天為秀句選


  蒐玉集 ― 朗人・推薦  (平成20年9月号)

 

   「天心集」より

  うちの木菟耳のない木菟青葉木菟        山口梅太郎

  子と走り出せば光りぬ雲の峰          仙田 洋子

  七転八起九回浮いて来い            深谷 義紀

  風見鶏どちらを向くも青嶺かな         丸谷 三砂

  チャグチャグ馬コ町川にきて嘶けり       戸塚時不知

  星の出て秧鶏の叩く水の闇           沢  正矢

  エディソンの蓄音機より囀れり         山内 純二

  清水汲む出雲にいまも国造家          永井由紀子

  巡回の研師くるころ鱧の皮           飯沼三千古

  角生えてきさうな髪を洗ひけり         松村日出子

  黒南風や美しく畝切られたる          日原  傳

  この頃のはげしき雨も走り梅雨         岸本 尚毅

  遠嶺みな闇となりたる蚊遣香          対馬 康子

  合掌の手甲の濡るる芒種かな          紅林 照代

  谺して森が浮き立つ時鳥            石川 克子

  蚊を打つてつくづく二人ぐらしかな       津久井紀代

  苺もて数を覚ゆる子どもかな          明隅 礼子

  万巻の書に飽き覗眼鏡かな           宮下惠美子

  ゆつくりと田起しに行く大路なり        天野 小石

  代掻きや牛飼ふ父と馬飼ふ叔母         木場 瑞子

 

   「天為集」より

          
選評   − 有馬 朗人 −

  滝落ちて仏舎利の塔高々と           斉藤はじめ

 どこの山の寺の光景であろうか。大きな高い滝がとうとうと落ちている。そのそばに寺があり仏舎利塔がこれまた高々と立っている。このような風景であろう。和歌山勝浦町の青岸渡寺と那智の滝の関係のようなものである。仏舎利塔はいうまでもなく釈迦の骨を収めた塔である。日本人が古来好む荘厳な光景である。斉藤はじめさんは九十七歳、高齢でおられるにもかかわらず、このように力のある若々しい俳句を作られるので何時も感心している。その上今も記憶力がきわめて確かなことに驚く。人生は今や百二十歳まで、それどころか百三十歳までも可能になったと言われる。はじめさんがますますお元気で若々しい俳句を発表されることを祈っている。



  うすばかげろふ吐息のやうに飛びにけり     中田 秀平

 うすばかげろうの幼虫は蟻地獄である。それが透明な翅を持った蜻蛉のような薄羽蜉蝣に成るとは、不思議な感じがする。蜉蝣というとはかないものの譬えに用いられるくらい、弱々しく見える。この句で「吐息のやうに飛びにけり」と薄羽蜉蝣の飛ぶ姿を描写したところが優れている。じっと薄羽蜉蝣の様子を観察していたのであろう。そしてぽっぽっと吐息をつくように飛ぶということを発見したのである。

  うすばかげろふ翅重ねてもうすき影    山口 青邨
  とぶときのうすばかげろふ翅見えず    五十嵐播水

と先人もよく見ている。それを越えることは容易なことではない。自然をじっくり観て発見する喜びがこの句にある。


  リラ冷えや運河に風の辻楽士          澁谷 さと

 小樽の光景である。北国にも春が来た。運河沿いの道や橋の上に、一人二人と辻楽士が立ってヴァイオリンなどを弾いて、街人や旅人を楽しませている。リラの花も咲き始めている。しかし今日は海から冷えて来る。リラ冷えでちょっと寒い。それでも春、リラの花が咲く美しい春である。辻楽士の弾くメロディが楽しく響いて来るのである。この句でリラ冷えという季語が良い。小樽や札幌の初春の光景がリラ冷えでよく表わされている。北海道に住む人々がリラ冷えなど北海道らしい美しい季語をどんどん使い、沖縄は沖縄、九州は九州と、それぞれの地方の季語を更に深く掘り下げて、佳句を作ってほしい。


  牛飼ひの歌詠む頃や麦の秋           幸 槐安窟

 伊藤左千夫の「牛飼の歌詠む時はなかなかに新しき歌大いに起る」を本歌取りした句である。幸槐安窟さんは幸二俊さんという名で、今日までも大いに活躍してきた。号を最近新しくしたことによって心機一転、更に新境地を開こうとしている。その第一声の句である。槐安窟さんが牛を飼っているかどうかは知らない。しかし農業に近い生活をしている人である。今牛飼いをしているが麦秋の季節に入った。その時あの左千夫のような新しい作品を生み出せる気がしてきた。短歌ではないが俳句に新しい写生によって優れた俳句を作ってみようと、高々と宣言したのである。明るく朗々たるところが佳い。


  ぬれ縁を駈け上り行く光秀忌          高橋 利枝

 明智光秀の忌は陰暦六月十三日である。織田信長を本能寺に攻めて自殺させたのは陰暦の六月二日、その僅か十二日の後、豊臣秀吉に山崎で敗れ、京都の小栗栖で農民に殺されたのである。この句ではいかにも光秀が本能寺のぬれ縁を駈け上って行くように述べているところが面白い。しかもすぐに敗れ戦になり、殺されてしまうまでのごく短い残りの人生を、駈け抜けて行くように描いているところが佳い。光秀という悲劇的な武将の人生の終末の一瞬を、ぬれ縁を駈け上って行く姿で表現したところが、この句の成功点である。


  と金には成れず歩兵の黴てをり         阿部真千雄

 将棋で歩兵は弱々しい。しかし時と所を得ればなかなか強くたのもしい。特に「と金」に成れば相当の働きをする。歩兵といえどあなどり難いものである。その歩兵が一生「と金」に成れないまま、使われることもなく黴てしまったというのである。使われないままになっている将棋の駒、その中でも小さな歩兵が黴ているのは、哀れに感じられる。この句は或いは、歩兵に言寄せて、誰かの、もしかしたら自分の人生を語ろうとしているのかも知れない。もっと運に恵まれれば、もう一働きしたのにという気持があるように読める。人生には誰でもこう感じる時があるもの、でもこの黴を拭って大活躍させるチャンスが廻ってくる可能性も大きい。



           杉山倭文様悼む
  百合捧ぐ貫かれたる子規・イエス        前田ゆう子

 杉山倭文さんは実にしっかり者であり、よく勉強をし、様々なことをよく知っていた。そして常に理非曲直を明らかにしようとした人であった。自分が判らないこと、人が誤解をしているのではないかというようなことを、はっきりと聞く人であった。と同時にあくまでもイエスを信じた敬虔な人であった。そして文学も子規をはじめよく勉強していた。その倭文さんが惜しまれながら五月二十七日亡くなられた。長年「天為」の赤穂句会を指導してこられた。私が倭文さんに最後にお会いしたのは、三年前の塩屋句会であった。一緒に牡蠣割女を見、句会場まで歩いた時である。この句の純白な百合が倭文さんに最も相応しいと思った。深悼。


  けん玉の大技決まる南風            国友 貴子

 子ども達が拳玉を競っている。なかなか玉が入らない。子どもだけでなく大人も交っているかもしれない。そのうちに一人が大きく柄を廻し、玉を大きく振り廻したと思った瞬間に、見事に玉が柄の先端にすぽっと入ったのである。まさに大技であった。ときは夏、海から南風が吹いて来る。南風が吹くと気温も温度も高く蒸し暑い。でも子ども達には楽しい嬉しい夏である。拳玉など家外で遊ぶ一番良い季節である。子ども達の喜びの声が聞えて来るような、明るい楽しい俳句である。


  アルプスの白き山脈復活祭           根岸三恵子

 復活祭は、春分後の満月直後の日曜日である。従って三月末か四月初めであり、まだアルプスの高い山々には白く雪が残っている。しかし春もたけなわ、野原も明るく、アルプスの白い山々も美しく輝いている。イエスのみならず万物が復活する時である。そのような自然の力強さ、美しさを詠ったところが佳い。イースターは本来、キリスト教以前の北欧では、春のおとずれを祝う祭りであった。それがキリスト教の行事と習合して復活祭になったと考えられている。とすると、このアルプスはヨーロッパと見た方が適切かもしれない。


  小判草猫が鳴らして通りけり          内田  歩

 小判草の茎には本当に小判のような穂が下がる。その小判草が茂っている所は、小判が沢山下っているように見える。猫が通り抜けようとすると、この小判が次々に軽く音を立てるのである。猫がじゃれながら、鳴らして通って行くように思えるところが面白い。のんびりした田園地方の光景である。「猫に小判」というと、貴重なものを与えても、その価値が判らず、何の反応もないことをいうが、この句では猫が小判で遊んでいるように見えるところに、ユーモアがあって佳い。