十人十色2023年1月 大屋 達治選
闇に眼の慣れし矢先に星流る☆永野 裕子
TVのニュースなどで、今夜は、〇〇座流星群が、□方の空に見えます、などという予告を時折聞く。時間だと思って、外に出てみる。明るい室内から暗い屋外へ出るのだから、はじめはよく見えない。闇に眼がだんだん慣れて来たところで、さっそく流れ星を見た。なかなか探しても見えないのに、幸運である。でも、何か願い事をする暇もなく、流れ星を見てしまった。私の住んでいる所は都市部で、なかなか、流れ星は見えないが、一度、近くの、道路建設中のところで、広くなった空に、いくつか見られたことがある。<流れ星初めて汽車を見し夜は 有馬朗人>を想う。
お小言の終はりは青蜜柑一つ☆小棚木文子
お祖母さんだろうか、娘か孫を、こたつの対面に座らせて小言を言っている。たいして怒っている訳ではないのだが、延々と続く小言である。時に話がよそに飛んだりするが、また戻ってきて小言は続く。ひとしきり言って、相手が謝っても謝らなくても、必ず、小言が途切れる時が来る。しばらく両者に沈黙の時が続いて、「はい、お蜜柑」と、籠の中のみかんをくれる。しかし、それは、まだ酸味の強い青蜜柑。それで、お小言は終わってしまう。明治生まれの私の祖母も、こんなことをよくした。お小言を言う人は、年配の人であろう。その情景がよく出ている。
石積み直し天空の田を仕舞ふ☆井上 淳子
「耕して天に到る」というが、江戸中期ごろより、新田の開発が各地で行なわれ、平野、湿地での埋立・干拓はもちろんのこと、山間部では、棚田が作られ、山や丘の上方まで、稲作が行なわれるようになった。奥多摩や信州各地(たとえば、姨捨)などに多く分布する。千枚田、というのも、この棚田に含まれる。(多くは、地滑り地形を利用している)。
さて、この句は、等高線に沿って作られた畦を支える石組を積み直して整え、次の年の稲作に備えるのである。これで本年の稲作のすべての作業は終り、田仕舞となり、来年の春を待つ。これは、どこであろうか。作者は愛知県岡崎の人。矢作川の上流の山間部か、あるいは、いまは豊田市に合併した足助のほうか。五句のなかに、放哉・屋島・右近(高山右近か)が出てくるので、四国方面かもしれない。いずれでも良い。田仕舞に、石を積み直す、ということが、作者の新しい発見である。
敷石となりし石臼こぼれ萩☆西山 昌代
戦時中から戦後にかけて、食料不足で粉物が手に入らない時期があり、この家にも石臼があった。小麦粉をはじめ、黄粉、そば粉などは、各家庭でも石臼で挽いて作られた。私の家にも、ふたつの直径三十センチ位の円筒形の石の、上の石に把手をさして回す形のものがあった。私が物心ついた昭和三十年頃には、庭の隅に置いてあるか、冬に白菜を大桶で漬けるための漬物石として使われていた。はじめての引越しの折、重いので、もとの家に置いて来た。今でも、花壇のへりの石として再利用している家もある。さて、この句の石臼は、少し深めに土を掘ったところに埋められて、敷石として使われている。雅びな使われ方である。茶室の露地の敷石としても良いだろう。そうすると、茶も挽かれたか。私の所は、石臼、火鉢、七輪、と重かったものを、引越の度に置いて来てしまった。今となっては、取って置けば良かった。掲句は、その敷石となった石臼に萩の花がこぼれている。小憎らしい風景である。
箸の火を消しつつ返す秋刀魚かな☆迫田みえこ
昔は軒下か土間で七輪で、いまは排気する換気扇があるので、ガスで秋刀魚を焼いている。焼くときは長い菜箸を使うか、いらない割箸を使う。焼け具合を見るために箸を使っていたら、その先が火を噴いたので、あわてて消して、秋刀魚をひっくり返す。日常の細かい情景をよく捉えている。
敗荷となりて水面に突きささる☆小林 祐子
やれはす(破れ蓮、とも書く)の様子は、まさに「矢尽き刀折れ」という感じがある。寂寥感あふれる季語として、さびしい事象と取り合わせた陳腐な句をよく目にする。しかし、この句は違う。敗荷そのものの本意を見事に捉えている。たしかに、実や葉を支えて立ち上がっていた茎は、実の飛んだあとの殻や枯葉の重さで、茎の途中で折れて、斜めに水に突き刺さっているものもある。よく観察していないと、成し得ない一句である。
二湖ひかる狭山丘陵竹の春☆三澤 俊子
この二湖は、阿寒国立公園内の釧路市にある、ペンケトー・パンケトー(アイヌ語で、上の湖・下の湖)だとばかり思った。双湖台という展望台から、原生林の中、遠くに真っ青な湖が二つ見える。はじめは、そうだと思った。二つの湖が同時に見えるところは、ほかに福井の三方五湖、山に登れば、福島の裏磐梯三湖、富士五湖、と遠くに行かねば見られないと思っていた。ところが、この句、下へ読んでゆけば、狭山丘陵、とくる。すなわち、狭山湖(山口貯水池)と、多摩湖(村山貯水池)である。戦前の「東京市」の水道の水源となった。西武園、西武球場のあたりで、西武鉄道で行ける。この二湖を同時に見られる展望台があるのか、よく知らぬが、湖は近場にあった。付近は竹が茂っている。
海苔棚の網の張込み天高し☆宮代 麻子
昔は、のりひび(海苔篊)、のりそだ(海苔粗朶)と言って、浅い海中に棒を列状に立てて、そこに付いた海苔をかき取る形で養殖していたが、最近は浮標(ブイ)を等間隔、四方に浮かべ、そこにネットを張る方法で、ネットに付く海苔を収穫するのが一般的である。正式に何と呼ぶのか知らないが、確かに「海苔棚」に網を張ると言っても良いであろう。秋の良く晴れた日、おだやかな海に、その「海苔棚」を作り、網を張り込むことから養殖がはじまる。秋、九月~十一月ごろに仕掛けを作り、早春にネットを機械で巻き取るのである。
トルソーが部屋の主や秋湿り☆野口 日記
トルソーとは、頭部や四肢のない胴体だけの彫像を言う。要はミロのビーナスの首から上と、衣で覆われた下半身を切った、まん中の部分だけを思えば良い。多くは、石膏像であって白い(なかには、彫刻家がじかに捏ねて作った「原型」もあるだろう)。誰もいない部屋に入ると、まず、そのトルソーが目に入る。自分の部屋なのだが、なんとなく、その部屋の主の座をトルソーに奪われているような気がする。おりしも秋湿り、秋の長雨の時期で、在室していることが多いのに、である。
夕映えや縄も色添ふ吊し柿☆大谷 忠美
渋柿の渋を抜くため、皮を剥いて、吊し柿にしてある。何か月かたつと、粉を噴いて、味の良い干し柿となる。はじめは新しい藁縄に吊り下げていたものが、風雨にさらされ、縄の色も黒ずんで来て、よく見る「干し柿」の風景となる。おりしも、夕映えに赤く染まってより美しく見えるのである。
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