十人十色2025年6月 福永 法弘選
筆圧の高き家族に春来たる 加茂 智子
家族、一族、同族には、当人たちが気付いているかいないかに関わらず、何らかの共通する特徴がある。大げさな例では、ヨーロッパに長く王家として君臨したハプスブルグ家の面々には「ハプスブルグ家の顎」として名高い、下顎のしゃくれた特徴があったし、卑近な例では、私(評者)の家族、同族には代々、シャイで左利きの者が多い。
こうした身体的特徴に着目して家族を捉えた句はよく見かけるが、この句、字を書く時の筆圧に家族の特徴を捉えたのである。実にユニークな着眼点に感心させられた。筆圧の高さに、春を迎えて、人生を力強く、逞しく、生き生きと過ごしておられるご家族の姿が目に浮かぶ。
赤本を縛つて捨てる桜かな 櫻田 千空
赤本と呼ばれるのは、表紙の一部に赤色が使われていた江戸時代の子供向けの絵草紙、明治時代の少年向けの講談本、内容が低級で粗雑な雑誌などがあるが、現代、最も馴染み深いのは、教学社が「大学赤本シリーズ」として毎年発行している朱色の表紙の大学入試過去問題集だろう。季語の桜からもそれはうかがわれる。日本の大学受験経験者なら、ほとんどの人が世話になった赤本ではないだろうか。
受験が終わってからの赤本に対する対応は人さまざまである。記念に残しておく人、古本屋へ持っていく人、後輩に譲る人、そして、千空さんのように縛って捨てる人など。いずれにせよ、暗黒の受験生活から解放され、輝かしい青春の日々が待っている。いざ行かん、桜吹雪の中へ。
三月十日昭和百年生き抜きぬ 安藤 小夜子
令和七年の今年は、昭和から通算すると百年となる年だ。小夜子さんはその昭和百年を生き抜いてこられたのである。百年の間には世界史、日本史、そして自分史に残る様々な出来事を経験されたことだろうが、おそらく、この句に詠まれた三月十日の出来事こそが最も印象深く、鮮明に記憶している事件なのだろう。
三月十日、即ち、昭和二十年三月十日のアメリカ軍による東京大空襲(当時、東京大焼殺と呼ばれた)の惨劇は、忘れてはならない悲劇だ。一夜の空襲で失われた人命は八万三千人余(朝鮮人等の未集計の死者数を加えると十一万人とも)。昭和百年の歴史の中で、特筆すべき負の歴史であり、作者はまさしくその生き証人なのである。
訪ぬれば冬枯の道阿弥陀堂 千島 文得
文得さんが訪ねたのはどこの阿弥陀堂であろうか。芥川賞作家南木佳士の『阿弥陀堂だより』という小説は二〇〇二年に映画化され、高く評価された。心を病んだ中年の夫婦が、山村へ療養のために引っ越し、その村の阿弥陀堂を守る老婆や村の人たちと交流していくうちに、「生きること」「死ぬこと」の意味が深く身に染みてくる物語である。当時九十歳の北林谷栄はこの作品で日本アカデミー助演女優賞を受賞した。
長野県飯山市にはその時使われた阿弥陀堂のセットが、昔からそこにあったかのように佇んでおり、中に本物の阿弥陀様が安置されている。
啓蟄日畏友泉下に隠れけり 髙澤 克朗
二十四節気の一つ啓蟄は冬の間地に潜んでいた虫が穴を出る頃をさす春の季語。そのタイミングで、畏友が泉下に隠れた、即ち、亡くなったという追悼の句である。
友人には様々な種類があるが、畏友とは「尊敬している友」のこと。ちなみに、何でも分類したがった正岡子規は、随筆『筆まか勢』の「交際」の章に十九人の友人を様々な呼び名の「友」に分類している。それは以下の通り。愛友、好友、益友、厳友、文友、酒友、剛友、郷友、高友、少友、良友、敬友、旧友、畏友、親友、温友、賢友、亡友、直友。
このうち、子規が畏友として挙げたのは誰あろう、夏目漱石だった。英語だけではなく漢詩文にも長けた漱石の文学的才能に驚嘆した子規は、彼を「畏友」として尊敬、交流し、短い生涯を駆け抜けたのである。
天の川といふ名の小川つくしんぼ 谷内 せつこ
いつの頃からかわからないが、集落の外れを流れる小さな小川に天の川という名前がついている。自分の子供のころ、あるいは親の時代、いやもっともっと昔から、その小川には七夕になると子供たちが集って、願いを書いた短冊を下げた笹竹を思いを込めて流したのだ。だがいつか、その風習は廃れ、川にのみ名残の名前を残す。畔に伸びたつくしんぼがいかにも無邪気で切ない。
康成忌我と一緒の誕生日 北原 節子
ノーベル文学賞作家の川端康成は、明治三十二年六月十四日に生まれ、昭和四十七年四月十六日に亡くなった。享年七十二歳、ガス自殺だったと言われている。昭和五十一年初版の『季寄せ』(角川書店)には康成忌、川端忌が春の季語として収載されている。
自分の誕生日が康成のそれと同じ六月十四日だという句なのだが、それを、康成忌にあたる四月十六日にふと思い出したのである。誕生日が同じという奇縁により、節子さんはおそらく、川端文学のファンに違いない。かくいう私(評者)は、八月二十一日の生まれだが、その日は弘法大師の月命日。しかも、大工だった父が大師堂の修復工事をしていた時に生まれたので、名前も弘法大師をひっくり返して法弘と名付けられた。一度だけの人生だが、様々な奇縁、由縁が蜘蛛の巣のように張り巡らされていることが感慨深い。
セーマンの魔除け被りて海女潜る 松本 正光
海女は海という自然を相手の厳しい仕事だから、身を守ることにはことさら敏感である。鳥羽や志摩の海女が頭に巻く磯手拭いには、星形の印(セーマン)と格子状の印(ドーマン)が、染め付けたり、刺繍してあったりする。陰陽道と関係するといわれ、セーマンは安倍晴明、ドーマンは芦屋道満の名に由来するらしい。
魔除けのセーマン・ドーマンに漁の安全を祈り、海女たちは春先のまだ冷たい伊勢の海へ潜るのである。
つらつら椿涙をためてゐるやうな 日根 美惠
つらつらとは葉と葉の間から椿の花が連なったように咲いている様子を表したものと言われており、万葉集にある坂門人足の(巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を)に拠る。この句、並び咲く椿の花を、涙をためているようだと、感情移入して見立てた句である。
同時に発表された句に(幸せのかたちいろいろ花菜風)があるが、掲句と同様、花菜を吹く風に心象を重ねている。いずれも、美惠さん独特の詠み振りである。
春光にクルトンといふ浮かぶもの 河野 伊葉
クルトンというのは、パンをサイコロ状に切って、油やバターで炒めたり揚げたり、オーブンで焼いたりして作られたサクサクとした食感の食べもの。メインの食材ではなくて、トッピング的に使われるが、よくサラダに入っていたり、スープに浮かんでいたりする。その、スープに浮かんでいるさまを詠んだ句だが、「浮かぶもの」という大げさなようで、茶化したようで、それでいて特徴を見事に言い切った滑稽的な俳味に思わず苦笑させられた。
◇ ◇ ◇