十人十色2025年11月 天野 小石選
七月や天窓開けて鳥を聴く 三浦 恭子
作者の三浦恭子さんはアメリカ最北東部のメイン州に在住されています。海にも面しており自然豊かな土地柄で、「バケーション・ランド」の愛称で呼ばれるそうです。州立公園には多くのヘラジカが生息していることでも有名です。そのような土地柄を想像してこの句を読むと、七月の明るい空や雄大な自然を感じることが出来ます。開放感溢れる一句になりました。同時発表の「潮の香を孕む夏霧森しづか」も自然を慈しむ気持ちが伝わります。恭子さんは以前来日された際に、アメリカ人のご主人と天為編集室を訪ねて下さいました。しばしお話が出来て楽しかったです。この句のように、とても明るい方でした。これからも四季折々の自然を詠んだ作品を楽しみにしています。
大甕を舞台となせり水馬 大谷 忠美
庭に置いてある古い大きな甕でしょうか。何十年もそこに置かれている甕を想像します。冬には氷が張ったり、春には花片が浮かんでいたり、梅雨時は雨が水面を激しく叩いたり、秋には落葉が舞い込んだり、季節季節で色々な表情を見せてくれる甕なのでしょう。今は水馬が悠々と水面を泳いでいる。この大甕をまるで舞台のように水馬が泳いでいると言ったところに広がりがあって楽しい一句になりました。埼玉の熊谷市にお住まいの忠美さん、この夏の暑さは尋常ではなかったと思います。そんな中、この甕の水馬を発見したことで、一時の清涼感を得たのではないでしょうか。肌寒くなった今、あの長かった猛暑の日々を、皆さんよく凌いだと思わずにいられません。
夕虹やガラス張りなる新庁舎 岡田 寿恵
寿恵さんがお住まいのさいたま市では新庁舎への移転が決定しており、現在整備中のようです。鳥瞰図を見るとなるほど、ガラス張りの部分が広がっています。この新庁舎に限らず、新築のビルやマンションにはガラスがふんだんに使われています。私が利用している東京の中野駅周辺は再開発が進んでおり、二十階建て、二十五階建てのビル・マンションが線路沿いに建築されていて、そのほとんどがガラス張りとなっています。この句はガラス張りのビル群と夕虹の取り合わせがとても美しく、街の一景を鮮やかに映し出しています。新庁舎の完成が待ち遠しいですね。
九八屋の裏戸を叩く竜田姫 櫻田 千空
「九八屋」は小石川後楽園の東側にある江戸時代の酒亭を復元した茅葺屋根の風流な建物です。名前の由来は、「酒を飲むには昼は九分、夜は八分とすべし」という、物事万事控えめにという教訓から来ているそうです。裏側に小さな木戸があるようですが、その木戸を叩くのは竜田姫であったというファンタジックな一句です。秋の山や野の美しさを司る女神が裏戸を叩き、秋の訪れを告げている。そんな中で一献やりたくなるのも分かりますね。ただ現在は見学だけでお酒はありませんので、想像で飲んだ気分を味わいましょう。それもまた風流。
逝く夏を目深にヤンキーピラフかな 椋 あくた
「ヤンキーピラフ」とは茨城県の筑南あたりの喫茶店で出されているタバスコ風味のB級グルメと通信欄に書かれていました。地元のヤンキーと呼ばれる若者たちのお腹をいっぱいにするために出来上がったメニューだそうです。作者はこのヤンキーピラフを食べながら、過ぎ去った夏を思い出しているのでしょうか。「目深」に被っているのはキャップかも知れませんが、夏の思い出が眼裏に深く焼き付いている様子を「目深に」という一語に込めたようにも感じます。北関東の夏の終わりの雰囲気が「ヤンキーピラフ」を詠んだことで、実在感を持って伝わってきます。
紅型の柄の浮き出す夏の宵 福井 高湖
紅型は琉球の伝統染め物の総称。琉球王国の王族、士族の衣装に始まり、現在も染められている。色彩は鮮やかで、型は自然をモチーフとしたり、吉祥文様などが大胆に染められている。琉球舞踊などで今も見ることが出来るし、首里城の守礼門の前で観光客が紅型を纏い、カメラ撮影できるサービスもある。福井高湖さんは夏の宵にこの紅型を着た人に出会ったのでしょう。華やかな柄が宵闇の中でもくっきりと浮かび上がって、その美しさに目を奪われている様子が窺えます。近くでは三線の音や沖縄民謡が歌われているのかも知れません。賑やかな夏の宵となったでしょう。
合歓の花副住職てふ猫のゐる 松尾 久子
全国には猫の駅長がいるところが幾つかあって、特に和歌山と会津にいる猫駅長は有名になり、観光客が押し寄せるそうです。駅長帽を被った姿が人気のようです。またお寺にも名物猫がいるところが多く、鎌倉の英勝寺の参拝券売り場の窓口によく猫が寝そべっていたのを思い出します。久子さんは浜松にお住まい。近くに猫の副住職がいるお寺があるのでしょう。この猫は袈裟懸けでもしているのかも知れません。合歓の花との取り合わせが優しい感じを醸し出しています。この猫副住職にもファンが大勢いることでしょう。猫に会いに行くついでにお参りも出来る、誠に有難いお寺ですね。
出汁に浸かりて賽の目の夏野菜 籔谷 智恵
原句は「賽の目に出汁に浸かりて夏野菜」でしたが、語順を入れ替えてお採りいたしました。山形には「出汁」という郷土料理があり、紫蘇、胡瓜、茄子、茗荷などを細かく切り、冷たい出汁に浸けて、冷たいご飯や冷や奴に掛けて食べる夏料理です。智恵さんは富山在住なのでこの料理とは違うかも知れませんが、何れにしても夏野菜を賽の目に切って出汁に浸けたのでしょう。山形の出汁より色とりどりの野菜を使ったのではないでしょうか。トマトの赤やパプリカの黄、茄子の紫にズッキーニの緑など。見た目にも楽しい夏の一品に仕上がったのでは。
軒下の小さな宇宙釣忍 藤井 素
「釣忍」は江戸中期に作られた夏の風物詩。竹や針金を芯に苔やしのぶというシダ植物を巻き付け、水を含ませ軒に釣り涼を楽しむもの。下に風鈴を吊しているものも多い。形は一般的な球形のものや船を模したものなど様々あるようだ。作り方によって個性があり、それぞれが一つの宇宙観を携えている。正に「軒下の小さな宇宙」だ。素さんもご自宅の軒下に釣忍を下げて、猛暑を少しでも涼しく感じられるよう、乾いたら水を遣り手入れをしていたに違いない。しのぶは乾燥にも強いそうなので、一冬を越えてまた来夏、涼を届けてくれるでしょう。
八月の硯の中の墨のいろ 藤木 有紀
墨には色々な種類があり、青墨など青み掛かったものや、茶墨という赤み掛かったものもある。用途や好みによって使い分けるのだろう。また同じ墨でも薄く磨ったもの、濃く磨ったものなど様々あるだろう。有紀さんの硯の中の墨は今どんな色なのだろう。八月の暑い日々、青墨で涼感を出すのか、終戦記念日やお盆の時期、薄墨で追悼の書を認めるのか、読者は様々な色を想像する。また硯の形も思い浮かべてみる。小振りで彫刻のある端渓硯などならとても爽やか。逆にどっしりした重厚感のある硯なら格調高い。何れも色を特定しないことで詩情が生まれ、想像する楽しみを与えてくれた。
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