十人十色2022年4月 日原 傅選
縫初の弁慶縞の産着かな★ 大屋 郁女
「縫初」は正月の季語。新年になって初めて針を使って物を縫うことをいう。掲句の場合、縫っているのが生まれてくる赤子のための産着であるというところで、新しい年を迎えためでたさの上に更なるめでたさが重なってくる。「弁慶縞」は、二種の色糸を縦糸と横糸の双方に使用して格子形に織った縞柄。歌舞伎で弁慶の衣裳にこの模様がよく用いられたことが命名の由来という。近世の風俗について記す『守貞謾稿』は「織染」の項目に「弁慶縞」の図を載せ、「白紺あるひは紺茶、また紺と浅木等」、「紺茶を茶弁けい、紺浅木を藍弁慶と云ふ」と説明する。掲句にあっては「弁慶」という固有名詞が働いて、元気な男の子が生まれてくるのを心待ちにしているような読みに導かれる。
職人の皺のよき顔みそか蕎麦★ 山口眞登美
大晦日の蕎麦屋で目にした光景を一句に仕立てたのであろう。登場する句の主人公はこの日も仕事をしていたのであろうか。仕事を終えたのち、いかにも職人ということが分かる風情で馴染みの蕎麦屋にやって来て年越蕎麦を注文するのである。作者はその職人の顔の皺に焦点を当て、「皺のよき顔」と褒めあげた。修練を積んだ腕のたしかな職人の姿が想像されてくる。
「生きた書いた恋した」の墓碑冬温し★ 折田 利夫
フランスの小説家スタンダール(一七八三~一八四二)は『赤と黒』『パルムの僧院』といった作品で知られるが、その墓碑銘も有名である。掲句に引用された「生きた書いた恋した」がそれで、自身の人生を端的に言い留めた言葉。それが墓碑銘に刻んであるところが面白い。墓所はパリのモンマルトル墓地にある。パリは北緯四十八、九度にあり、日本との比較でいうと稚内より北に位置する。暖流の北大西洋海流の影響で緯度のわりには温暖であるが、冬は日没が早く、曇天の日も多い。モンマルトルの墓所を尋ねた作者は幸いに暖かな陽気に恵まれたのである。
春待つや古地図ながらの鞆の浦★ 門脇 文子
「鞆の浦」は広島県福山市の沼隈半島の南端に位置する港湾。瀬戸内海航路の要地で、古代から潮待ちの港として知られていた。また、風光明媚な地としても有名で、当地に泊まった朝鮮通信使はその勝景を讃える詩を数多く残している。正徳元年(一七一一)に寄港した朝鮮通信使の従事官である李邦彦は当地の福禅寺からの眺めを「日東第一形勝」と評した。寛延元年(一七四八)に寄港した朝鮮通信使の従事官である曺命采は福禅寺の本堂に附設された「対潮楼」を中国の岳陽楼になぞらえている。作者は江戸時代の古地図なども照らし合わせて町歩きをしているのであろう。鞆の浦には古い町並みが残り、江戸時代の町絵図が現代の地図としても通用するという。
赤赤と年輪著き炭火かな★ 瀬 正子
<何も彼も遙に炭火うるみけり 石田波郷><死病得て爪うつくしき火桶かな 飯田蛇笏><大榾をかへせば裏は一面火 高野素十>など炭火や火桶、榾火などを詠んだ句には印象的な作が多い。火というものがもつ神秘性がその根底にあるのだろうか。掲句の作者も木炭でおこした火を心を奪われるように見つめているのであろう。ちょうど輪切りにした木の断面が作者の方を向き、木の年輪が赤くくっきり見えるというのである。
結界の竹を渡せり霜の寺★ 小棚木文子
寺の境内に修行の妨げにならないように更なる浄域が設けられ、境界を示すために竹が渡されているのであろう。句のなかに用いられた「結界」「竹」「霜の寺」といった言葉に凛乎とした統一感があって冬の寺らしい感じを出している。なかでも「霜の寺」という措辞が一句を引き締めるかたちで最後にどっしりと坐り、格調の高い句となった。
国生みの瑠璃色の海初明り★ 津田 卓
元日の朝、東方の空にさしてくる曙光によって海面が瑠璃色に輝いているのである。その神々しい光景を見ながら、古代の国生み神話に思いを寄せた作。『古事記』にはイザナギとイザナミの二神が高天原の神々の仰せを受けて、日本列島を構成する島々を生み出した話が見える。授けられた天の沼矛で下界をかき回して引き上げると、矛の先から海水が滴り、それが積もって淤能碁呂(おのごろ)島が出来た。その島に降った二神は大八島などを創ることになるが、その最初に出来たのが淡路島とされる。川崎展宏に「淡路島 一句」という前書を付した<国生みのはじめの島の雑煮餅>の句がある。
不揃ひの石段上がる初明り★ 合原 美紀
暗いうちから起きだして詣でた初社での体験を一句に仕立てたのであろう。「不揃ひの石段」という語によって、素朴で小さな社寺のさまが想像されてくる。地元の産土神に詣でているのであろうか。折しも初明かりがさし、周囲が明るくなってゆく。淑気をたたえた静かな世界である。
大鷹の蹴爪に水の暴れけり★ 秋谷 美春
川面であろうか湖面であろうか、あるいは海上かもしれない。水面に急降下した大鷹の姿が想像される。獲物を捉えた瞬間を詠んだ作であろうか、あるいは縄張りを争う敵と格闘している場面かもしれない。「大鷹」の登場から一句は始まり、「蹴爪」という細部に焦点が当てられたあとで、突然勢いよく暴れる「水」が句の主体となる。モンタージュ技法のような展開の結果として、自由な読みを誘う句になっている。なお、「蹴爪」は「懸爪」とも言い、鷹などの猛禽の場合は足指のうち、後ろを向いている指の爪を言うようだ。一方、雉や鶏などのキジ科の鳥の場合は、足の跗蹠骨(ふせきこつ)の突き出たものが角質の表皮におおわれているのだという。
宇宙より地球恋ふるや寅彦忌★ 武井 悦子
蕪村に<稲づまや波もてゆへる秋つしま>というスケールの大きな句がある。江戸時代の作だが、日本列島を宇宙から見ているような視座が感じられる不思議な句である。人類が宇宙に行くようになった現在では、宇宙から地球を見る映像は親しいものとなった。それを反映するように<水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子><虫の夜の星空に浮く地球かな 大峯あきら><初明り銀河系字地球かな 有馬朗人>といった句が生まれている。掲句もその系譜に連なる句と言えよう。宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士に成り代わって詠んだような世界である。寅彦忌は十二月三十一日。間もなく新年を迎える地球を宇宙から見つめていることになる。寅彦は地球物理学を専門とする学者であるとともに名文家としても知られた。<好きなもの苺珈琲花美人懐手して宇宙見物>という戯れ歌も寅彦は残している。
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