天為俳句会
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十人十色2024年7月 大屋 達治選

     津波禍の中州の葦や野火走る      小林 祐子 

  二〇一一年の東日本大震災から十三年が経つ。その際、津波の襲った、宮城県の名取川や阿武隈川の河口も海にのまれて、無毛の土地となった。久しぶりに行ってみると、川の中州には葦が生え、その去年の枯葦を野焼している。堤だけではなく、中州の葦も燃えている。作者は、宮城の山の手、遠刈田温泉の人。津波からの、長い時をかけての自然の復活を、しみじみと思うのである。

     春の夜や塩梅迷う掛布団        杉山 恵え洋み  

  季節が変わる時期は、風邪をひきやすい。春であたたかくなったとは言っても、朝は冷えたり、逆に、春の夜が寒くても、朝はあたたかく布団をふみ脱いだりしてしまう。作者は、どのくらい布団を掛けて寝たらいいのか、毎夜、迷ってしまうのである。私も、この時期は、翌日の最低気温をみながら、毛布を一枚増やそうかどうか?と考えてしまう。作者は、高校二年生。神奈川に住んでいるが、名古屋の同人、杉山葉子さんのお孫さんである。妹の杉山昌ま紀きさんも、小中学生の部に出している。

     差し色に菜の花を得て棚田かな     藤井  素  

  藤井さんは神奈川にお住まいだが、この山の棚田は、どこであろうか。まもなく田植えの季節である。その苗を植える田の畦や通路には、いま菜の花が咲いている。苗を待つ棚田の水色や泥の色に対して、菜の花の黄色が「差し色」つまり、良いアクセントになっているのである。春らしく、美しい景色である。

     紙の銭持たせ吉野の雛流す       井上 淳子  

  流し雛といえば、現在の鳥取市の最南部、用瀬もちがせの流し雛、また、和歌山市の海浜部、加か太だの流し雛が有名であるが、その他の地方にもこの風習は残っている。この句は吉野のどこであろうか、吉野川へ流す。近松半二の浄瑠璃「妹背山婦女いもせやまおんな庭訓ていきん」も、雛の日の出来事が出てくるから、流し雛もあるのだろう。珍しいところは、その雛に、紙の銭、紙し銭せんを持たせるというのである。沖縄や台湾では、葬儀のとき死者に紙の銭(お札)を持たせるというが、流し雛に、紙の銭を持たせるのは珍しい。ほかの地方にもあるのだろうか。

     ちよきの指嬰にむつかし蝶の昼     西脇  均  

  じゃんけんを、大人は、ゲームを始めるときや、試合をする前にする。しかし赤ちゃんにとっては、じゃんけんそのものが遊びなのである。幼いから、グーやパーは出すことができる。しかし、チョキを出すのは、幼児にはむずかしい。母や祖父とじゃんけんをするのだが、赤ちゃんはなかなかチョキを出せないでいる。相手になる親は、グーやチョキを、代わりに出して負けてあげる。ひとしきり遊ぶ。蝶が外を舞っている、のどかな春の昼の風景である。

     小笹まで与しゐたりき竹の秋      藤域  元  

  春になると、昨年伸びた竹は葉が枯れて、地面から新しい竹が伸びてくる。竹においては、春秋が季節の順行と逆なのである。その竹は、種類によっては、小笹と、ひょろひょろした竹が、一緒の根茎から伸びることもある。昨年生えた竹が枯れかかっていると思えば、去年生えた笹にも元気がない。ともに春には、新しい竹や笹が生えてくる。評者の家にも、業平竹を植えたのだが、根をのばし物置の下をくぐったところまで伸びている。数年前に、リフォームをした折、邪魔になるので根元から切って、踏んづけたら、笹は出るのだが、竹は生えなくなった。ようやく、今年から細い竹が生えてくるようになった。


     独活の灰汁いかに抜きしか風土記の世  浦島 寛子  

  独ウ活ドは、まだ若いうちに取って、酢や水にさらして、アクを抜かないと食べられない。日光を浴びると、いわゆる「ウドの大木」になってしまうので、現在は、地下に穴を掘って栽培する。東京の多摩西部などの名産である。さて、風土記の世、というから、奈良時代。まだ、栽培法ができていないから、これは、ヤマウドであろう。どうやってアクを抜いたのか。それを知りたくなるのである。

     水草生ふ川の流れのひと休み      志多 伯節子 

  水の激しいところでは、川の水中の石のあたりには、水草は生えない。せいぜい、薄いコケに覆われるくらいである。しかし、川の水がゆったり流れる、いわゆる「瀞とろ」になると、川にも水草が生える。それを逆にとらえて、水草の生えるところは、川の流れがひと休みしているのだ、と言ったのである。

     鳥雲に入りて色濃き潦         上田 弥生  

  作者は、北海道美唄の人。鳥雲に入る、といっても、ヒヨドリなどではなく、雁や白鳥などといった、シベリアへ帰る鳥であろう。その頃になれば、道路に積もっていた雪も解けて、せいぜい水たまり(潦=にわたずみ)が残る程度である。「鳥雲に入る」という、くすんだ灰色がかった雲の様子に対して、色の濃い水たまりだと思ったのが、作者による発見である。

     花冷えや薄暮に羽織る上襲       鹿志村 余慶  

  花の咲く時期、昼間はあたたかい。日も永くなっている。しかし日が暮れてくると、急に気温が下がる。花冷えの時期である。昼間は背広上下ですむが、暮れるとジャンパーなどを羽織るのである。それを「上襲」と言ったので、句柄が上がった。

 ☆☆ 誌面が余ったので、十一位以下の句も少し評する。☆☆

     霾や富士山白を欺かず         高島 郁文  

  つちふる、黄砂がふる季節となっても、富士山は、まだ、夏富士ではなく、頂上部は白いままで、富士らしいのである。

     揺れ浮かぶ数多の鞠は八重桜      井上 知佐子  

  八重桜が水面に散って鞠のように見える、という句はよく見るが、これは、その風景を逆からとらえた。

     大いなる筍届きうろたへる       小髙 久丹子 

  筍の時期である。もう夕食のメニューは決めてあるのに、午後になって、大きなタケノコが届いた。煮るにしても、アクを抜くのに、米糠が必要となり、うろたえている。

     啓蟄の蠢くものへ猫の爪        岡部 久子  

  土から出て来た、ミミズとか虫など、動いているものには、猫の狩猟本能がはたらいて、爪でパンチを食らわすのである。

     香焚きてつかはぬ茶室春障子      今山 美子  

  今日、お茶の席の予定がなくても、茶室には香を焚いておき、障子をしめておく。

     鷹鳩と化して戦果の御お後ご絵ゑ来る  村雨  遊  

  村雨遊さんの句の「御後絵」とは、琉球王朝の王様の肖像画である。十枚、写真だけで残っていたが、最近、そのうち実物の四枚が発見された。

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