天為俳句会
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十人十色2022年2月 福永 法弘選

  猿の糞棒で飛ばして大根引く★ 半田 桂子

 山口県の山村の私の生家では、老いた母がつい最近まで、自宅の裏山の畑を耕作していた。栗、芋、大根、白菜、人参など、少量だが多様な作物を育てていたが、最大の敵は、暑さ寒さでも、水不足でも日照問題でもなく、猪と鹿と猿の出没だった。人間が生活圏を 拡大するに伴って、獣たちの生存領域は狭まり、山の恵みだけでは食べていけなくなって、農民の畑を襲う。獣たちには切実な生存のための戦いであり、強いて言うなら人間の仕掛けた戦争だ。
 猿ども、芋や栗は奪っても、大根は食い残したようだ。山の痩せた畑の大根は水気がなく、しなびて甘みが少ないのを彼らはよく知っている。暴れ回った猿たちがいなくなったあと、農民は恐る恐る畑に出て、猿がひり散らかした糞を棒で飛ばして大根を抜く。

  メメント・モリすつかり忘れ今年酒★ 小林美佐子  

 メメント・モリはラテン語で、「人は必ず死ぬということを忘れるな」という警句である。その象徴は髑髏。
  キリスト教が支配した中世ヨーロッパに於いては、現世での快楽、贅沢、手柄や栄達などは空虚なものにすぎず、来世をこそ頼みとすべきとの考えの根拠になった。だが、そもそも発案された古代ローマではまるで違っていて、「我々は明日には死ぬのだから、飲み食べかつ踊り、今を大いに楽しもう」という現生愉楽への指針だったそうだ。だからこの句のように、すっかり忘れて今年酒に酔うのが、メメント・モリの正しい解釈なのである。  
 

  国憶ふ在外選挙冬隣る★ 尾崎 静香

  明治以降、大日本帝国は、余剰な農村人口のはけ口を移民政策に求めた。ハワイに南米に、そして満州にと多くの民衆が出て行ったが、国からの支援は極めて手薄で、ある意味、棄民と言っても過言ではなかった。
  在外邦人の選挙権もその表れだろう。在外邦人に国政選挙権が付与されたのは、平成十年のことなのだ。国を思う心情は、国内居住者よりも海外在住者の方がもっと切実だ。そして、本国の力、本国の評判がそのまま外地での在外民の生活の安定度、快適度に直結するのだから、より真剣である。せっかく勝ち取った在外選挙権を行使しない手はない。
  

  検温も消毒も慣れ冬に入る★ 浦宗 禎子

  新型コロナウィルスが中国の武漢で確認されてから、丸二年が経過した。今も隣の韓国やヨーロッパでは猛威を振るっているが、日本だけは奇跡的に下火である。(十二月原稿執筆当時)その理由についての学者の意見は様々で、確答はない。しかし、マスク、消毒、検温、距離感など、ほとんどの日本人がしっかり対策していることが要因の一つであることは間違いなかろう。
 当初、あのピストル型検温器を額にむけられることに、恐怖感に近い嫌悪感を持ったが、今ではそれにも慣れたし、検温する側も、額ではなく手首に向けるようになってきた。何よりも、一刻も早い終息を願う。
  

  軽石が押し寄せて来る神の留守★ 小林 守克

   軽石が沖縄の島々に大量に漂着し、そして黒潮に乗って徐々に北上し、伊豆諸島などにも押し寄せ始めた。どうやら、小笠原諸島の海底火山の噴火で発生したものらしい。報道では、環境や漁業への影響も懸念されるという。
 神の留守という季語がぴたりとはまって、なかなかの佳句に仕上がっているが、何とも困った自然災害である。
  

  小春日やゴッホの椅子は誰を待つ★ 嶋田 香里

   一八八八年冬、ゴッホは「ゴッホの椅子」と「ゴーギャンの椅子」という二作品を描いた。この時期、ゴーギャンとの友情は崩壊し、ゴッホはやがて神経衰弱に陥った。
  ゴッホの椅子を左に、ゴーギャンの椅子を右に置き並べると、そこに座った二人の人物は、親しげに斜めに向き合う形になる。だがどちらの椅子にも、誰も座っていない。座るべき二人の間にはその後、友情が戻ることはなかった。二つの椅子はいつまでも帰ることのない二人を永遠に待つ。
  

  寂しさの底をさぐつてゐる夜長★ 木村 史子

   私小説を書くという行為は、自分自身の心の奥底に分け入り、痛みに耐えて抉り、核を摑む試みだと私は思ってい るが、それに完全に成功した作家はいない。秋の夜長のたっぷりの 時間を使い、もし、俳句によって寂しさの底に辿り着けたとしたなら、文学史上の、思想史上の大手柄となるだろう 。秋の夜長は光源氏の昔から、物思いに耽るにふさわしい。
  

  商店街あわだち草の一区画★ 上野 直美

   全国ほとんどの町で、商店街の衰退が著しい。ライバルは大規模 ショッピングセンター、スーパー、コンビニだけでなく、このコロ ナ禍の中、通販やデリバリーも一段と伸してきた。跡継ぎの問題も 深刻で、既に滅んだところ、滅びを待つだけのところなど、その疲 弊・荒廃は目を覆うばかり。建物が取り壊されて空き地となった一 角には、どこから種が飛んできたものやら、背高泡立草が一群落を 成していたりするから、衰退感はいよいよ増す。
  

  かはらけの吸込まれゆく渓紅葉★ 扇  義人     
  雄叫びやバンジージャンプ渓紅葉★ 新井亜起男

   渓紅葉の美しさが日本に勝る国はない。良い国に生まれたとつく づく思う。その渓紅葉を使い、取り合わせというより、借景句とで も呼ぶべき二句。
  土器投げは最近、比叡山でやった。輪の中を潜らせたら成功だが 、なかなか上手くはいかず、渓谷の紅葉の中へ吸い込まれるように 落ちていくのだが、それはそれで一片の絵だ。ところが、バンジー ジャンプは、紅葉の真っただ中へ、わが身を投じるのだ。雄叫びど ころか悲鳴だろうが、光景を目に浮かべただけでおしっこが漏れそ うになる。たとえ百万円積まれても、これだけはご免蒙る。

  翼びむびむ白鳥の吾を越ゆる★ 井上 淳子 
  湯豆腐の思はぬ熱さはふはふほ 山田 和子

   オノマトペ(擬音語、擬態語)がぴたりと決まると「してやったり」の気分になれるので、中原中也の詩「サーカス」の「ゆあーん  ゆよーん ゆやゆよん」に勝るとも劣らないオノマトペを見つけたいといつも願っている。「びむびむ」には白鳥の飛翔の力強さ、 逞しさが感じられ、なかなか見事。
  「はふはふ」は、それだけだと 常套だが、「ほ」を付けて「はふはふほ」としたことでオリジナリティーが出た。熱さと戦う口の形が見える。

   朝起きて布団のゆうわく二度ねする★ 杉山 昌紀  
                    
(小・中学生の部より)

   小学生の頃、二階が寝室の私と弟の二人が早朝の寒さに震えなが ら階下に降りると、父母の部屋には父が抜け出た布団がトンネルの ようになっていた。弟と二人、そこにまた潜り込んで、ひと時の暖 を貪った。トンネル状の布団は今思えば、父の配慮だったのだろう 。昌紀さんの句が懐かしい昔を思い出させてくれた。更には<春雨や抜け出たまゝの夜着の穴>丈草にまで連想が及んだ。

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