天為俳句会
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十人十色2025年4月 日原 傳選

   冬ぬくし従順さうな馬埴輪       中川 雅司

  昨年十月から十二月にかけて東京国立博物館で特別展「はにわ」が催されていた。掲句はそこで詠まれた作であろうか。王の墓である古墳に立てならべられた埴輪は、大きく円筒埴輪と形象埴輪とに区分される。後者は人・動物・器具・家屋などをかたどったもの。動物埴輪には馬・牛・鹿・猪・犬・猿・鶏・水鳥・鷹・魚などがある。掲句に詠まれた馬形埴輪はふつう馬具を装着した姿で作られており、その点が他の動物埴輪と相違するという。後世の青銅製の騎馬像とは違って、四本の脚をしっかりと地面におろして立つ動きの少ない穏やかな姿。それを作者は「従順さうな」と言い留めた。「冬ぬくし」という季語が「従順さうな」埴輪の馬を暖かく包み込むかたちで働いている。中川さんの投句のなかには「堅かつ魚を木ぎの家型埴輪寒雀」という句もあった。こちらは「家型埴輪」の作。「堅魚木」は宮殿や神社の棟木の上に、それと直角になるように並べた円柱状の装飾の木をいう。
  なお、「うま」という日本語の名称は漢語の「馬」の字音に由来するものとされ、馬は大陸から渡来したと考えられている。縄文時代の遺跡から歯が出土しており、かなり早い時代に日本に導入されたらしいが、本格的に入ってきたのは古墳時代後期のようだ。

   初明りまづドルメンのテーブルに    松本 正光 

 投句葉書には「アイルランドのお正月」という説明が付いていた。「ドルメン」は新石器時代から鉄器時代初期にかけて造られた巨石記念物の一種。もともとはケルト語で、「卓石」を意味するという。大きく扁平な一枚の天井石を数個の塊石で支えるその姿がテーブルのように見えることからの命名らしい。掲句で「ドルメンのテーブルに」と描写している所以である。ドルメンは世界各地にあるが、ヨーロッパの大西洋岸に特に色濃く分布しているようだ。アイルランドで迎える初明り。真っ先にドルメンに日が差し込む。そうなるように古代の人々がその場所に設置したのかもしれない。石造りの建造物の多い西欧の起源を想像させるところがある。   

   蒼穹の彼方雪嶺ピンネシリ       上田 弥生

 「ピンネシリ」は北海道にある山の名。アイヌ語で「男の山」の意という。その名の山は複数あるようだが、有名なのは樺戸郡新十津川町と石狩郡当別町の境に位置する標高一一〇〇米の山。その東南にある標高一〇〇二米の「マツネシリ(女の山)」と対をなすという。当地のシンボルのような山らしい。冬の青空の広がる大地。その青空の彼方に白い雪嶺を望む。北海道らしい雄大な光景である。「ピンネシリ」という固有名詞の音が面白い。   

   初御空あまねく瑠璃の稲佐浜      手銭 涼月  

 「稲佐浜」は島根県の出雲平野の北西部にある砂浜の海岸。出雲大社の西方に位置する。『出雲風土記』のなかでは「薗(その)の長浜」という名で出てくるようだ。国譲り神話の舞台とされ、国譲岩や弁天島がある。陰暦十月に出雲大社に集まる全国の八百万の神々はこの浜に上陸するとされる。海岸の広い空が一面晴れ渡っているのである。「あまねく瑠璃」と強く言い放って初御空を称える気分を出した。

   手繰らうか父の一言晦日蕎麦      安藤 小夜子

「寿司をつまむ」「鍋をつつく」「お茶をすする」といったように「食べる」「飲む」の代わりに別の言葉を用いてそれを表現することがある。「蕎麦を手た繰ぐる」もその一つだが、現在日常生活のなかでそれを耳にすることはほぼ無いだろう。落語や歴史小説のなかでかろうじて触れることがある程度の珍しい言葉。辞書でも「手繰る」の説明にその意味を載せているものは少ない。掲句の「晦日蕎麦」は大晦日の夜に食べる蕎麦。そろそろ年越し蕎麦を食べることにしようかと家族に呼びかけたのであろう。作者の父はごく普通に「蕎麦を手繰る」という言葉を使っていたことが想像される。年越蕎麦を食べるたびに、作者は「手繰る」という言葉とともに父の姿を思い出すのである。   

   酒米の蒸し場の熱気山眠る       内山 美代

 作者は日本酒の寒造りの行なわれている酒蔵を訪れたのであろう。日本酒の醸造は、まず蒸した酒米に麹と水、酒母を加えて発酵させる。そうして出来た醪もろみを搾り、濾過し、火入れをして清酒が出来上がる。掲句はまずその酒米を蒸す工程に焦点を当てた。濛々と上がる湯気。その熱気に驚いているさまが想像される。その上で、下五を「山眠る」という季語でまとめた。熱気の充満する酒蔵を包みこむ冬の山の存在を示し、大きな景で一句が完結した。   

   犬小屋へ掛くるおまけの松飾      鈴木 千枝子  

 歳時記ではふつう「松飾」は「門松」の傍題としている。しかし、掲句の場合は、松の枝の使われた「注連飾」や「輪飾」のようなものを指しているように思われる。あるいは松の枝を使った手作りの正月の飾りなのかもしれない。<輪飾や辻の仏の御首へ 小林一茶><輪飾りや竃の上の昼淋し 河東碧梧桐><一管の笛にもむすぶ飾りかな 飯田蛇笏><鋤鍬をよせてかけたる飾かな 小城古城><洗はれて櫓櫂細身や注連飾 大野林火>のように、正月の飾りは色々なものに結んだり掛けられたりしている。農家は鋤や鍬、漁家は櫓や櫂といった具合に生きてゆく上で大切に扱うべき道具を、新年を迎えるに当たって、浄めて飾ったのだ。掲句は犬小屋に掛けたというところが現代風。また「おまけ」で掛けたというところに滑稽感が出た。   

   初釜の済みて座開きかぎやで風      古波蔵 弘子  

 「座開き」は「座敷開き」に同じ。この句の場合は新しく造った茶室を、茶会を開いて客に披露することをいうのであろう。しかもそれは新年になって初めての茶事である「初」も兼ねているのである。「かぎやで風」は琉球古典音楽の代表曲。「カジャディフウ」と発音するらしい。お祝いの席で最初に演奏される曲だという。その歌詞の大意は「今日の喜びは何にたとえられようか。蕾だった花が露をつけて開いたようだ」の由。めでたさの重なる喜びに満ちた新年詠。   

   鼻歌は母親譲り冬うらら        藤井  素

 日差しを受け、冬の寒さを忘れるような日。知らぬうちに気分よく鼻歌をうたっていたのである。それに気づくとともに、母親も鼻歌をよくうたっていたことを思い出したのである。鼻歌を通じてつながる母と自分の関係を確認しているところがほほえましい。前半で重なる六つのア音、それを受けて句の半ばで重なる五つのウ音、最後に再び登場する二つのア音。音の効果の感じられる作である。  

   若冲の群鶏の紅実千両         西崎 くみ子  

 江戸時代中期の画家である伊藤若冲はたくさんの動植物画を描いたが、特に鶏を好んで描いた。そのため外国種の鑑賞用の鶏や軍鶏し ゃ もを五羽も自宅の庭に飼って観察していたという。有名な「動植綵さい絵え」三十幅のうち七幅は鶏を描いている。その一つ「群鶏図」は絵の中に散らばる鶏冠の紅い色が印象的である。掲句の「群鶏の紅」もそれを指すのであろう。一方、それに取り合わせた「実千両」の実も紅い。掲句において作者は紅の競演を楽しんでいるのであろう。

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