十人十色2022年6月 福永 法弘選
箸墓古墳の腰のくびれや水温む★門脇 文子
箸墓(はしはか)古墳は、奈良県桜井市にある前方後円墳。三世紀後半の築造で、被葬者は不明だが、宮内庁により第七代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定されている。一方で、邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかとする学説がある。
いずれにしても、被葬者は女性ということになり、そう思って、樹木の生い茂る古墳を改めて見直すと、たしかに、前方と後円の間の細くなったところが、グラマラスな女性の腰のくびれに見えてくるから不思議だ。
木の根開くバス標識の新時刻★山下 之久
虚子編の『季寄せ』に「木の根開く」は収載されていない。基本的にホトトギスの『季寄せ』は京都中心の四季をベースに作られたものが現在も踏襲されており、地方独特の季語は、例えば、昭和七年に比良暮雪が北方新季題について解説した『北海道樺太新季題句集』や、昭和十一年の虚子の「熱帯季題小論」などを皮切りに種々あるものの、いずれも別立てだ。
春の初め、木の周りの雪がそこだけ融け、ぽかりと穴ができる。これが「木の根開く」で雪国独特の季語だ。雪が解け始めると、道路通行が自在になり、バスの運行時刻も冬ダイヤから通常ダイヤへと変わる。長かった冬がやっと終わる。
満たされし飲食なれど野蒜摘む★石川 つや
ある程度のお金があれば、スーパーに行けばなんでも手に入るし、調理済みの食材も溢れている。まさに「満たされし飲食」なのだが、その暮らしには何かどこかが物足りない。
野蒜はヒガンバナ科(ネギ亜科)ネギ属の多年草。ニラとそっくりで、球根と葉が食べられる野草だが、今はもう、それらを摘んで食べる暮らしを日常的にしている人はいない。だからこそ、野蒜を摘んだ頃の、みんなして貧しかった昔が懐かしいのだ。
白瀬矗も掛魚祭の尾に蹤くよ★山田 一政
掛魚(かけよ)祭は秋田県の海沿いの最南部にあるにかほ市に伝わる奇祭である。掛魚とは漁師が氏神様にお供えする魚のことで、毎年二月四日、荒縄で括られた大タラが何本も、海上安全、豊漁を願って金浦山神社に奉納される。
白瀬矗(のぶ)は、日本人として初めて、南極探検に成功した軍人で、白瀬中尉という呼び名で知られている。掛魚祭の行われるにかほ市の出身である。極地探検をなしたほどだから、胆力に優れる一方、かなり気性が荒い人であったと伝わる。自伝には、狼退治や百五十人と決闘したことなどが自慢げに書かれている。きっとこの掛魚祭でも、最初はその尾につきながら、やがてはしゃしゃり出て、ひと暴れしたことだろう。
恋猫の忍び返しを越えて来し★片平 奈美
七色の声を操る猫の恋★田村 均
恋猫、あるいは猫の恋は俳人好みの季語だ。対象は猫だが、人生の喜怒哀楽を乗せて、毎年この時期になると多作される。そのため、新味を出すのはとても難しいが、「忍び返しを越える」は様々な障害のある恋路であり、「七色の声」は言葉を尽くしてかき口説く心情の発露であり、ともに、十分に吟味、工夫された句に仕上がっている。
蒲公英や真民さんの愛でし花★南島 泰生
「念ずれば花ひらく」などで知られる仏教詩人、坂村真民(しんみん)は熊本の出身だが、愛媛県の高校で国語の教師をしていた関係から、その記念館は今、砥部町の一角に立つ。
当初は歌人を志したが、四十歳を過ぎてから詩に転向。一遍上人を敬愛し、弱者に寄り添い、「人はどう生きるべきか」を、九十二歳で生涯を閉じるまで探求し続けた。
「踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く その明るさ わたしはそれを わたしの魂とする」という「タンポポ魂」と題した詩もまた有名で、多くのファンを惹きつけて止まない。
演習の基地の裏道一期田植う★村雨 遊
沖縄県には三十一の米軍専用施設があり、その総面積は沖縄県全体の約八%、沖縄本島だけに限れば約十五%を占める。驚くべきその数字を、本土に住む人間は、ほとんど知らない。太平洋戦争末期、悲惨な地上戦で県土を蹂躙され、今なお米軍基地の島として生きる沖縄の苦悩を知ろうともしない。
だが、そんな中、人々はしたたかに生きる。演習地の裏道を知悉し、昔ながらの米作りにいそしむ。二期作が当たり前の沖縄では、一期田の田植えは一月の半ば頃に始まる。
落椿誰かを待つてゐるやうな★工藤 翠
<落椿われならば急流へ落つ>(鷹羽狩行)という勇ましい句があるが、私は<苔の上(へ)に落ちて安堵の落椿>(法弘)を志向したい。
この句の椿もたぶん私の句と同様で、柔らかい杉苔の上に落ち着き、余裕あるゆったりとした心持で誰かを待っているのだ。待ち人は誰だろう。隣に並んで欲しい落椿の仲間か、それとも、落ちてなお傷一つない落椿の姿を愛でて一句に詠んでくれる俳人か。深読みを誘う句だ。
愛もまた鈍器かバレンタインの日★木村 史子
西暦二七〇年、ローマの聖職者バレンタインは、軍事力の低下に繋がるとして結婚を禁じられていた兵士に同情し、秘密裏に結婚させたため、皇帝クラウディウスの逆鱗に触れ、処刑された。その日は後に「愛の日」とされ、恋人たちが贈り物やカードを交換するようになった。
愛は甘美な囁きや熱い抱擁ばかりではない。時に、心にぐさりと刺さる鋭利な刃物や、心身に大きな後遺症を残す固い鈍器に変じたりもする。用心に越したことはないが、さりとて、臆病になり過ぎるのも惜しい。愛は実に難しい。
ソルジェニツィンの本色褪せて雪の壁★小林美佐子
反戦の声世に満てり花ミモザ★小髙久丹子
戦なき世を請ふ母よミモザの日★長岡 ふみ
ソルジェニーツィンは自らの体験を元に書いた『収容所群島』で、共産党によるソ連人民蹂躙の実態を告発したため、国外追放処分を受けた。帰国できたのは、ベルリンの壁が崩壊した後である。帰国後は「国威発揚より、国民の幸福が重要」と訴えたが、ソ連からロシアに変わっても、人民を虐げる圧政は依然、何らの改善を見ない。東西の壁は無くなったが、雪の壁はより高く、より厚い。
ロシアの侵攻を受けているウクライナの国旗の色は青と黄。黄を象徴するのがミモザの花。ウクライナでは三月八日の国際女性デーはクリスマス、復活祭に次ぐ重要な祝日(ミモザの日)で、ミモザやチューリップの花を、男性が女性に贈る習慣がある。反戦や平和を訴え続けることは、けっして無力ではないはずだ。声を上げ続けようではないか。
伸びるだけ首をのばして亀が鳴く★杉山 恵洋(中二)
有馬先生は「亀の子のその渾身の一歩かな」など後進を亀の子に仮託し、温かい眼差しを注がれた。伸びるだけ伸ばすという懸命さに先生の期待に応える弟子の姿が見える。
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