十人十色2022年5月 大屋 達治選
甌穴に水を求める蛙かな★小林 清
おうけつ、とは、川岸の岩盤にあいた円筒形の穴のことをいう。岩床に川が小石を運んできて、それが岩床の上にのこり、長い時間をかけて、穴をあけるのである。木曽の寝覚の床や、荒川の長瀞のものが有名である。作者は秩父の人、他の人にも同様の句が見られたので、支部で吟行に行かれたのであろう。雨がふれば、当然、雨水がたまる。その水を求めて、冬眠から覚めた蛙が、水を求めてくる。川の流れでは流されるから、甌穴の水が安全で、ちょうどいいのである。
待春の埠頭に広き余白かな★山下 之久
埠頭には、船に積むべき貨物が積み上げられて、入港を待っている。クレーンで船積みが終わると、埠頭は、コンクリートの平らな面となる。最近のコンテナ船でも同じである。何も置かれていない白い埠頭の面は倉庫などを除くと、余白のように見える。作者は小樽の人。小樽は、札幌の外港としてにぎわった。寒い北国、しかし雪は溶けて、余白のようなコンクリートの打ちっぱなしの面を見ると、春が待たれるというのである。「余白」という捉え方がうまい。
鉄瓶の円やかな湯の葛湯かな★谷内せつこ
鉄瓶で沸かしたお湯はやわらかい、とか、美味しいと聞く。幕末の江戸城、天璋院篤姫は、明治になっても銀の薬罐で湯を沸かしていた。勝海舟がその篤姫に、東京市中を何日かに分けてこっそり見物させている。休憩した茶店で、鉄瓶で沸かした湯茶を飲んだ。鉄瓶の方が、銀より早く沸くので篤姫も鉄瓶で湯を沸かすようになったという。『海舟座談』に見える話である。さて、作者は、その鉄瓶で沸かした湯で葛湯をのんで、あたたまっている。アルミなどのやかんの湯より、おいしいに違いない。
芦叢をいまだはなさず氷解く★山口眞登美
冬の間氷っていた、あるいは、両岸に氷ができていた川は、あたたかくなり、水の流れも多く、氷は融けてきている。しかし、それは川の真ん中からで、両岸はまだ薄氷が残っている。芦が生えている。枯芦と思うが、その根元はまだ氷が残っており、また半分氷が解けてカチャカチャ音をたてているかもしれない。それを「芦叢をいまだはなさず氷解く」と言った。うまい表現である。
如月や銀の包みに銀の針★小栗百り子
錆びをさけるためか、針を買うと十本位が銀の包みに入ってくることが多い。このごろの百円ショップではどうか分からないが、昔、小間物屋で買ったときは、確かにそうだった。銀という言葉を二つ重ねたところが、春を待つ気持ちをよく表わしている。おりしも如月、冬の服のつくろいものをするのだろうか。
佐保姫のコロナ禍おそれ遅きこと★井上 和子
佐保姫は、春の女神。平城京から見て、佐保山は東にあたるので、東は春に通じることから、その女神佐保姫は、春とされた。秋は龍田姫である。その佐保姫が来ても良い時季なのに、今年はコロナ禍の第六波が来てしまっていて、コロナにうつることをおそれて佐保姫は来ず、今年はこんなに寒いのではないか。作者はそう思ったのである。
なお、作者の葉書の通信欄に、「投句したら読み手の鑑賞にまかせなさい、ということなんですね」とあった。その通りです。作者は読者に、できるだけ句の映像が分かるように書くことが大事である。高浜虚子が「客観写生」と言ったのは、そのことだと思う。「プレバト」で夏井いつき氏も口を酸っぱくして言っているが、読者に映像が浮かんでくるかがカギとなるのである。
ひと筆の円の掛け軸あたたかし★中澤マリ子
マルだけが書かれた掛け軸。禅僧白隠の書にもあったように思う。〇だけでも、その書家の個性が出ておもしろい。地方に出かけた作家が色紙をねだられて、時間がなくとっさに良い文句が浮かばず、墨でマルだけ書いて署名をした、という話が、戸板康二氏の『ちょっといい話』にある。いかにも季節は、春がふさわしい。
凍ゆるむ人影見ゆるなぞへ畑★佐々木とし子
「なぞへ」とは、斜め、傾斜、または斜面を言う。だんだん畑などの風景を思い浮かべれば良いだろう。唱歌の「冬景色」に、「畑に麦を踏む」という一節があるが、もう春になった。耕しをしたり、種や苗を植えたりするくらい、凍てつきがゆるんで来ている。雨も降った後で、土のやわらかさもあるだろう。きびしい山の畑にも、こうして春が来る。作者は所沢の人。秩父のあたりだろうか。
目薬の目の際に落つ春愁★手銭 涼月
「二階から目薬」というが、自分が点ずる場合でも目薬をさすのはむずかしい。ふだんでもそうだが、私事になるが、私も一昨年右目を網膜剥離にやられ、三回入院して手術を受けた。最初の手術の際は、目の中央が黒い膜におおわれたようになって、点眼器という広口瓶のフタのようなものを鼻と目頭に押しあてて、中に目薬の瓶を入れて点眼した。右目で字は読めなくなり、いまはぼうっと物の輪郭が見えるだけだが、一日二回目薬を点眼しなければならない。手術直後は、四種類を一日三回点眼したから大変だった。いまでも目薬が目の脇に落ちて、さし直すことがしばしばある。少し上まぶたの方へずらして点眼するのが良いようである。まことに春の愁いである。
剪定され棒キャンデーの並木かな★門脇 文子
街路樹が植えられているが、すぐ木は伸びて信号機や交通標識を隠してしまう。そこで、毎年のように枝を打ち葉を減らす。こんなに切ってしまって大丈夫か、と思うくらいに、植木職人はのこぎりを入れ、葉を落とす。剪定の終った並木を見ると、棒キャンデーが並んでいるようである。昔、安いアイスキャンデーといえば、「ホームランバー」であった。今もあるのだろうか。なめ終って、棒に「当たり」表示があれば、もう一本タダでもらえた。なつかしい。作者は、並木をアイスキャンデーの棒が並んでいると思ったのである。目のつけ所がおもしろい。
この他、印象に残った句を挙げる。
小面の一瞬鬼女に雪の宿★小林美佐子
「小面(こおもて)」は、能で女をあらわす代表の「面」である。可憐な美しい面だが、ときに妖怪が顔を隠すときに使われる。上を向くか下を向くかで、表情が変わる。
「慈」ひと文字の墓碑野梅咲く★金山 哲雄
このごろの墓碑は、「先祖代々之墓」などと刻まず「心」「慈」「慎」など、表面に好きな言葉を刻んでいるものがある。それが春にふさわしい、というのである。
節分や逃げ行く鬼へ懐炉投げ★植木 一好
鬼やらいの豆がなくなった。困って使い捨てカイロを投げた、というのである。おもしろい。昔は、ベンジンをしみこませ火をつけた「白金カイロ」や、松下電器の電池で火が点く「黄金カイロ」などがあった。それでは不可能である。
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