天為俳句会
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十人十色2023年11月 大屋 達治選

   二の腕の真白き脂肪花氷   木村 史子  

  夏になると、人は半袖を着る。女性は半袖やノースリーブを着て、女らしい服装となる。まだ夏の初めだから、日に焼けておらず、二の腕は白い。二十代から中年になると、女性の身体のラインは、円みを帯びてきて、女性らしくなる。それを作者は、「二の腕の真白き脂肪」と表現した。冷房の室内に座っていると、その二の腕がよく見えるが、この部屋には、「花氷」が置かれている。花氷は、評者が子供の頃の六十年前には、銀行の支店などに行くと、よく置かれていた。当時は、冷房のあるところは少なく、花氷で、顧客に冷感を与えていたのである。近年でも、花氷が置いてある所はある。花氷を通してその女性を見ると、その二の腕の白さが極立って美しく見えるのである。


   西側のベランダに焚くをがらかな   岩川 富江 

    旧盆が近づくと、その最初の日に、迎え火を焚く。古い村で墓地が近いと、墓前に提灯を持って行って、墓の灯明から火を移し、家に持って帰るのだが、墓が離れているところでは、門前で、麻の茎などを乾燥させた「をがら(芋殻)」を焚いて、先祖の霊を迎える。評者のところでも、祖母・父・母と亡くなった家は、甥が古い家を壊して新築した。仏壇は評者が引き取ったので、その年は、霊が間違ってはいけないと「芋殻」を焚いた。さて、作者は、高層マンション住い。門口で芋殻を焚けない。苦肉の策として、家のなかで西方浄土に最も近い、西側のベランダで、芋殻を焚いた。現代の知恵であり、新しいお盆の光景である。

   噴水のリズムの順を解き明かす   久世 裕子 

  昔ながらの噴水は、ただ円形に噴き上がるか、あるいは、真っすぐ垂直に噴き上がるかであった。このごろの遊園地やショッピングモールなどに作られた噴水は、そんなに簡単ではない。まず垂直に噴き上がり、円形に飛び、順番に噴出し間欠泉のように噴き上がり、一筋の水がぐるぐるまわって飛んだりなどと、考えるには難しい動きをして、観客を楽しませる。たとえば、札幌のモエレ沼公園、埼玉の北浦和公園、東京の世田谷公園、大阪府吹田市の万博記念公園、福岡の博多キャナルシティなど、おもしろい噴水を見ることができる。作者の住む富山は、水の良いところだから、そんな噴水は何か所かあるだろう。作者は、その噴水がどのような順序で、どういう形で噴き上がるのか、そのリズムを解いて覚えたのである。あるいは、こどもたちの「じゃぶじゃぶ池」のようになっていて、その噴水のリズムを知っていた方が、こどもたちがずぶ濡れになってしまうのを、防ぐことができるのかもしれない。

   操舵室の小さき神棚夏怒濤   河本  順  

  海外の船はどうか知らないが、日本の船は大から小まで中に神棚が作られている。住吉の神、水天宮、金毘羅権現などが、分祀されて奉られている。要は、航海の安全を祈るためである。日本で、古くは「船霊(ふなだま)」信仰があり、女性の髪、サイコロ二個、夫婦雛などが収められる。これと同じものかもしれない。海は荒れていて、怒濤が続いている。そんな中、船では航海術に加えて神棚が頼みなのである。

   香水の小瓶並べり恋もなく   長岡 ふみ 

  おそらくは、カラの様々な香水の小瓶が、洗面所の棚に並んでいる。評者は香水は使っていないが、作者は香水をつけるのがお好きなのであろう。自分自身の香りがどうあるべきか、いつも考えて、いろいろな香水を求めてつける。あるいは、有名なシャネルの五番とか、一種類に限るのかもしれないが、小瓶、と言っているから、いろいろ試して楽しんでいるのであろう。しかし、それは身についた習慣で、香水をつけて恋をしている、という訳ではないのである。「恋もなく」がうまい。

   土用波風にかたちを定められ   吉田 桃子  

  夏の土用のシーズンには、はるか沖にある台風などのせいで海が荒れる。土用波である。実際に海水浴に行くと、夏の土用の期間には、まだそんなに波はなく、お盆近くに盆波が発生する。だが、ここでは慣例に従って「土用波」と呼んでおこう。沿岸に届いた土用波は、その海岸に吹く強い海風によって、波の形が変えられて打ち寄せる。はるか沖合で起きた形のままではなく、沿岸近くで、風によって、波の高さも変えられてしまうのである。「なるほど」と思わせる作者の発見である。

   夏の夜風鎮こつと壁を打つ   江成 苑枝 

  「風鎮」とは、床に掛ける掛軸の、いちばん下の木の両側に掛ける卵形の重りである。ふだんは冷房の中にあるから動かない。たまたまこの夜は涼しかったので、夜間窓を開けていたのだろう。思わぬ強い夜風が入ってきて、掛軸が揺れ、ふたつの風鎮が壁に当たったのである。最近は、このように掛軸を飾る家も少なくなった。

   ドア開くたび新しき蟬の声   小棚木文子  

  最近の自動ドアのある店を思う。蒸し暑く、蟬時雨のする街を歩いて来て、自動ドアで店の中に入ると、冷房で涼しく気密性が高いから蟬の声は聞こえなくなる。続いて、客が入ってきた。ドアが開くと、また蟬の声がする。さっき聞いたのとは、少し違った蟬の声である。またドアが開く。すると蟬の声。これもまた微妙にさっきとは違っている。そんな光景を思わせる。

   バス停は万屋の前村の秋   児島 春野  

  ローカル・バス路線がある。明治の町村大合併、平成の市町村大合併の前は、江戸時代から続く「村」があった。そのような地域は、いまの市町村のなかにも、町名や、大字名として残っていることが多い。だいたい、そういう「村」には、何でも販売する、食料からタバコから文房具まで、ちょっとした物は買える「よろず屋」があった。私は、そういう「よろず屋」文化が、現在のコンビニエンスストア文化のもとになって、日本で発展したのではないかと考えている。そういうよろず屋は、だいたい町の中央部にある。だからその前に、バス停もできやすいのである。

   たまゆらやホースの先の虹のいろ   嶋田 香里  

  「たまゆら」とは、ほんの短い時間、ほんの少しの間のこと。ホースで、打ち水か水まきをしている。水をまく方向によって、太陽の光の加減で、ホースの先に虹が出た、というのである。空にずっとかかっている虹と違って、ほんのはかない一瞬のこと。それをうまく、「たまゆら」と、作者は言い留めた。

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