フランス通信

 

*12月に ( AU MOIS DE DECEMBRE ) 

年齢を重ねるにつれ、時間の経過が大変早く感じられるようになり、アッと云う間の「師走」です。アパルトマンの窓から眺めると、目の前の2本のポプラ(le peuplier)は、すっかり葉を落として枝ばかりの丸坊主。今迄は葉に隠れて見えなかったカササギ(la pie)の大きく無様な巣が見え、間もなくサンタクロースが出入りする家々の小さな煙突からは、暖房や炊事の白い煙が立ち上っています。

12月に入るや朝晩の冷え込みが厳しくなり気温は零下、風が無いので暖房や車の排気がスモッグとなって漂い、街のクリスマスの電飾も、遠くエッフェル塔もボーっと霞んで見える程です。クリスマスマーケット

気象庁から“冬期公害警報”(l’alerte de la pollution hivernale)が発せられ、市役所は車の走行を減らすべく警察の協力を得て、ナンバープレートの番号の末尾が、今日は偶数、明日は奇数の車のみ、と相互走行規制(la mesure de la circulation alternee)を行い、公共交通機関のバスやメトロを終日無料とする措置を執りました。

今回はパリだけではなく、リヨン、グルノーブル、などの都市でも同様の規制が布かれました。幸いなことに4、5日後には雨も振り出し、公害警報は解除されましたが、全国で2045人が喘息の発作(la crise d’asthme)で治療を受けたそうです。

*「近代美術のイコン」“シュチューキン・コレクション”展(エルミタージュ美術館・プーシキン美術館)

( Expo. ≪ ICONES DE L’ART MODERNE ≫ - la collection Chtchoukine (Misee de l’ Ermitage ? Musee Pouchkine))

ロシア繊維業界の大物(le magnat du textile)の裕福な家庭に生まれたセルゲイ・イヴァノヴィッチ・シュチューキン(と読むのでしょうか・・?)(Serguei Ivanovitch Chtchoukine (1854-1936))は、1898年パリの画廊でピサロの「オペラ通り」とモネの「ベル・イル島の岩」と題した風景画に感銘、強く魅せられて以来、気に入った絵画を次々に集めました。

モネ、マチス、ゴーギャン、ブラック、ドガ、シスレー、ルノワール、等々、1914年迄に275点を買い集め、パリからモスクワの自宅へ送り、友人・知人達に見せて好評でしたので、大邸宅はさながら“モスクワのフランス近代美術館”の様だったそうです。

最愛の妻の死、息子の死に傷心の彼はシナイ半島の砂漠に迄出掛けて神を罵ったりもしましたが、唯一の慰めは、気に入って集めた絵画でした。ところが革命が起きて一変、芸術を嫌うスターリンにコレクションは取り上げられてサン・ペテルスブルグのエルミタージュとプーシキン美術館に供出の形で没収され、展覧も禁止されました。

1936年、シュチューキンはパリのオートゥイユで亡くなりましたが、彼に敬意を表わす意味からも、こうして久しく人の目に触れることのなかったコレクションの中、ゴッホが自分の耳を切った時に治療に当たった医師を描いた「ドクター・レイの肖像」(Portrait de docteur Rey(1889))やブラックの「ロシュ・ギュヨン城」(Chateau de la Roche-Guyon(1909))等々の珍しいものを含む130点が、フランスの近代美術の歴史を辿るかの様に、パリのルイ・ヴィトン財団で展示、公開されています。

2017年2月20日迄、Fondation Louis Vuitton (8,Avenue du Mahatma Gandhi, Bois de Boulogne, Paris 16e)メトロLes Sablons下車、火曜日を除く毎日12時―19時(冬休み中は10時‐20時)金曜日23時迄、入場料16ユーロです。

*因みに“ルイ・ヴィトン財団”の建物は、ルイ・ヴィトンが長らく取り組んできた芸術、クリエーション等の文化活動の振興・促進を全うする為に建設されたもので、ビルバオのグゲンハイム美術館を手掛けた独創的な建築家のフランク・ゲリー(Frank Gehry)の設計により2014年10月に完成、忽然とブーロ―ニュの森に現れた大きな“ガラスの蛹”(une chrysalide de verre)と呼ばれる奇抜な建物で、パリのパレ・ロワイヤルの庭に260本の黒白の柱を立てたビュラン(Buren)により最近ガラスに赤と緑の色が施されて話題になりました。この建物もいずれはノートルダム大聖堂や凱旋門の様にパリの名所になるのでしょうか・・・。

*日本旅行 ( VOYAGE AU JAPON )

先信に記した11月に2週間程一時帰国をした時のことです。往きの飛行機で近くの座席に3人の若いフランス女性が乗っていました。スチュワーデス(今はキャビン・アテンダントと呼ぶそうです)に頼んでコーヒーをもらい、退屈しのぎにギャレーの近くで立ち話をしました。

「何処へ行くの?」-「東京、秋葉原」、「何をしに?」-「遊びに。秋葉原、上野、浅草には沢山面白いことがあるって、友達から聞いたわ、とても楽しみ。」、「ホテルは?」-「ペンションよ、2段ベッドだって云うけど、10日間位ならそれで十分。友達から教わってサイトで予約したわ。それに日本は親切で安全な国と聞いているわ。」、「食事はどうするの?」-「“コンビニ”とかいう店がどこにもあって、24時間営業なんですって。そこへ行けば、いつでも好きにメニューを組み立てられて便利だし、安くて美味しいって聞いたわ。」、「どうして日本の飛行機に乗ったの?」-「だって、パリを発つ時からもう日本の雰囲気。機内アナウンスの日本語も、意味は解らないけれど、耳に快いし、サービスだって笑顔で親切・丁寧だわ。」・・・。

コーヒーも飲み終わったので「じゃ、せいぜい楽しんでね、Amusez-vous bien !」と、それぞれの座席へ戻りました。さて羽田に着いて、お金を換え(1ユーロ=112円でした)携帯電話を借りようと係りに並びました。他の人達は皆それぞれの自宅へトランクの宅配を頼む為のようでしたが、列の後ろに先程の女性達が並んでいるので、何故なのか聞きましたら「秋葉原のペンション宛てにトランクを送ってもらって、自分たちは手ぶらで電車に乗って行くの。」とポケットからパスモを取り出して見せてくれるではないですか。「前に行った友達が、まだ金額が残っているから使え、と呉れたのよ。」・・・。

まるで今や浦島太郎のこちらが教わっているような気がしました。ある日私も近くの“コンビニ”で食事を組み立ててみました。手巻きおにぎり2個(明太子、いくら)、サンドイッチ1個(シャキシャキレタス・ハム)、汁替わりに丼型容器のインスタント麺、デザートにシュークリーム、レジで美味しそうに煮えている「おでん」、そして夕刊。何と942円、千円札でお釣りがくるではないですか・・・!フランスで10ユーロ札1枚ではとてもこんなに食べられない、と妙に感心して彼女達を想いました。

帰りの飛行機では、隣席の40才過ぎ位のフランス人のご婦人と話がはずみました。ご主人はルノー・日産の技師で、今回日本へ長期出張だったので一緒にしばらく滞在してましたが、日本の親切・丁寧なこと、正確で安全なこと、食べ物が美味しいこと等ベタ褒め、次回は絶対に子供達(11才、8才と5才の男の子)を連れて行く、と言っていました。2020年の東京オリンピック、「おもてなし」・・・どうなるでしょうか。いつ迄も日本が親切・丁寧で安全な国であって欲しいと思いました。

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2016年12月16日 Sainte Alice:日の出08時38分:日の入16時54分    パリ朝夕1℃/日中9℃晴天、ニース8℃/17℃晴天、ストラスブール1℃/6℃曇天
頑張るぞ冬芽の強さ見習いて 」(安芸寛)     今年も暮れ行きます。皆様、どうぞお元気で平穏無事な新年をお迎え下さい。 

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