中村青路句集『錆鮎』
(平成18年8月 角川書店刊)
青路さんは花巻の人、賢治に私淑しその詩清新を
愛している。そして努力の人である。その努力の効
あり。近年一層句境を深めている。青路さんにはさら
に卒寿、白寿を祝う句集を期待する。人生百二十歳
の時代である。八十代、九十代そして百代の新しい
俳句に挑戦していただきたい。
(序より 有馬 朗人)
<収録作品より10句>
賢治好き山菜好きで蕎麦を打つ
独活を掘る熊出る沢と知りながら
春耕の鍬の重さも喜寿過ぎて
豌豆のまだをさなくて絹の音
裘隣にどかと坐りけり
?を穿かねば隣家にもゆけず
志願して追儺の鬼となる童
籾殻をちらすいたづら蔵ぼつこ
穴を出し蛙眠りの足らぬ顔
金色堂裏の小藪の蛇の衣
<句集評>
中村青路『錆鮎』
― 青と銀 ―
久野 雅樹
中村青路さんは平成十八年七月二十五日で満八十二歳とな
られた。青路さんの第五句集である『錆鮎』には平成十二年か
ら平成十七年までの六年分の句を収める。
年々の繰り返しの中で ― 青邨と賢治
この句集は一年を一章とする構成で、各章に「青邨忌」「鬼
剣舞」「子規の忌」「能舞台」「実攻瑰」「早稲を刈る」と題を付す。
晩夏ないし初秋から始まる一年を単位としての六サイクルが
いい。巻頭の句は、
鰯雲ならんと鱗散乱す
だが、それぞれの章が明るく爽やかな気分で始まり、冬と春
を経て夏の陽光のもとにとじるという展開に、巧まずもほぼ
なっている。七月生まれの青路さん固有の一年である。
この六サイクルの中には繰り返されるテーマがいくつかあ
るが、なんといっても大きいのは青邨と賢治。
まず青邨への思慕に由来する句をいくつか引こう。
青邨祭どの橋ゆくも遠郭公
青邨祭つばめ盛装して来たる
青木の実まだ青かりき青邨忌
青邨忌冬青空の限りなし
かたや五月の青邨祭、かたや師走の青邨忌。句に詠まれた
五月も師走も実に晴朗で伸びやかな気分に満ちている。
次いで、賢治への句から並べてみる。
子規の忌を一日おいて賢治の忌
賢治好き山菜好きで蕎麦を打つ
銀河鉄道読み短夜をみじかくす
十三夜賢治の山河きららかな
賢治の存在が生活に深く染み渡っている様がよくうかがえ
る。青路さんの生き方と作品にも、賢治的なところが多い。
生活の芸術化といったスタイル、童話的、空想的な表現など、
まさしくそれだ。先に引いた青邨祭での「つばめ盛装」など、
賢治の世界を彷彿とさせるし、
揚雲雀賢治讃歌を高らかに
穴を出し蛙眠りの足らぬ顔
種浸す雲の信号見きはめて
のように、鳥や蛙などの動物を愛惜し、自然と交感する。
編年で時が反復する章立てに関連して、この句集には読み
進めるほどに深まる心地よさがある。「冬青空」や「銀河鉄道」
のような周知のキーワードが、ジグソーパズルのピースのよ
うにそこここに散りばめられ、かつそのうちのあるものは何
度も繰り返される。
さらに、一度だけだと、やや奇異にも感じられる表現が読
み手の中で親しみのあるものに変わってゆくというケースも
ある。私にとって「童話村」がそれだった。
神楽果て銀河の濃ゆき童話村
夜鷹啼き帳のおりし童話村
イーハトーヴ字童話村銀河渡し
といった具合に、童話村が年を違えて描かれる。
童話村の正式名称は宮沢賢治童話村で、花巻市にオープン
して十年になる「楽習」施設だそうだ。私は知らなかったので、
最初に読んだときは、作者の造語かと思ったが、「字童話村」
で、これは(少なくとも作者にとっては)実在するのだなと悟っ
た。箱物を作ったところで、銀河鉄道も山猫軒も嘘である。
しかし賢治と青路さんの表現は、その嘘に心情的真実感を与
える。そしてそれらの表現が命をもつのは、実際に銀河濃く、
夜鷹啼く花巻があってこそである。
余談だが、この句集評を機に青邨を読み返し、賢治を読み
返した。個人的に言うと、実は賢治はよくわからない。しか
し、青路さんのような誠実で真摯な読者がいるということ自
体にやはり感銘を受ける。そして、表現者の人脈の広がりに
しみじみと思いが及ぶのは楽しいひとときだった。
晴と褻と ― 生活の詩
作句のテーマということでは、日々の農作業および神事、
仏事もまた、青路さんの中で大きいものである。春夏秋冬、
田畑を耕し山菜を摘む地に足のついた日々がある。その一方
で毎年、神楽や村歌舞伎の季節は巡り来るし、近くには毘沙
門天がある。遠野を含む花巻あたりは、生きた民俗博物館と
いった趣があるが、青路さんは、その空間にあって晴と褻の
両方を朴訥かつ実感的に詠んでやまない。
?を穿かねば隣家にもゆけず
雲雀野を殖して老ゆる農夫かな
頬被とつて舞台の袖に坐す
裘隣にどかと坐りけり
毘沙門に味噌たてまつる日焼の手
厳しいみちのくの風土に生きる青路さんの中で、生活者と
表現者、創作者が見事に両立している。
句帳手に神楽太鼓に和す素足
というのは、「わが身さへこそゆるがるれ」という状態なのだ
ろう。それでも句帳は離さない。年期の入った俳人の所作と
観察とがそこにはある。
八十余年の歩みの中で
この句集は、七十代後半以降の作品から成るが、若々しい
ものか多い。次のような作品には青春の句の趣がある。
風に乗り綿虫何も彼も自由
雛段に鳩笛一つ吹けば鳴る
春風も計る天秤計かな
しかし、その一方で、八十余年の歳月に裏打ちされた時の
重みなり歴史なりを感じさせるものもたくさんある。
清六さん悼む賢治の忌となりし
賢治の弟の清六氏は平成十三年逝去。青路さんにとって、
賢治はただ過去の人なのではなく、直接に関わる人々を通し
て、すぐそこにある生々しい存在なのだろう。
また、大正十三年生まれの青路さんには、土地柄というこ
ともあるのだろうか、江戸から明治の空気が一部伝わってい
るような様子がある。そして戦争を含む昭和を生き抜いて平
成の今を生きている。
一揆かと思ふ野を焼く炎の猛り
一徹に生きて明治のさくら散る
不如帰われもかつては一兵士
現代日本の問題を感じさせる句もちらほら。
若者も蝗も居なくなりし村
減反はすなはち捨田柳萌ゆ
このように新旧に長く伸びた時の風景に接して、「仁者は
寿し」という論語の一節がふと浮かぶ。
色と思いと
最後に青路さんの句にあらわれる色に注目してみたい。
最も多く出てくる色は青であろう。先に引いた青邨忌の句
にも出てきていたが、凛とした清々しさが際だつ。師の青邨、
本人の青路という俳号自体、象徴的である。
茄子の花わが師青邨好きな色
のように藍ないし紺も、近縁色として鮮やかである。
色をひとつ加えれば銀も目立つ。色自体としても詠まれて
いるが、多く登場する銀河や銀河鉄道とも響きあう。
鰯雲水揚げしたるままの銀
音たてて大河にそそぐ銀河濃し
この銀の系譜に句集名のもとになった句も連なる。
錆鮎といふも背中を走る銀
錆鮎は秋。産卵期の鮎の腹が赤いまだらを帯び、鉄が錆び
たようになることから、こう言う。黒ずんだ背中に、なおも
銀の筋が輝くというのである。ただの銀色ではなく、いぶし
銀の底光りといったところか。
これまでの長い歩みを貫く青、そしてそこから浮かび上が
る銀。句集全体からそんな印象が残った。
青や銀以外にも色彩語の多い句集である。賢治の作品も色
彩豊かであり、しかも青と銀の影が濃い。二人の精神的類縁
性はそうしたところにも見てとれる。