天為俳句会
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十人十色2025年5月 西村 我尼吾選

    我はもや田婦野人の雪女        岡崎志昴女 

  二〇一六年「天為」五月号には「雪女来しか阿弖流為弔ひに」と有馬先生は雪女を、力強く、変革の意思と超常的力を持った主体的女性の精霊のように描いている。「みちのくの雪深ければ雪女郎」と描いた青邨とは異なる捉え方である。有馬先生が描いた阿弖流為は「野生獣心にして、反復定まりなし。たまたま朝威に縁りてこの梟帥を獲たり。」と田夫野人と朝廷から描かれている。志昴女さんは、田「婦」野人と阿弖流為のような雪女であると自画像を描いているが、有馬先生の作品と並べて二句の対属を観賞すると阿弖流為という悲劇の人物を通底して、謙遜しながらも諧謔を醸し、高齢化社会の現代に生きる女性の主体性と阿弖流為のような変革を恐れぬ意思を示し見事に響きあっている。

     青空を雲の疾渡り蕗の薹        日根 美惠  

  澄み切った青空。そこをいろいろな形をした雲が過ぎ去ってゆく。誰もが人生で数えられないくらい経験した体験である。雲の過ぎ行くさまに三国志の世界、ギリシャ神話の世界、古事記の世界など、意識表層に浮かぶいろいろなイメージを雲という空のキャンバスに投影する。視線を地に移すと土手の辺り、道の際などに蕗の薹が顔をのぞかせている。蕗の薹が蕗になるわけではない。蕗の薹は地下の茎から貌を出し蕾の間に収穫されてしまう。その命は地下に保たれるが、素早く姿を消してしまう。それは空の雲の形の変化が「疾渡り」することと呼応するかのようである。

     春深む異国の廟に長き香        田中  梓  

  私はベトナムやカンボジア、タイなどでもよく香木を買い求めた。沈香を求め自分で切って香炉で炊いて日常の心の安らぎに使っていた。特にインドネシアの沈香はタニ沈香と呼ばれ庶民が手軽に買うことができ、香料屋や伝統の薬屋などなどで売られていた。この沈香を愛用の獅子香炉で炊く。冷房を止め静かに空気が落ち着くのを息をひそめて待っているとこの作品に描かれたように獅子の口から水平にまっすぐ煙が吐き出される。そしてゆっくりと垂直に煙が上がり龍のような模様に変化するのである。室温が春が深まるように変化する時に奇蹟が起こるのである。

     ウードに踊るガザの女や冬の月     小林ひろえ  

  ガザ地区で起こっている悲劇はパレスチナの人々を強制的にdisplacementした。ジョーンバエズなどが反戦フォークをギターでうたったようにパレスチナの人々の悲劇をギターではなくウード(ギター、リュート、琵琶の元型楽器。ウッドの原語)の太い音色で奏でる時、ベリーダンスで冬の月に吠えるように踊るのであろうか?その踊り子はカスバの女のようであろうか、あるいはキャンプで皆を鼓舞するように踊る女であろうか。イスラムの音楽は日本の小唄などのこぶしを微妙に変化させる音楽と似ているといつも思って聞いていた。やるせない思いが演歌のように伝わってくる。

     山独活の生気漂ふ洞の闇        鈴木千枝子  

  独活は私の好きな春野菜である。大きく茂ると二メートル以上にもなるが木ではない。草である。名前の由来は不明だが、漢字で読めば、独立して生活すると書いてあるので、葉が繁茂し、それぞれが自由に動き生気を放つということであろう。崖などの足場の悪い所に生えているが、河が流れ込んでいたり、洞があったりする。作者は、そのような洞の中で命を再生させるようなすがすがしい体験をしたのであろう。神域が形成する胎蔵界曼荼羅の闇の世界を「生気漂ふ」と表現した。

     とほつ世はすぐそこにあり冬日影    藤井  素  

  白土三平の「忍者武芸帖」完結編で主人公の影丸が織田信長の軍勢に捕まり、処刑される時、森蘭丸に伝えた言葉が「我らは遠くから来た、そして遠くへ行くのだ」であった。小学生の時に意味は解らなかったが、強い衝撃を受けたことを覚えている。短詩型文学の俳句は、自心の源底にたどり着き、我々は何者かということに対する答えを与えてくれると信じている。空海が宇宙には始まりも終わりもないが、仏はおのれの内にあるとして即身成仏義を書いている。量子的視座に立てば、冬日の影のような人間存在であるが、宇宙の真実はすぐそこにあるのである。

     大寒の夜凪禊の始まりぬ        手錢 涼月

  大寒の日に鹿島神宮、春日神社などをはじめ全国で冷水で身を清める禊の儀式が行われる。寒いときにさらにいっそう寒い状況に自分を追い込み、邪気を払い、無病息災を願う行為である。芭蕉は「旅」という方法により真言密教が理想とした三密瑜伽行を実践したと言える。俳句という短詩型文学において「本質直感」により真実に到達しようとする行為は、いわゆる常識を超えた行である、大寒の禊の行と通ずるものがると考えられる。いよいよ海が凪いだという臨場感をさりげなく示すことにより、現実の大寒の海に身を入れることにより、自分の意識の深層に入りこむことを表現している。

     うさぎ雛銘仙まとひ迎へをる      石井 英子 

  平安時代の雛人形を飾る行事は、天皇の結婚式を模して女子の息災、幸福を祈るということに由来する。天皇・皇后を形代として意識している。江戸時代になって幕末には尊王の意識が国民にも広く浸透したが、幕藩体制ができた直後の元禄の庶民文化の勃興は、そのような有職故実はともかく、庶民も幸福息災を願ってなんと天皇皇后ではなく多産と厄除けの免の字に似た兎を内裏雛にしてしまうという大胆な革命を起こした。掲句はそのような伝統が今も受け継がれ、しかも高級な布地ではなく庶民の着物である銘仙を使って徹底しているとさらりと表現しているところに諧謔がありおもしろい。

     梅と人賑はふ中はまほらまと      河野 伊葉  

  古事記に、「倭(大和)は国の真秀(まほ)ろば畳(たたな)づく青垣山籠れる大和うるはし」と読まれている。
「まほろば」は、「理想郷」を指す。倭建命が亡くなる前に立派に防御されたやまとを懐かしみ歌い戦いの幕を閉じた。戦いの中での思いである。現在もアジアで、中東で、ヨーロッパで紛争が起こり、トランプ大統領の登場で第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制が揺らいでいる。そのような中で日本の俳人はゆるぎなく四季を愛し、梅を愛し、それを愛おしむ人々を愛し、造化の恩顧を俳句に託すのである。世界に誇るべき伝統である。

     山笑ふ甲北の宿わが一塵        泉洞 玄為

  声字実相義第三句が「六塵ことごとく文字なり」であり、その一塵たる色塵(物質・現象)について以下の偈頌を示す。「顕形表等の色あり/内外の依正に具す/法然と隨縁とあり/能く迷いまた能く悟る」この偈頌と俳句との関係は分析俳句序説で詳述することとするが、空海が言っていることは「存在とは関係である」ということにつきよう。俳句は対馬康子が言っているように新しい関係を創造することができる短詩である。作者は色塵の世界で内(山笑ふ)と外(甲北の宿)を依正(互いに拠り所となるものとして縁起させること)させたのである。

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