天為秀句選
蒐玉集 ― 朗人・推薦 (平成20年5月号)
「天心集」より
海鼠にも踊つてみたき日暮あり 仙田 洋子
先代も先々代も海鼠なり 福永 法弘
先の見えはじめし亀の鳴きにけり 西脇はま子
立ち上がり雑煮の湯気を追ふ子かな 明隅 礼子
鷹匠に女弟子をり多摩日和 飯島 芳村
満願の雛僧バレンタインデー 大木さつき
アブサンの濃き緑なる寒暮かな 七田谷まりうす
初蝶や余白かがやく予定表 永井由紀子
うでたまご眩し流氷原に沖 柚木 紀子
雛の灯の一之船入辺りかな 天野 小石
春聯や穴居の門も新たなる 日原 傳
寒の水伊都ノ国過ぎ狗奴ノ国 梶 倶認
一湾の沖あり湯湯婆のさざなみ 対馬 康子
身のうちの鬼匿へり鬼やらひ 紅林 照代
日脚伸ぶ母のぬくみの塩結び 津久井紀代
冬眠の蛇の真上の力石 丸谷 三砂
その先は朧となりて土天界 久野 雅樹
冬晴れや窓拭きの綱降りてくる 坂本 宮尾
冬眠の亀泡一つ出しにけり 藤田 えみ
うすらひの中今といふ厚みかな 佐伯 啓子
「天為集」より
選評 ー 有馬 朗人 ー
絵屏風の御共わき見をしてばかり 内村 恭子
どんな絵屏風であろうか、参勤交代かオランダ商館長・カピタンの行列か。それとも御姫さまと御供の絵であろうか。いずれにしても御供が物珍しくて、あちらこちらわき見ばかりしているというわけである。御供がわき見ばかりしているという描写によって俄然この句に動きが加わり、絵屏風が具象的になって、その御供が飛び出して来そうな雰囲気になってくる。この句の面白さは絵屏風の中にわき役として描かれている御供の顔の様子から、これはわき見ばかりしていると感じとったことによる。そのことにより、御供はわき役ではもはやなく、絵屏風の主役に躍り出て、都見物か、花見か、野遊びか、ともかくきょろきょろしている人物として、生き生きと動き廻る姿が浮び上ってくるところが佳い。
ふつふつと粥のさみどり春を待つ 三澤 則子
七草粥のように緑の草か海藻を入れて粥を煮ているのである。ゆっくりとふつふつと煮ていると美しく緑に染まってくる。そのさみどりを見ているともうすぐ春だという楽しい気持ちになるのである。この句を読むと夕刻ガスストーブか電気ストーブの上に鍋を置き、真白な粥がさみどり色に変わってくるのを確かめながら、春を待っている明るい気持ちが伝ってくる。この句の佳さは粥がさみどりであるところである。そのさみどり色によっていっそう強く春を待つ気持ちが読者にも伝わってくるのである。単に粥をふつふつと煮るというだけでは、そういう気にはならないであろう。さみどりの美しさが佳い。
竹えらぶ藪の奥より二月来る 中嶋 昌夫
この「竹えらぶ」は東大寺二月堂の修二会のための竹を選んでいるのである。修二会の行法の一つお水取は三月十三日未明に若狭井の水を汲む。その前夜籠松明が舞台でくるくる回る。この籠松明を支えるための竹である。「天為」の仲間の松村茂さんは修二会をはじめ東大寺のためになくてはならぬ人で、永年竹えらびなどで大活躍である。昌夫さんも茂さんと一緒に竹えらびやそれに伴う行事に参加して、これ又大活躍している。この句の佳さは、竹えらびをしている藪の奥が明るく、二月が来たのだと思うところである。竹えらびの地、大和や山城のさかいあたりは冬が長い。それだけに二月そして春を待つ気持ちが強い。竹えらびそして修二会と、春を楽しみにしている気持ちがよく表されている。
舟繋ぐ杭の静かに月の鴨 山崎 好裕
湖か川の岸に舟を繋ぐ杭が立っている。夕方まだ舟が帰って来ない。その杭の上に鴨が静かに止まっていて、その上に冬の月が出ている。心の安まるような静かな光景である。杭の上に鴨が乗っているとか、並んだ杭の一本一本に鴎や水鳥が止まっている光景はよく見る。それを写生しただけでは平凡であろう。しかし月を配したこと、更にその杭が舟を繋ぐ杭であることに着目したことによって、味のある句になったのである。
北窓を開けあをあをと袖湊 西野 編人
袖湊は博多湾の東北から那珂川の辺までを呼んだ古い地名である。江戸以前に埋立てられてしまったようである。しかし今でもその辺の海を見ると、これが袖湊だと思い、その辺が昔大陸との交易で盛んであった頃のことを想像するのである。春が来たと喜びながら北窓を開いて、久し振りに窓の外に広がる海を見たのである。遠く海の中道や志賀島が見えたであろうか。その海があおあおと輝いている。袖湊が栄えていた昔も海はあおあおとしていただろうと思ったのである。北窓を開いた瞬間の喜びが感じられる。また「あをあを」が単なる海の色ではなく、袖湊であることにより、袖も青いように感じさせるところが佳い。
奪衣婆の悴みてゐる地獄絵図 木村 静子
閻魔堂の入口近くには必ずと言ってよいくらい奪衣婆が立っていたり、座っている。三途の川のほとりには必ず奪衣婆が待っている。もう一人懸衣翁(けんえおう)が衣領樹の上にいて、奪衣婆が奪った亡者の着物を受けとる段取りになっている筈だが、あまり懸衣翁は出てこない。俳句でも奪衣婆の方が人気がある。にくにくしい感じながら、どことなく滑稽さもあるからであろうか。この句の奪衣婆も地獄絵図の三途の川のほとりで、悴んで寒々と立っているのである。亡者も悴んでいるだろうが、それ以上に奪衣婆が悴んでいる。その様子が滑稽で亡者も奪衣婆も同じだという所に面白さがある。
ゐないゐないばあの手の先春立てり 上川紗央里
長い寒い冬がいよいよ終わる。今日は立春であると喜びながら、赤ん坊をあやしているのである。いないいないばあと言うと赤ん坊が大喜び、赤ん坊も真似していないいないばあの手つきをする。その手の先から春が立って一面が暖くなったのである。春の女神が赤ん坊と一緒にいないいないばあをしているように感じられる。若い人らしい明るい生命力に溢れた句だと思う。
蝦蟇仙人鉄拐仙人牛祭 工藤 敬子
子供たちの本に忍者が蝦蟇に化ける話が出て来る。その先祖は中国三国時代の呉の葛玄と言う。それが蝦蟇仙人の初代、次いで唐が亡んだ後宋が建国するまでの五代の後梁の世に現れた劉海蟾という仙人も蝦蟇を使って妖術を行ない、どちらも蝦蟇仙人と呼ばれる。一方鉄拐仙人は隋の人、姓は李名は玄であり、空中に向って息を吐いて自分の姿を浮び上らせたと言われている。どちらも術を極めた仙人である。その仙人の絵を見たのでしょうか。有名な牛祭は十月十二日、京都嵯峨の太秦の広隆寺で行われ、摩陀羅神を祭る奇祭で面白い。その牛祭の頃、どこかでこの仙人たちと出合ったのでしょう。奇祭らしさをよく表している。
放哉忌虚子忌と煮込むカレーかな 笹下蟷螂子
四月七日は放哉忌、翌八日は虚子忌である。尾崎放哉は一八八五年に生まれ一九二六年に死去、高浜虚子は一八七四年に生まれ一九五九年に逝去している。さてこの二人は片や自由律、片や伝統、この相容れない二人の忌日が一日違いという点は面白いが、この二人とカレーの結びつきは判じ物。でもどことなく面白い。何故だろうか。私の解釈はカレーにはなんとなく明治、大正の匂いがするからということである。カレーライスがモダンな食べ物として流行したこと、当時中村屋などがカレーライスで人々を引きつけたというように、カレーが持っている雰囲気を放哉も虚子も共有していると感じたのである。
吊すもの多き信濃の軒氷柱 久田美智子
昔、私の家でも知りあいの家々でもいろいろなものを軒や天井から吊したものである。それとあちらこちらに棚を吊って物を乗せていた。今でも信濃あたりの家々では軒に柿を吊したり、大根を吊したり、いろいろなものを吊している。その上冬になると、温暖化の時代でも沢山軒氷柱が下っているのである。この句の面白さは信濃では氷柱まで人間が吊り下げているかのように思わせるところである。それとともに信濃の家々の特徴が適切に描かれているところが佳い。