堤 靱彦句集 『鰯雲』
(平成十八年六月 裸子社刊)
<有馬朗人 推薦8句>
きちきちの跳び交ふ山の美術館
父に尚叱る声あり霜の朝
小春日の翳の濃かりし藍工房
初蝶と初蝶と会ひ睦み合ふ
新しき靴地に堅し鰯雲
描きかけの玉堂画室春寒し
どつと揚がりあつと終りし村花火
惚けと惚け同じ字なりし四月馬鹿
<句集評>
堤 靱彦句集 『鰯雲』
花鳥諷詠・客観写生を踏まえて
小林 巳之
師の乗らる駕籠置かれある落花かな 靱彦
句集『鰯雲』は「天為」同人・堤靱彦さんの第二句集である。口絵には、虚子先生を乗せて駕籠を担いでいる兄弟の写真が載っている。前棒には学生服姿の著者。後棒には兄の堤信彦氏。掲句はそのときの作である。
昭和三十三年四月十三日、裸子百号記念大会に高浜虚子先生一行が甲州に入峡。富士山西麓にある白糸ノ滝に立ち寄られた。その折のスナップ写真。風が強く、滝壺までの案内は断念するが、虚子先生から「酒手をはずまないといけませんね」と言われたそうで、筆者は「酒手って何のことだ」と字引をひかずにはいられなかった。
著者の父君・故堤俳一佳先生は「ホトトギス」の古参同人で、昭和二十一年、疎開先の小諸から、虚子先生を信玄かくし湯の下部温泉郷に招聘された。タクシーの便もなく、リヤカーにお乗せしたという逸話がのこっている。
裸子をひつさげ歩く温泉の廊下 高浜虚子
当日、詠まれた名吟。この句を誌名として昭和二十四年に「裸子」を創刊。爾来、永々と誌齢を重ねられ、現在主幹は次兄・堤高嶺氏が継承し、来秋七百号を迎える。編集長は信彦氏が担当。靱彦さんは専ら誌上で論陣を張り、目下「秀句鑑賞」を連載中である。毛利元就の三本の弓矢にたとえられる間柄である。
前置きが長くなった。句集をひもといていきたい。目次は「郷愁」「望岳」「啐啄(そったく)」「錬磨」の四章から成る。
著者は昭和十二年に長野県茅野市に生まれ、県立諏訪清陵高等学校に学び、島崎藤村の母校である明治学院大学を卒えている。十二歳にして作句し、十四歳のとき、虚子選の「ホトトギス」に初入選するという早熟な俳歴の持ち主である。
鰯雲紫苑に薄き日ざしあり
表題句がそれで、生家である父の「望嶽荘」からの眺望である。八ヶ岳連峰や蓼科山を望み、風光明媚な家郷にあって詩情が湧かないはずはない。揺籃期の靱彦俳句は、この清新な高原俳句を母体としている。
熔岩の上に熔岩を敷き詰め登山宿
乾きたる寒天に夜の粉雪舞ふ
貸馬のバスに驚く霧の中
高原に蚊帳の別れもなく住める
ランプ提げ湖へ降りゆく夜濯女
氷より水の冷たき氷下魚釣
郭公や夕べを牧の馬しづか
白樺の梢を焦がすキャンプの火
靱彦さんは「あとがき」に書いている。
「・・・鰯雲が広がって、空一面を覆うのであった。避暑客や観光客で賑わった高原も急に淋しくなり、忍び寄る秋が感じられる信州のそんな季節が最も私が好きな季節なのである」
掲句の背景を語って余すところがない。
父君は日本画に造詣が深く、生前、東山魁夷に親炙しておられた。末っ子の著者には「粘り強き子になれ」と「靱彦」と命名。第一句集『凍蝶』の序文の中では、「青邨先生の申される通り、親孝行の伜である」と幼いころからの性格を称えている。乖離しがちな父子関係とちがって親密だったのは、俳句がとりもつ絆によるのだろう。
やがて、馬籠をも自家薬籠中の物として藤村に傾倒しつつ信州を離れる。上京して学業に励み、就職。早くして臨海都市横浜に新居をもたれた。子煩悩な父親で、その成長を見届けるかのように“吾子俳句”を多作している。
兄弟に一つの行李や黴拭ふ
セーター着て恋に近よることをせず
吾子に見えずともクリスマスイブの灯を
宝船のごとく初湯に吾子浮かす
さまざまの虫飼ひ吾子の夏休
母住めばそこがふるさと蛙鳴く
緑蔭に豹憩ふごとスポーツカー
集へるは虚子一門や百千鳥
独身時代の「セーター着て」の句に惹き付けられたのは、筆者がまだ初心のころだった。「スポーツカー」をうずくまる「豹」と見立てる。
新しき靴地に堅し鰯雲
初蝶と初蝶と会ひ睦み合ふ
表題句に通じる掲句は、「天為」蒐玉抄の一句。朗人師は
「『地に堅し』という表現が、新秋の爽やかな感じをよく出していて新鮮である。靱彦さんは対象をよく視て、丁寧に写生する人である」と高評する。同じく「初蝶」の句では、
「靱彦さんの句には、豊かな詩情と物語があると思う」と指摘されている。二つの特性は、前述した「裸子」「夏草」時代に培われたものであり、他にも、
桑車桑の中より現れし
通夜の客忙しひき蚕背につけて
風受けて重たき花のうねりかな
などは、写生の範を垂れているし、
山荘の風のすさびに簾さぐ
かなかなや今日ここまでは読みたき書
きさらぎの満月かかぐ花辛夷
など抒情性を含んでおり、ひとたび見落としたとしても、よみがえってくる秀句だ。集中、一貫しているのは虚子の唱える花鳥諷詠であり、客観写生である。
平成になってからは「天為」の作品が主流で、素材にも技法にも新味を出そうとしており、持ち前の鮮やかな色彩感覚の作品が目につく。
小春日の翳の濃かりし藍工房
きちきちの跳び交ふ山の美術館
父に尚叱る声あり霜の朝
描きかけの玉堂画室春寒し
雪をんな落とせし朝の月の櫛
碧空のままに暮れ行く菖蒲の日
どつと揚がりあつと終りし村花火
惚けと惚れ同じ字なりし四月馬鹿
張板を妻の持ち出す菊日和
向日葵の枯れ三角縁神獣鏡
雛の客ハリー・ポッター連れて来し
蒐玉抄をはじめ、総合誌における推薦句や入選句である。これら「啐啄(そったく)」「錬磨」の章の作品こそ、句集の中軸であるはずなのに筆が及ばなかった。前半に頁を割いたのは、筆者もまた三誌にまたがって志を同じくした一人であり、著者同様、初期の作品に郷愁を駆り立てられたからである。「天為」の作品は将来に検証しても遅くはない。
避暑地去る汽車を待ちをり鰯雲
小諸~小淵沢間をつなぐ小海線の、とある駅のホームか。麦藁帽に白シャツ、半ズボン姿の少年が捕虫網と虫籠を提げ、三つちがいの兄と鰯雲を見上げている。谷内六郎の世界だ。
一人称の自画像ならば、しばらくぶりに帰省して故山に遊び、離郷するときのラストシーンである。季重なりが微妙なバランスを保って季節の移ろいを感じさせてくれる。
第一句集で先師青邨が、「蝶と見た。美しとも美し」と嘆賞された<オリオンの中天に凍つ蝶のごと>の一句とともに、筆者には忘れられない愛誦句である。