天為俳句会
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十人十色2022年1月 大屋 達治選

   刈り終へて土の匂ひの田に戻る★山本 純夫

実った稲穂は、香ばしい。良い香りがする。農業に従事していない私などにとっては、「玄米茶」の封を切った時の香りに似ている。稲刈りをして、稲架で稲を乾燥させ、庭先に取り込んで、脱穀をしてしまうと、田は、切株と乾いた泥だけになってしまう。すると、刈田は、まわりの野原と同じような、土の匂いがする場所に戻ってしまう、というのである。冬から春にかけて、水が張られていない田は、みんな同じ、土の匂いがする。句の字面は、やさしい言葉でつづられているが、嗅覚を研ぎ澄ませた鋭い句である。

   蛇行する合角ダム湖秋時雨★井上 雄夫  

  合角ダム(かっかくダム)というのは、埼玉県秩父市の荒川水系の吉田川と、女形沢の合流点にある重力式コンクリートダムで、秩父市域への上水道供給および洪水調節を目的とするダムで、二〇〇一年に竣工した。周辺には、秩父の山並と渓谷を利用した二瀬ダム(秩父湖)、浦山ダム(秩父さくら湖)、滝沢ダム(奥秩父もみじ湖)などのダムが点在する。合角ダムは、「ゴウカク」と読めることから管理所で配布する「ダムカード」は、受験生の間で人気がある。湖の愛称は、「西秩父桃湖」と付けられたが、命名の際ひと悶着あった由である。さて、この合角ダム、下からダムに向かうと、右手より女形沢が流れ込み、正面は、右手から半島状の丘がつき出し、吉田川は、その丘を右手にしてぐるりと左側より流れ込む。ダム湖は、谷の形状によって決まるが、空から見て、これほど蛇行した形のダムも珍しい。そこに秋時雨が降ってきた、というのである。雲が流れてゆく下でのダムである。なお秩父句会の人達は、この合角ダムを吟行地にしたらしい。ダムの句が多かった。

   差し色を暖色にせり秋の服★木村 史子  

  春・夏の洋服にパステルカラーや原色などが多く使われるのに比べて、秋の洋服は、シックで落ち着いた色が多いと思うのは私だけだろうか。たとえば、ベージュのスカートにライトブラウンのツインニットとか、黒のスカートに白のセーターとかである。しかし、それだけでは何か寂しいので、色を変えたスカーフやマフラー、帽子をつける。その色が差し色で、それが暖色系だというのである。赤でもオレンジでもピンクでも良い。うまくコーディネートできればお洒落に見える。着る人のセンスが問われる。

   神の留守出雲に向かひ拍手を★笠見 弘美

  作者は、鳥取(東伯)に住む。鳥取県は、東よりおおむね因幡(鳥取県周辺)、東伯(倉吉市周辺)、西伯(米子・境港市周辺)の三地域にわかれるが、この人は、鳥取県中部に住む。出雲国に隣る伯耆国の神も、神無月には出雲大社に集まり、大社本殿の外、拝殿の東西の「十九社」にお宿りになる。出雲は、いわゆる「神在月」となる。作者は、その間は神の留守となる神社にはお参りせず、出雲の方角を遥拝するのである。拍手は、「二礼二拍手一礼」で通常は二つ打つのだが、神無月のとき出雲に向かっては、出雲の風習に従って、「四拍手」打つのだろうか。作者の信心深さが窺われる句である。

   瓦屋根の駅舎ゑのころ草静か★永野 裕子  

  私の子供のころまで、大きな駅以外の駅は、瓦屋根の木造の駅であった。駅によっては、構内踏切があって、ホームに行ったりもした。それが、近代化により、地下道が作られ、あるいは跨線橋ができ、同時に駅舎もコンクリート造りの駅が増えてきた。昔ながらの駅を知っている者には、淋しいと言えば淋しい。作者の詠んだ駅は、まだ瓦屋根で、構内の線路際には、ねこじゃらし(エノコログサ)が生えている。待合室の椅子は、プラスチックの個別椅子四連ではなく、壁を背にした木の長椅子ではないだろうか。作者は富山の人だが、城端線の城端駅や福野駅、戸出駅、二塚駅など、氷見線では、能町駅、伏木駅など。ローカル線に残っていることが多い。

   岸壁を暗く濡らして秋の潮★上脇 立哉 

  港に造られたコンクリートの岸壁。作者は、広島・三原の人だから、瀬戸内海に面した港に行くことも多いだろう。近くの島に渡るには、「しまなみ街道」経由のバスより、フェリーの方が安くて早い。そんな小さな港を思う。港の内側の岸壁のコンクリートは、日が当たりにくく、黒ずんでいる。そんな岸壁を、秋の寄せ潮が濡らす。黒くなったところを濡らすので、暗く濡らすのである。よく観察ができている。

  トネリコのすっくと立ちて稲架けず★谷野 好古 

  作者は新潟の人。刈り取った稲を乾かすのに、昨今は、雪が降る前のスキー場のリフトを動かして使ったりするが、もともと、とくに新潟県では、田の畦にトネリコやハンノキを植えて、そこに横棒を掛け、稲架木として使うことが多かった。私の妻の実家のある埼玉東南部でも、ハンノキが畦に植わっていた。ところが、作者の見た田は、トネリコが大きくなって立つばかりで、稲架にしていない。どうしたことであろう。休耕田なのか、耕作放棄地なのか。トネリコは緻密な材質で、弾力性に富むため、野球のバットに使われるが、最近は入手が難しくなったせいか、バットには同じモクセイ科のアオダモが使われるようである。

   分別の袋に電池雷遠し★梅田 弘祠  

  このごろは、ゴミの分別が細かくなっている。私のところは、まだペットボトル以外のプラスチックは可燃ゴミ扱いで、ペットボトル・空缶・空瓶・紙などは資源物、電池と蛍光灯は危険ゴミとして収集されている。三十年前に住んでいた街では、電池はマンガンが入っているから資源ゴミであった。作者の住む土地ではどういう分類なのだろうか。また、ゴミは、集積所に持っていって袋に入れるのだろうか、それともポリ袋に入れて、決められた場所(街角)に置くのだろうか。いろいろと想像される。遠くで雷が鳴っている。このあたりにも雨が来るかもしれない。電池と雷が、つかずはなれずでおもしろい句である。

   月の兎月の蛙に投げられて★安倍 雄代

  月の海の模様を見て、その形から、月に兎がいるという言い伝えはよく聞くが、「月の蛙」という季語も、江戸時代『増山の井』あたりから採用されている。この句は、その蛙が兎を投げている、というのだからおもしろい。京都・栂尾高山寺の寺宝である『鳥獣人物戯画』を思わせる。

   秋の蚊を小さく払ふ通夜の客★金山 哲雄  

  人が亡くなって、お通夜が始まっている。家での通夜であろうか、まだ、しつこい秋の蚊が、キューンと頬のあたりに血を吸いに来る。人が亡くなったとはいえ、仏教には殺生戒がある。生き物を殺すことはダメなのだ。ピシャリと手で叩きつぶすなど、もってのほかである。仕方なく、通夜に参じた客は、手で蚊を小さく追い払うだけである。寺での通夜と考えてもよい。葬祭場での通夜でも、開け放すので蚊はしのび寄って来る。つらいところである。

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