私の転勤に伴い、由紀子さんに指導を託したものである。基町句会は今も活発な活動を続け、句会のメンバーの中から一組のカップルさえ誕生した。「寛さん実世さんを祝ふ」と前書き付きの一句がそれを物語る。

 
  いくとせのおもひ胡桃の花さはに


    *     *

 
 さてここまでは、やや境涯的に紹介したが、実は、由紀子俳句の真骨頂は、その境涯性よりも、たしかな技術に裏打ちされた美意識と、美世界の完成度の高さにある。

俳句は「何」を「どう」詠むかに尽きる。そして、「何」をしっかり詠むためには、「どう」詠むかの技術の裏づけがなければ、第三者の鑑賞には耐え得ない。その意味で、由紀子俳句には、鍛え抜かれた技術の裏づけがある。

その美意識と、七つの特徴に要約することのできる技術力は、若いころの加賀美子麓の元での俳句修業、「夏草」の山口青邨の元で新人賞を受賞するなどの活躍、そして、古館曹人氏の「ビギンザテン」での研鑽の成果に負うところが大きい。ビギンザテンの主要な舞台は関西、なかんずく近江であり、近江俳句こそは、境涯を離れた由紀子俳句の美世界そのものである。出雲俳句とともに『星の恋』の双璧をなす。


  投網打つ近江堅田の秋深く

  こんにやくを煮しめて湖東冬に入る

  蒲生野や露の葎に鎌研いで

  奥比良のしぐれに吊りて小鳥籠

  奥琵琶の男らの葺く花御堂

  羽衣を掛けたる余呉に朴の花

  二番蚕のころの明るき賎ケ岳

  噂してをれば鴨来る明智領

  紫香楽の礎石の千々にしぐれけり

  唐崎の松のかがよふ立夏かな

  舟曳いて舟ゆく淡海日短か

  余呉わたる冬満月に紅の暈

  根深汁賎ケ岳よりあかね射し


 地名と季語とが絶妙のバランスを保っている点が、由紀子俳句の技術的な第一の特徴である。朗人先生が序文で「(その地名の持つ)故事来歴のようなものにとらわれていないところが佳い。その理由は、季語が適切に用いられていることと、写生による発見があるからである」と解説しておられる通りである。

 二点目は、色彩表現の多用による華やかさの現出である。


   くれなゐの網に近江の濁り鮒

いちまいの瑠璃に琵琶湖の野分かな

  まつくろな猫がひらりとすひかづら

  白鳥来うすむらさきの湖の石

  おくんちの紅濃ゆきもの藻くづ蟹

  かささぎや碧き潮の末盧国


 三点目は、オノマトペの活用による軽やかさの表出である。


   富士ぬつと旧の端午の甲斐の国

信玄の国ひしひしと大青峰

 ぞろぞろと来て一本の針納

  ゆく春の僧ひらひらと市ぬけて

  渦潮のこをろこをろと日は永し

  うらうらと法華寺までの細曲り

  はるかより鉦しんしんと春障子


 
四点目は、漢字と仮名の使い分けの巧みさである。


    神等去出の御地といふも盥ほど
    かさらでや杼ほどの舟に八百萬


  神話に云う「神等去出の御地」が実は盥ほどしかない小さな池であったという種明かしは、漢字で「神等去出」と大仰に書くことによって始めて滑稽に転じる。また、「かさらで」と同じ素材をひらがな表記にすることにより、こんどは、そこから湧き出た「杼ほどの舟」の小ささを表わし、それをクローズアップしながら八百萬の神々を見出すという描写に力を持たせているのである。絵本的手法であり、ひらがな表記こそがふさわしいと言えよう。 


 五点目は、「て切れ」による調子良さの演出である。


  梨咲いてこの世にのこる化粧匣

  茶が咲いて軒からすぐに鯖の道

  朴咲いて遺品に小さき手風琴

  焚火してさつぱりしたる過去未来

  鮎落ちて末盧は空のひろき国


 六点目は、古の死語を詩語として蘇生させた技量である。


  
(からほり)や飛鳥のをとこ草を刈る

  髷華(うず)を挿す三輪の巫女(かんなぎ)星まつり

  水占(みづうら)に花の降りこむ貴船かな

  今は昔天羽鞴(あめのはぶき)を雪の野に

  玉響(たまゆら)といへば淡海の冬の虹

  山眠る国引きし夜は峰火(とぶひ)立て

  磔刑の若き犢鼻褌(たふさぎ)炎天下

    犢鼻褌とは褌のことで、三橋敏雄に<母を捨て犢鼻褌つよくやわらかき>があるものの、めったに目にする語ではない。  

 
 
朗人先生の手になる句集序文は「ニューヨークからパリに向かう大西洋上にて」書かれたものである。執筆先がどこであろうと何の意味もないと見過ごしてはいけない。この末尾一行は、永井さんの句集名『星恋』に唱和するために、わざわざ置かれものと思える。星恋の句は、


  須佐之男の山河とよもす星の恋


と出雲神話を偲ばせるが、それが序文末尾によって大西洋の星の夜を渡るリンドバーグに転じ、再び句集に目を戻せば、


    ストールに夫とつつまれ新羅の雪


と、まるで上質の連句のごとくに、時代を超え、国を跨いで、機知とユーモアと叙情性を持って自在に往返できるのである。ストールの一句は、師の呼び出しに呼応した見事な恋句である。そして、『星の恋』全体に連句を感じさせられる最大の要因は、平句にも似た、切れをわざと曖昧にしたテクニックに拠る。由紀子俳句の七番目の技術的特徴であり、


  退職の夫に満月如月の

  唐崎のそのひとつ松茅の輪して

  お遍路のうすももいろに嬰抱いて

  用瀬(もちがせ)の瀬音も後の雛のころ

  あらたまの安騎野の闇に火を立てて

  セルを着てフランス寺へ参らうや


などの句を目にすると、連衆として、条件反射的に次の句を付けてみたくなるのである。

由紀子さんは六十歳になられた。しかし、六十歳は「いよよ華やぐ」華甲の齢である。


  人の世のいそぢのなかば浮いてこい

  春惜しむ華甲までいまひとあしの

  華甲くる瑠璃紺青に冬の沖


  彩鮮やかに美しく年をとっていく、見本のような人と言えるのではなかろうか。そのほか、書き漏らした句を最後に記しておく。


  ゆふすげや抱かれてきたる平家琵琶

  みづうみと海のあはひに梨の花

  下京や春はぬるめに薬草茶

 まだ眠うないおかつぱの鉾粽


  由紀子さんの美世界がますます色を深めゆくことを楽しみに、とりあえずの筆を擱く。