天為俳句会
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十人十色2024年1月 西村 我尼吾選

   ランウェイのモデルのやうに銀杏散る      ★鈴木れい子 

 銀杏散る真っただ中に法科あり 青邨  青邨先生の句は昭和十六年日米開戦の年の作品であり、銀杏と言えば東大の銀杏並木を思い浮かべて、私などは厳粛な思いにとらわれてしまう。ランウェイとはパリコレやその他のオートクチュールなどの作品発表の場において世界のトップを目指すモデルたちの戦場の場である。美しく計算された動きは、その背後に血みどろの修練の結果である。世界平和という美しい言葉の背後には厳しい緊張関係と現実が存在することをウクライナでパレスチナで、南シナ海で知っている。この作品は美しく散る銀杏に青邨先生が詠われたのとは異なった、現代の緊張感に満ちた美しさを表現している。   

   舂うすづくや光は萩の風のなか         ★岡部 博行 

「字統」によれば、舂の字は両手で杵を上げて臼中のものを春つく形であるとされる。漢の刑罰に城旦舂じょうたんしょうというものがあり男は朝早くから築城に赴き、女子は臼杵のことに従うとされた。日暮れて休めることを待ち望んだであろう。舂くに日暮れの意味もあるのは何かその由来を感じる。舂人の職は祭器に米物を供することを掌るものであるが、それには女囚があてがわれたという。このような言葉の会意から舂くという美しい言葉を感動の中心に据えたとき、古来からの人々の営為が眼前に現れ、夕暮れてゆく光が萩の風の中に絶望の中の救いの曙光のような安らぎを時空を超えて与えてくれる。杵を打つときに歌った歌を「舂歌しょうか」という。   

   いざよひの我らも欠けてゆく身かな       ★津田  卓  

 十五夜の満月の翌日の月がいざよふようにためらいがちに出てくるので十六夜の月とされる。太陰暦は月の満ち欠けに基づく暦であるが、それは月の相の普遍なることに月の出方を詩的に捉えて死生観を託した見方と言える。太陽暦は自然の変化の普遍性に死生観を託した見方と考えられる。季語はどちらにも準拠して言葉が選ばれているが、和歌の世界は月を基準に文学してきた世界といえよう。掲句は明らかに和歌的に月の満ち欠けに死生観を託して歌っている。「朧夜のかたまりとしてもの思ふ 楸邨」のように存在する我らは十六夜の月が更にかけてゆくにつれて身も心も欠けてゆくのである。   

   やまつみに二人とられし秋炉守         ★山田 一政    

 今回の作品はすべて石井露月についての作品であると示されていた。掲句だけを読んで露月を詠っているとわかる人は相当露月の人生を研究している人であろう。乏な露月は子規に出会うことによって俳句という短詩型文学の道を終生貫くことができた。秋田によって子規四天王と呼ばれるほどの俳人として名を成した。苦学して独力で医師となり、しい人々のために社会活動も全身全霊で行い優れた俳句を作った。しかしこの作品は、そのような露月の人生の中の悲劇の一コマをさりげなく詠っている。露月は秋田にあって獅子奮迅の活躍をした秋炉守ともいうべき人であったが、やまつみの神はその尊い二人の子を召されたのである。   

   生と死の会釈の道を秋遍路           ★嶋田 香里  

 四国八十八か所の遍路道の由来には人間社会の善意と業との入り混じったものがあると考えられる。空海は身口意という真言密教の三密瑜伽業の実践を説いたが、遍路道というのはその具体的方法である。しかし歴史的にはこの遍路を歩いた人々は社会から疎外されたり、心に傷を持ったりして行きどころのない人々が終生終わりなく、その道を巡ったこともあるとされる。一日はとどまってもその翌日には次の場所へ移動するという、最低限の支援が人々によってお接待という形で与えられたという。そのような遍路の元型的本質を作者は「生と死の会釈」という表現によってあらわしている。   

   曖昧は人つつみたり涼新た           ★松井ゆう子  

 有馬先生は朝倉現代物理学講座四「量子力学」の教科書を書いておられる。そこで語られている量子の世界では、我々が現実に生活している世界とはきわめて異った物理法則が適用になる。我々の世界では物は実際に存在し、白黒がはっきりしている。しかし超ミクロの量子の世界では真実白黒がはっきりしないのである。量子揺らぎの世界が実験で証明されている。我々の体も分子、原子とさかのぼって有馬先生の量子の世界まで行くと一つに決まっていないという意味で真実曖昧なのである。秋に入って感じる涼しさに生の実感を得る時、作者は我々の全身が曖昧のかたまりであると直感したのである。  

   新北風みいにしに羽織る一枚襟正す       ★村雨  遊    

 新北風は沖縄における凩である。しかし素晴らしいしのぎやすい北風である。短い秋の北風。この風が吹けば、沖縄の人は夏が終わると感じ、はるばるサシバがやってくることを契機に何かスイッチが入るのかもしれない。サシバが困難を乗り越えてやってくることに襟を正して反省の意をあらわしているとも考えられるが、「羽織る一枚襟正す」というダンディズムにあふれた表現は人生を真摯にかつ大いに楽しもうという前向きな遊び心にあふれている。   

   側溝に灯落つる町を踊下駄           ★町田 博嗣  

 側溝はたいていコンクリートか何かで覆われている。しかし町の古い側溝は覆われないでそのまま水が流れたりしたものもある。そのような町の側溝に電灯の灯が写って魔術のように燈明が人々を誘う。どのような踊り下駄が通ってゆくのであろうか、町の踊りクラブの婦人部の人たちが帰ってゆく時の踊り下駄か、西馬音内や麦屋節、風のの踊りのような連が続くのであろうか。踊り下駄をはいた多くの人がその明りに導かれるように流れてゆく。踊りにはいろいろな人が混じるが、この世のものあの世のものも踊りの流れの中に黙々と短い交歓の時を共にする。郷愁の風景が展開する。  

   留袖の紋臈長けて蝶の秋            ★谷野 好古  

 我々の時代結婚のときに妻は実家の紋の入った留袖を持参するのが習わしであった。我々の親の時代は苦労して嫁入り道具をそろえた。今ではそのような風習が当たり前ではなくなった。結婚式か、何かの会合で女性の着ている留袖に目が留まり、その品格と貫禄に胸打たれたのであろう。紋が臈長けるという表現は、「紋」の一字にその女性の品格を凝縮しており、その紋はいわば元型的イマージュを為している。それは秋の蝶の紋ではなく、その人の存在が蝶の秋という空間を形成するほどの美しさであったということである。   

   黒鼠の掛稲我を圧倒す             ★石井 英子  

 稲架はよく詠われる季語である。杭を組んで枠を作り棹を通して稲をけることになる。頑丈でないと風や雨に耐えられず、鳥害もある。風通しなどを考えた掛稲の量の左右のバランス、棹との付着強度、雨が降ることを前提にしてできるだけ稲の実に雨がかからないようにする工夫など商品になる前の最後一か月ほどを無事に過ごすためのあらゆる工夫をする。そのような努力の後で風雨にさらされた後、黒鼠色になりながらも眼前に現れたしっかり乾燥した掛稲。苦節を耐えた武者のような存在感に心打たれたのである。

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