3月7日(火)晴天 吟行地 日本橋三越・三圍神社、室町コレド界隈、福富神社 佐藤博子 文責
☆日原傳先生をお迎えして☆
参加者 :相沢恵美子・安藤小夜子・岡崎志昴女・鈴木楓・髙橋紀美子・中村光男・西脇はま子・室明・渡部有紀子
スタッフ:佐藤博子・佐藤律子・松浦泰子 (五十音順)
句会 :投句・・吟行句2句以上含む5句 選句・・5句
前日の雨もあがって朝から春めく一日、日本橋三越のライオン像前から第二回天為ネット句会のオフ会が始まりました。 三越屋上の三圍神社やコレド室町隣接の福徳神社などを回り、福徳神社では、お神籤に日本橋ゆかりの俳人・「芭蕉」「一茶」「蕪村」の1句が載っており、大吉や吉を引いて気分も上々。その後、日原傳先生もご一緒に皆で昼食を戴く頃には和やかに俳句以外のお話も弾んだようです。 先生の御選句と丁寧な選評の後、ネット句会では得られない吟行の貴重さをお話しいただき感謝の声がしきりでした。(松浦泰子 記) |
日原傳先生はじめ参加して下さった皆様に、スタッフ一同深く感謝いたします。
次回も、ネット句会ご参加の皆様と、オフ句会をご一緒出来る日を楽しみにしております。
日原 傳 作品
犬猫のネクタイを売る春の街
盆梅に長きホースを引きずりぬ
相沢恵美子
霾ぐもり高速道の渋滞す
啓蟄や命綱してビル工事
安藤小夜子
囀りや吾が校章は獅子の楯
陽炎やモノクロ都電と日本橋
岡崎志昴女
三月の魚河岸跡より本石町
大ワイン卓に立つ店弥生かな
佐藤博子
新しき街や社や風光る
桃の村泛くや中央フリーウェイ
佐藤律子
白狐阿吽の口に春日詰め
芋雛と呼ばれし雛の気品あり
鈴木 楓
越後屋の白狐啼く夜の朧かな
三越の獅子鬣に光る風
高橋紀美子
うさぎ屋のどらやき大き春の月
俎板の木屋の焼印春めけり
中村光男
橋銘は将軍の筆春の風
啓蟄や道路元標ここに立つ
西脇はま子
永き日の喜知次の煮付御膳かな
永日のひかり遍し肥後守
松浦泰子
春めくや富くじに振る神楽鈴
春暁の毛槍高高日本橋
室 明
沈黙の深さの果ての芽吹きかな
春の金魚泡を吹きてはまた吸つて
渡部有紀子
花ミモザ如雨露の口は天を指す
迷ひなくくねつてゐたる寒桜
以上
※この界隈に詳しい小夜子さんから、江戸にゆかりのはやり言葉「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」を教えていただいた。
●江戸初期のはやり言葉に、「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉がある。江戸の町を歩いていると、この三つがやたらと目についたというのである。
「伊勢屋」というのは、伊勢(三重県)出身の商家の事。
幕藩体制が整ってくると、江戸へ進出してくる商人が増えた。とくに、伊勢、三河、近江、京、堺といった西国の商人が進出してきて、彼らの多くが出身地を屋号としたため、江戸中に伊勢屋、三河屋、近江屋といった看板が立ち並ぶことになったのである。
なかでも、江戸初期には、木綿や紙、荒物、椿油、菜種油、茶などを扱う伊勢屋の看板がもっとも目立ったという。
伊勢屋に続く「稲荷」の総本山は、京都の伏見稲荷大社である。当時の情景をイ音でいった語呂合わせのことば。
また、「COREDO」の名前の由来は、英語で核を意味する'CORE'と「江戸」'EDO'をつなげた造語だそうだ。 何とも粋な町である。
待ち合わせの場所として親しまれながら、本館正面玄関でお客様をお迎えする2頭の「ライオン像」。この像が誕生したのは大正3年(1914)のことです。
この「ライオン像」の注文主は、三越百貨店の基礎を築いたとされる当時の支配人、日比翁助。その日比が百貨店開設の準備のため欧米を視察したときにイギリスで注文したものです。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の下の4頭の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。 完成までに3年の歳月を要したこの仕事はイギリスの
彫刻界でも相当な話題となりました。現在ではその気品と店格を象徴して、三越の象徴的存在でもあり、また、東京名物の一つとしても親しまれています。
文和年間(1352年~1356年)の頃、近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中、墨田川牛島のほとりの弘法大師建立になる、荒れはてた小堂に立ち寄った際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ、壷の中の宇迦之御魂命の神像のまわりを、三度めぐっていずこともなく消え去ったので、爾今この社を「みめぐり」(三圍)とよばれるようになったと伝えられております。
当社の創祀された時は明らかではありませんが、当社に伝わる略記によると、貞観年間(清和天皇・八五九~八七六年)には既に鎮座していたようです。
武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としました。 二代将軍秀忠公が慶長十九年(一六一四)正月八日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛されました。この時、当社古例の椚の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、当社の別名を「芽吹神社」とされました。
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